すたんこ日記:2004年2月

青いお茶のこと
週末にゆっくりしても、かぜはよくなりませんでした。かぜから、気管支の炎症がつられて起きたようです。こういうことは時々あります。
お医者さんのお薬をのんでいるのはもちろんですが、マロウの花のお茶をひさしぶりに飲みました。この飲み物は、マロウという名前の植物の花のところだけ採って乾かしたものに、お湯をさして色を出したものです。あまり風味はありませんが、のどに良いのだそうです。
マロウの花にお湯をさすと、真っ青な色が出ます。青い色のところに酸味を入れると、こんどは赤い色になります。なにもしないでいると、青い色はだんだん薄くなっていって、さいごは透明に近い色になります。色が消えても効果はあるのだと思いますが、なんとなく青い色のうちに飲むようにしています。
2004年02月29日 20時30分21秒

続・南の島の作戦のこと
かぜがまだよくならないので、部屋の中であまり動かないようにしていました。その間、以前にたのまれて読んでいた南の島の作戦の日記を読んでいました。
この日記は、日記専用のノートに1日ごとにきれいな字で書いてあるので、とても読みやすいです。ときどき、なにかの紙の裏に少し乱暴な字で数字が書いてあるものがはさまっているのは、あとで日記に書くためにメモしたものだと思われます。書き間違えをした跡が全くないところから、おそらくその場のことをとりあえずメモしてから、専用のノートに清書したのだと思います。
以前書き足りなかった、この人が作戦をしている島の様子を少し足すと、この日記が書かれていた時、この島は日本が守っている、日本からいちばん遠い島になっていました。少し前までは、この島の先にあるいくつかの小さい島にも人がいて守備をしていたのですが、敵が飛行機で島の近くまで来るようになったので、小さな島に食べ物や武器を届けることができなくなってしまったのです。小さな島でくらしてゆける以上の人数が島に配備されていたので、敵と撃ち合いをして死んでゆく人数よりたくさんの人が、おなかをすかせて死んでゆきました。それで、生き残った人を島まで迎えに行って、日記を書いた人のいる島まで守りの範囲を小さくしたのでした。
この人が島で作戦をしていたころ、東京では、この島にもっと人や飛行機を増やして守りを固くしておくか、思いきってこの島の人や飛行機を日本の近くに戻してしまうかという2つの考え方がありました。この島に人や飛行機を増やしながら、この島の内側の守りを固くすることができれば一番よいのですが、人も飛行機も、数が決まっているから問題になります。そして、東京で指示を出す人が困っている間にも、この人のいる島では人や飛行機が減っていきます。
日記を読むときは、日記を書いた人と同じく、日を追って読むことにしています。でも、さいごのほうに何があるのか知りたくて、大晦日のページを少し先読みしたら、「来年は死ぬことになる年かもしれない」という言葉が書いてありました。
2004年02月29日 00時01分22秒

かぜのこと
きのうはおいしいごはんを食べたのに、きょうはかぜをひきました。いっしょの部屋でお仕事をしている方が、のどが痛いと前から言っておられたので、そこからもらってきたのだと思います。でも、たまに部屋に来られてお仕事の指示をされる先生も、出張から帰ってきて以来具合が悪そうなので、おおもとは先生かもしれません。
そのため、きょうはお休みをいただいて部屋でじっとしていました。お医者さんからいただいたお薬をのんで、水分をたくさんとってじっとしているのが治療の早道です。のどが痛いのに対応するために、はちみつの小さい瓶をねどこのそばの机に置いて、少しづつなめていました。桃の缶詰を冷蔵庫に入れて、食欲がなくなりそうな時の準備にしました。
2004年02月27日 23時07分20秒

フランス料理のこと
父親が仕事で東京にきたので、ふたりでごはんを食べに行きました。父親が仕事で東京に来るのはめずらしいことではありません。だいたい1週間に1回か2回は東京に来ているようです。ただ、東京にホテルをとって泊まっていくのは月に2回ほどです。東京に泊まる日の少し前には電話があるので、予定を立てることができます。
父親とでかけるお店はいろいろです。外国から帰ってきたばかりの時は、行ってきた国の、なるべく本格的ふうのところに行って、どんなものを食べてきたか思い出してもらうこともあります。外国に行く前に、行く国の、これもなるべく本格的ふうのところに行って、これから食べるかもしれない料理の予習をすることもあります。日本語が通じにくいし、場所もちょっとこわいところにあるけれど、ものすごくおいしいところに行って、通訳をしながらごはんを食べることもあります。
きょうごはんを食べたところは、平河町というところにある小さいフランス料理のお店でした。父親が東京に来ると泊まるホテルの近くにあるので、そのホテルのごはんと同じくらいの値段で、こんなものもあるんだよという紹介をしようと思ったからです。
そのお店はとても小さいですが、コックさんがとてもよい人です。むかし、たくさん元気をいただきました。半年ぐらい行かなくても、おぼえていて下さるのが嬉しいです。
きょうは、父親は鴨をたべて、わたしは牛の舌をたべました。コックさんにありがとうを言って家に帰りました。
2004年02月26日 22時52分21秒

ネロリのこと
外国に注文していた香水が届きました。ゲランという会社が作っている、「ネロリの花」という香水です。インターネットで注文をして、カードで決済してもらうので簡単です。
ネロリというのは、みかんやオレンジ類の花のことです。春の終わり近くに、白くて花びらの厚い小さい花をみっしり付けます。寒いところに住んでいたので、学校に通うために東京に引っ越してくるまで、みかんの木に花が咲いているのを見たことがありませんでした。
みかんやオレンジ類からは、2種類の香りの原料がとれます。ひとつは、皮をしぼった時の香りで、もうひとつが花の香りです。
「ネロリの花」は、名前の通り花のほうの香りの香水です。皮のほうの香りより、深くてなまなましい感じです。花の香りが花の姿といっしょにあると、姿にふさわしい香りだなあと納得するのですが、花の姿から切り放したネロリが、思ったよりなまなましい香りを放つのに少し驚きました。
むかし、手が届くところにあった甘夏の花を折って手に持ったら、なにか嬉しい心地になって、思いがけない遠回りな散歩をしてしまったことがあります。立ち止まってはくんくんしながら部屋に戻り、あかりの下でよく見たら、葉裏にびっしりありまきが付いていました。
2004年02月26日 00時52分50秒

出発のこと
アーキヴィストの見習いをしているところで、いっしょに資料を読んだり整理したりしている方が、外国に歴史の勉強をしに行くことになりました。でかける先は小さな街の大学で、日本語を教えるかわりに、住むところやごはんを保証してもらえるのだそうです。街にはまだ昔のものが残っているので、歩くとおもしろいものがあるかもしれないということです。あした飛行機で旅立つ前に、みんなに会いにきてくれました。書庫のなかで、みんなで記念写真をとりました。

前の日記で書いた、南の島で作戦をしていた人が、飛んで行く飛行機を見送っている写真を、本を調べて見付けました。木の柱を立てて、金属の板で屋根をつけた見送り台の上で、制服を着て、刀を差して、手袋をして双眼鏡を持って立っていました。見えなくなるまで見送っていたのだと思います。
見送りをするのは、決めてあった作戦をするために、飛行機がチームを組んで飛んで行く時です。敵の飛行機を見つけていそいで出かける時は、飛行場にある、いつでも飛べるように準備がしてある飛行機に、どれでもいいから乗って飛ぶのだと、本に書いてありました。
2004年02月24日 23時15分40秒

さんびかのこと
プロフィールで書いたように、音楽歴はさんびかから始まりました。正確に言うと、レコードをまねて歌うことができた「アレルヤ」から始まりました。
父親の同級生が、街の教会の信徒のまとめ役のようなものをしていました。教会の建物は見ていて、ちょっとだけ入ってみたことがありました。パイプオルガンでないほうのオルガンとピアノがあるのを見て、おそらく関心を持ったのだと思いますが、ある日家族に、教会学校に行きたいと言ってみたところ、じゃあどうぞとこども聖書とこどもさんびかを買ってくれました。それで、日曜日には教会に行くことになりました。
日曜礼拝は、こども礼拝と、パンとぶどう酒が出るおとなの礼拝に分かれていました。家族が信仰を持っていたわけではないので、礼拝にはひとりで出ていました。
こども礼拝では、お話の前と、主の祈りの前の二回、さんびかを歌います。楽譜は、見ているうちに覚えるようになりました。
わりあいよく登場したさんびかは「主われをあいす」でした。これは、手許にある賛美歌集では461番になっています(この版は現行の一つ前の版なので、現行版にまだあるかどうかはわかりません)。
主は「レ」を愛す、の「レ」とは何なのか、小さいころはわかりかねたまま歌っていました。正しい区切りかたがわかって得心したのは、大学に入ってからです。
2004年02月24日 01時19分36秒

南の島の作戦のこと
おととい、急にたのまれごとがあって、また別の日記を読むことになりました。日記と、だいたいの部分を書き起こしたものがとどいたので、さっそく読んでいます。
この日記は、アメリカと戦争をしている間に書かれたものです。日記を書いていた人は、南の島の基地にいて、きょうはどんな作戦をするか考えたり、別の島にいる別の司令官と大きな作戦の相談をしたりしていました。戦争が終わった時、その島に入ってきた相手の国の人が日記を持って帰って戦争の資料にしたので、いままで残ってきたのだそうです。
日記を書いていた人がいるところは南の島なので、温度は毎日30度近くあります。むかしは、いまの温度の数字にだいたい30を足した別の単位を使っていたので、その単位でいうと90度になります。天気はだいたい毎日晴れていて、午後ときどき大雨が降ります。
日記を書いていた人は、だいたい毎日5時に起きて、体操をしたり、馬に乗って散歩をしたりしてから、午前中にみんなで作戦会議をします。きのうの作戦で、どれぐらいの敵の船や飛行機を攻撃できたのか、見張りのために海の上を飛んでいる飛行機がなにか見付けてきたかどうか、人や荷物を載せて島に向かっている補給の船はちゃんと航海しているか、などを話し合っているようでした。
朝ごはんを食べた、という記述がずっとないので、この人は会議がおわった後みんなで食べるごはんを、朝昼いっしょの食事にしていたようです。食べ物が少ないからだろうかと思いましたが、おしるこやすき焼きをいただいていることもあるので、それは大丈夫のようです。ごはんがおわると昼寝をします。
朝の作戦会議で決めた作戦は、夕方から夜に行います。作戦、というのは、飛行機で飛んで行って、敵の船や敵のいる島に爆弾を落とすことです。敵も、そうされないように船や島のまわりに飛行機を飛ばして待っているので、その飛行機を落とすのも作戦です。夕方だと、近付いてくる飛行機がわかりにくいので、攻めるほうは攻撃がしやすいのです。逆に、敵も夜にやってきます。
日記を書いていた人は司令官なので、自分で飛行機に乗ることはありません。夕ごはんを食べると、作戦に出かけて行く飛行機を見送って、あとは待っています。寝た時間が日記に書いていないので、飛行機が帰ってくるまで待っていたかどうかはわかりませんが、その日の作戦の結果がその日のところに書いてあるので、たぶん起きていたのだと思います。
作戦をするいっぽう、敵の飛行機が急に攻撃にやってくることもあります。そうすると、島の飛行場から飛行機が飛んで行って、島に爆弾を落とされないように海の上で空中戦をします。やってくる飛行機の数が多くなると、あぶないので防空壕に入ります。
いま読んでいるころは、この島では、攻撃した船や飛行機の数が、攻撃された数よりも多いです。でも、やってくる敵の飛行機の数は、減るどころか増えてきます。もう少し読んでいくと、やがて、攻撃される数のほうが増えてくるはずです。
2004年02月22日 21時03分15秒

ナムルのこと
あしたのおかずに、もやしのナムルを作りました。ナムルというのは韓国語です。韓国語の料理のなまえには、あてはまる漢字があるものとないものがあるのですが、ナムルには漢字がありません。
もやしのナムルに使うもやしは、大豆もやしといって、豆のところが大きくて茎がじょうぶなものを使います。大豆のことは韓国語で「コン」といいますが、大豆のままも、もやしになったものも、同じく「コン」です。下につく調理法のところで、どんな状態の大豆なのか見当がつくので、使い分ける必要がないのだと思います。「ン」のところの発音は難しくて、まちがえると「(鼻の)穴」という意味になります。
もやしのナムルを作る時に気を付けることは、大豆の香りのくせを取って、歯ごたえは残すことです。
大豆の香りのくせを取るには、大豆もやしを水から、ふたをしたままゆでます。歯ごたえを残すには、ゆでる水を、もやしのひたひたぐらいに少なくして、強火ですぐ沸騰させることです。水が多めだと、お湯になるまでのあいだにもやしがしなやかになりすぎます。
ひたひたの水や調味汁で、お鍋のふたを閉めたまま、材料を水から味付けする調理法を、韓国語で「チム」といいます。「チム」は、蒸す、という意味の韓国語の動詞を名詞化したものです。「チム」にして調理するものには、ひき肉をはさんだなす、えびの塩辛で味をつけたときたまご、骨付き肉などがあります。
歯ごたえをよくするもう一つの方法は、もやしの先の細いところを、一つ一つ取っておくことです。茎が折れているものや、短いものも除いておきます。火を通したもやしにごま油と塩とにんにくで味をつけるのはすぐ終わりますが、ボールに水を入れてもやしを浮かべて先のところを摘むのが、いちばん手間のかかるところです。
2004年02月22日 03時59分35秒

歌のこと
プロフィールのところで書いたように、小さいころから歌を歌っていました。
歌うのがすきだった、というより、かけてもらっていたレコードから聞こえてくる声を出してみたかったのだと思います。
かけてもらっていたレコードは、レオンタイン・プライスという女の人が、オーケストラの伴奏でクリスマスの音楽を歌っているものでした。伴奏の指揮をしているのはカラヤンでした。
まだアルファベットを続けて読むことができなかったので、声を出してみようにも、レコードに入っている歌詞を読んで発音することができませんでした。いちばん気に入っていたのは、「われら3人の王」という歌だったのですが、きこえてくる音だけをまねてみても追いかけきれません。それに、意味がわかっていないので、同じ発音を二度することができません。レコードをかけてもらうには、家族を呼ばなくてはならないうえ、その歌がでてくるまで待っていなくてはなりません。それでは練習ができません。
字を書くことはできたので、紙に書いておこうかとも思いましたが、自分の机がなかったので、書いたものをどうしてよいかわかりません。家族のだれかに見つかって、なにか言われるのはこわくていやでした。
前に一度、なにか自分にとって大切だったにちがいないことを紙に書いておいたものを家族に見つけられて、笑いながらなにか言われた記憶があります。それが、なんともいえなくいやだったので、書いたものはどこかに隠しておこうと思っていたのだと思います。
それで、となりに書いてある日本語(これは読めました)を、おぼえた旋律にあわせて歌ってみました。そうすると、どんなに詰め込んでも、日本語が旋律からはみだしてしまいます。しかたがないのでその歌は声にするのはやめて、頭の中で思い出すだけにしていました。
レコードの中で、歌っているとおりの言葉をちゃんと声にすることができたのは、レコードの裏面のさいごに入っていた「アレルヤ」という歌でした。最初から最後まで「アレルヤ」という言葉がくり返し出てくるだけだったからです。これは、モーツァルトの「エクスルターテ ユビラーテ」という曲の一部です。
歌をおぼえると、レコードをかけてと頼まなくても、そのときの楽しい気分になれる感じがしていました。
2004年02月20日 23時51分31秒

使いわけのこと
きょうも、昔の人が書いた文章を読んでいました。
読む、といっても、実際には、読んだ文章をテキストエディタで入力しています。黙読するだけだったり、相手もなしに朗読するだけだったら、お仕事を頼まれている理由が不可解なものになってしまいます。
いま読んでいる文書を書いた人は、同じ言葉でも漢字の使いわけをします。「私もまた」の「また」を、「又」と書いたり、「亦」と書いたりします。これも、使い分けられている通りに入力します。使い分けの法則を見つけようとしたこともありましたが、まだわかりません。
むかし読んだ日記を書いた人は、(ごはんなどを)「食べる」と「たべる」の2種類の使いわけをしていました。だいたい毎日書かれている日記を6年分ほど読んだとき、ついに法則を発見しました。
普通のごはんの時は「食べる」と漢字で書き、うなぎの時だけ、「たべる」とひらがなで書いてあったのです。
たいへん感動しましたが、感動の持って行き場がありません。
2004年02月20日 00時08分37秒

パスタのこと
さやえんどうを買ってきてパスタを作りました。
住んでいるところのお台所が小さいので、長いパスタはうまくゆでられません。つながったパスタを食べたい時には、カッペリーニという細いものか、タリアテレという平たいものを使います。どちらも鳥の巣のように丸めて乾燥させてあるので、場所をとらずにゆでることができます。きょうは家にあったペンネを使いました。
作り方は以下の通りです。
1、鍋にお湯をわかして、塩を多めに入れてから、食べるぶんのパスタを入れます。
2、お湯が沸くまでのあいだ、さやえんどうの頭としっぽとすじをとっておきます。
3、パスタを入れて少ししたら、さやえんどうを同じ鍋に入れ、いっしょにゆでます。さやえんどうは、パスタがゆであがるまで行動を共にするので、どのぐらいのやわらかさにゆだったものが好きかによって、いつ鍋に入れるか決めます。
4、にんにくの薄切りとベーコンの薄切りとオリーブオイルをフライパンに入れておきます。
5、パスタがちょうどよくなる少し前から、フライパンを熱しておきます。にんにくとベーコンを、どのぐらいカリカリにしたいかによって、熱する時間は違います。
6、にんにくとベーコンの準備ができたら、パスタとさやえんどうを入れます。ゆで汁を少し入れて、少し煮詰めます。(すきやきの最終段階のような感じを想起するとよいと思います)
ゆで汁の塩味で味をつけるので、パスタをゆでるお湯の塩は多めにします。自分でいただく時には、野菜はくたくたに煮るのが好きです。
さやいんげんのほか、菜の花やきゃべつでも同じ感じの料理になります。
また、フライパンでオリーブオイルを熱する時、とうがらしを入れるのも好きです。
2004年02月19日 00時13分15秒

マーカーのこと
調べものが終わったので、家に帰ってから使える時間が多くなりました。
新聞の縮刷は、コピーをとったままにしておくと、いつのものだったか、どこの部分を読むことにしていたのか忘れてしまいます。記事が1面に大きく出ていたり、コピーする時に日付けの部分も入ってくれると楽なのですが、今回は内容が対象にあてはまっていれば、比較的小さな(1段だけの)記事もコピーをとりました。コピーした紙を見ると別の大きな記事に目がいってしまうので、すぐわかるように蛍光ペンで囲んでおくのが、調べものをしていた時の家でのお仕事でした。
高校生のころ、進路指導室の前には、ことしの受験生の数や大学への指向といった受験関係の新聞のコピーを貼る場所がありました。
ある時、「秋サンマ豊漁」という見出しがペンで強調された新聞のコピーが貼ってありました。栄養をつけて受験を乗り切れ、ということなのか、ことしの受験生の数は秋サンマ並みに多いのだから気を抜くな、ということなのか、真意をはかりかねたまま眺めていました。
真にペンで強調されていたのは、となりの記事だったのかもしれません。
2004年02月18日 02時09分55秒

中立のこと
図書館で縮刷版をかかえて飛び回っていた調べものがおわったので、10日近くお休みしていた、昔の人の文章を読むお仕事に戻りました。
いま読んでいるのは、戦争が終わってつかまった人が、裁判のあいだに、自分が今まで感じたことやしてきたことを収監されているところで書いたものです。こどものころの思い出から始まって、日本と中国が戦争をはじめて、それが大きくなりはじめたところまで来ました。
今日は、戦場でミスをして日本に戻される指揮官が出たので、かわりに中国に行くことになった、というところからでした。飛行機に乗って急いで中国に着いてみたところ、戻される指揮官はどうして自分が(こんなことで)戻されてしまうのかとたいへん機嫌を悪くしていて、引き継ぎもしてくれないし、家も明け渡してくれないのでこまったということが書いてありました。
戦争が大きくなりはじめたので、中国でものを売り買いしている外国が、少しづつ中国に味方をするようになってきた様子も書いてあります。
日本と中国の戦争は、はじめのうちは「戦争です」ということになっていないので、どこの国も、どちらの味方にもなってはいけませんという決まり(中立法)が適用されません。他の国からものを買ったり、戦争のしかたを教えてもらわないと戦争ができないからというのもあります。
でも、日本と協定を結んでいるドイツの大砲が、中国側の陣地で見つかります。ドイツが中国に売っていたものでした。売ってはいけませんという決まりはないのですが、遠慮はしたほうがいい状況かもしれない感じはします。
その日の記述には、外国というものは海千山千のものだから、お人好しだったのが悪かったのだろうというような感想が書いてありました。
2004年02月17日 01時05分41秒

おかゆのこと
きのうの夜、寝る前に中華かゆを作りました。作り方は以下のとおりです。
1、作りたい分量の水を鍋にいれます。
2、生の生姜をすこし、皮をむいて細く刻んだものを鍋に加えます。
3、ほたての缶詰をあけて、汁ごと鍋に加えます。そのあと鍋を火にかけて、沸騰させます。
4、お湯が沸くと、少し泡が立つので取って、ごま油と塩と胡椒で、スープより少し濃い味をつけます。
5、作りたい濃さより固い感じを想定した分量のお米を研いでおいて、沸騰している汁に入れます。鍋の底に付かないように、少し混ぜます。
6、鍋を外鍋に入れます。

今日の朝には、少し固めのおかゆができていました。いただく時には別の小さい鍋にいただく分だけとって、水を加えて好きな濃度にゆるくしてから、また温めます。はじめに濃い味にしておくのはそのためです。
おかゆには、刻んだ皮蛋(卵の加工製品)と刻んだねぎを入れました。油条という、薄い塩味がついた揚げ麩がいちばん合うのですが、これは買い置きができません。
ゆるくする前のおかゆは、冷蔵庫に入れておくと少しもちます。
2004年02月15日 19時25分18秒

続・ピアノの演奏会のこと
きのうの日記で書いたように、きょうは「展覧会の絵」のピアノの演奏会に行ってきました。
「展覧会の絵」のピアノ版は、人にかけてもらうのではなくて、自分でレコードを聴くようになった時、好きになった初めての曲です。
家にあったレコードは、作曲家と、そのレコードに入っている曲の説明がのった厚い本のさいごのページが袋になっていて、そこに入っていました。1冊にふたりの作曲家が入っていて、(たまにひとりのこともありました)20冊あった記憶があります。
「展覧会の絵」が好きになったのは、おそらく、曲の解説が曲の情景の説明に終始していたからだと思います。そのころは音楽の用語を知らなかったので、「展開部」とか、「主題が戻ってくる」ことが、解説に描いてあるほど大きい出来事だとは知りませんでした。
習い事をする前だったので、譜例が読めなかったせいもあります。
そのレコードでピアノを演奏していたのは、たぶんリヒテルという人でした。解説を読むと、弱い音の演奏のしかたがすばらしい、と書いてあった記憶があります。でも、そのころは、どういう音や状態がすばらしいことなのか、あまり腑に落ちたことはありませんでした。
リヒテルという人の演奏会が、小学校のころ近くの街でありました。父親に頼んでいっしょに行ってもらったのですが、たぶん、寝てしまって記憶がありません。
大学生になったある日、CDをたまたま聴いていたら、小学生のころの寝ていた演奏会で演奏されていた曲のかけらを思い出しました。ベートーヴェンの「熱情」でした。
2004年02月14日 23時00分27秒

ビドロ状態のこと
しめきりのある調べものを、今日やっと終わらせました。
調べるためには学校の図書館に行かなくてはならなかったのですが、あしたから10日ほど図書館が閉まってしまうので、その前に済ませておかないとしめきりに間に合わなくなってしまいます。
そのため、アーキヴィストの見習いをさせていただいているところに無理を言って、今週は時間を開けていただいていました。(そのわりにはよく公園に回っていましたが、これは立春すぎのよい天気のせいです)

閉館の30分前、あと3件の記事のコピーがおわったら調べものが終わる、という時に、コピー機が紙づまりだといって動かなくなってしまいました。
用紙トレイを開けて紙を取り除いても状態が変わらないので、カウンターの方に来ていただいたのですが、やはり動きません。
そのうち、ひとむかし前のテレビの画像調整のようにボディをひっぱたき始めたので、ちょっとごめんなさいをして地下のコピー機に向かいました。新聞の縮刷版3冊をかかえて。

1冊が猫一匹ほどある新聞の縮刷版をかかえて書架とコピー機のあいだを往復したうえ、最後にはフロアの上下移動までしたので、とても疲れました。あしたは展覧会の絵を聴きに行くのですが、ビドロがもう頭で鳴っています。
2004年02月14日 02時41分51秒

うじゃめのこと
自己紹介で、なぜか好きな香水という設問があったので、補足をします。
自己紹介のページではひらがな標記になっていた香水の名前は、正式にはフランス語で
「Ce soir ou jamais」と綴ります。英語をあてはめると、「This night or never」になります。たいへんせつない名前ですね。ですが、英訳は香水が手許にきてから知ったので、あまり気にしません。 近しい人のあいだでは「うじゃめ」と略称で呼ばれています。
うじゃめは、なつかしい感じのばらの香りがします。
夏のあいだは扇子の紙のところに少しつけて、冬のあいだはコートの下のほうにつけるとちょうどよく香ります。
うじゃめを作っているのは、アニック グタールという会社です。この会社の香水はどれも好きです。東京ですと、新宿の伊勢丹で買うことができます。この会社の香水のことは、そのうちまた書く機会があるだろうと思います。
2004年02月13日 00時57分38秒

ピアノの演奏会のこと
午後から、同じ街の文化会館にピアノの演奏会を聴きに行きました。曲目は、オリヴィエ・メシアンという人の「みどりごイエスにそそぐ20のまなざし」でした。20のピアノ独奏曲でできていて、15分の休憩をいれても、全部弾くのに2時間半かかりました。
むかし、何曲か抜粋したものをプログラムに入れた演奏会を聴きに行ったことはありましたが、全部を一度に弾く演奏会は初めてでした。
音が多くてリズムも複雑で、たいへん難しい曲です。それでも、音になるとなにか圧倒的な意味が見える感じでした。体験する機会はあまりないと思います。
今週は、週末に同じところにピアノの演奏会を聴きに行きます。今度の曲目は、モーツァルトのソナタがいくつかと、ムソルグスキーの「展覧会の絵」です。

夕食を外でいただいてから、また公園に回りました。
池に張り出した大きな木の枝を、大きな猫が枝伝いに、頭を下にして降りようとしていました。
しっぽ(長かったです)をぐるぐる回転させてバランスをとるのを初めてみました。
2004年02月12日 01時11分13秒

におのこと
図書館に用事があって学校に行くついでに、また公園をまわって行きました。
シートがかぶせてあった思い出ベンチが完成していました。
公園の、遊び道具に近いところのベンチに彫ってあるのは、あなたが遊んでいたころを思い出しています。というメッセージと、結婚40周年記念というふたりのお名前でした。

公園の池では、めずらしく「にお」を見かけました。
「にお」は、かいつぶりという別名もある小さな水鳥です。グレープフルーツを半割りにしたぐらいの大きさの、まるっこい形をしています。赤茶色の羽と黒のおなかをして、目は濃い黄色をしています。
公園に水鳥を見にくる人からは、なにかの雛と思われていることが多いですが、あれでおとなです。雛はピンポン玉の半割りぐらいで、鯉に呑まれても不思議ではない小ささです。
それでいて、におは非常に大きな高い声で鳴きます。夜の語らいの途中に心胆を寒からしめられたカップルも多いと思われます。
2004年02月11日 00時34分58秒

苦学生のこと
しているお仕事の一つに、コレクションの目録を作り直す、というのがあります。
コレクションといっても紙なので、見に来て下さる方にはマイクロフィルムを見ていただいています。
こんど、それを画像データにしてハードディスクに入れてしまい、マイクロフィルムのリールを取り替えずに、いくつものリールぶんの内容を見られるようにすることになりました。
これまでの目録は、本のようなかたちになっているものはすべて1つ、と数えていたので、いろいろな種類の文書を綴じたものについては、目録を少し詳しく作り直す必要があります。
大正十四年(1925年)の、東京の学校に通う学生のくらし方調査が出てきました。学校ごとに、出身と人数が書いてあります。
学生の人数が「学生」と「苦学生」に分けて書いてあるのが興味深いです。こういうとき、学生さんは学校に「苦学生届」みたいなのを出すのでしょうか。なにかインセンティブがあるのかも気になります。
2004年02月10日 00時12分23秒

詩編23のこと
まうかめ堂さんから、おとといの日記の、思い出ベンチに書いてあったという詩編23を書いておいてくださいと言われたので、はじめの4行を書いておきます。
 主はわたしの牧者であって、
 わたしには乏しいことがない。
 主はわたしを緑の牧場に伏させ、
 いこいのみぎわに伴われる。 (詩編23)
ベンチに彫ってあったのは3行目と4行目で、公園にちょうどいい言葉です。

詩編23は詩編のなかでも有名なほうです。
讃美歌第二編の41番には、この詩編に曲をつけた
The Lord`s my Shepherd I`ll not want
という歌があります。(手許の讃美歌集は今よりひとつ前のバージョンなので、現行版に残っているかどうかはわかりません)
戦場のメリークリスマスという映画で、連合軍の俘虜が歌っています。
2004年02月08日 14時33分46秒

昔の人の日記のこと
ふつうの日は、お仕事としてアーキヴィストの見習いをしていますが、お休みの日は、昔の人の日記を読んでいます。
昔の言葉づかいで、読みにくい書き方になっているほか、職業によっては専門用語がたくさんでてきます。
でも、大きなできごとにかかわっていた人の場合、その人しか知らないことが書いてあることがあります。
歴史の研究をする時、それは大事な材料になります。
その人とは関係のない人が、日記を手に入れて読んでいるというのには2つの状況があります。
ひとつは、たまたまそれを手に入れて、自分の研究に使うために読んでいる場合で、もうひとつは、たまたまそれを手に入れた人が、分量の多さに共同で読むことをもちかけた場合です。いま読んでいるのは後者にあたります。
日記に書いてあるのは、今から約60年前のできごとです。戦争をするか、もうすこし話し合いを続けてみるか、意見がいろいろ出ています。
ある日の会議では、議題が終わったあと、眠れないので、身体に悪いがお酒を飲まなくてはいられないとか、どうも胃にきてこまるとか、出席者が話していると書かれてありました。
日記を書いた人は、自分はそんなことはないけれど、それは自分が真剣になっていないか、真剣になる気がないからだろうと書いていました。

背景と文字の色が近くて、文が読みにくいことに気付きました。それで、これまでのぶんもまとめて色を変えました。色のコードではc71585にあたります。

昨日、煮茶豚の汁につけた卵が、非常においしい味になりました。黄身も黄色のままです。
ただし、汁からすこし出たところは白のままです。水着を着て日焼けをした時みたいです。
2004年02月08日 00時34分11秒

思い出ベンチのこと
調べもので学校に行くのに、回り道をして公園に寄りました。
思い出ベンチという制度があって、お金を払うとメッセージのついたベンチを公園に置いてくれるという話を、昨年お仕事を退かれた方にお話したところ、詳細を教えてくださいと頼まれました。
申込方法をメールでお送りしたあと、どんなメッセージがあるのか見てみようと思ったからです。
公園は、大きな池のまわりに散歩道があって、その外側に遊び場や音楽堂があります。
池の柵のすぐ外側のベンチは、背もたれのない縁台タイプで、お弁当を広げるには便利な形ですが、思い出ベンチは、縁台ベンチと取り替えて置かれるのではなく、散歩道を越えた外周に置いてありました。
ベンチには背もたれがついていて、両側のほかに2つの手すりが付いています。はじめから、席が3つに区切ってある感じです。(おそらくですが、あんまり太った人は座れません)
背もたれのまん中にプレートが付けてあって、メッセージが彫ってあります。
人が座っているプレートをのぞくのは失礼なので、あいているベンチを見たところ、ひとつには聖書の詩編23が彫ってあり、もうひとつには、またここで会いましょうという意味のことが彫ってありました。メッセージは40文字、そのほか、寄贈者の名前や肩書き分として20文字を彫ることができるそうです。(直筆を彫ってくれるのではなく、活字です)
池の右側しか見ていませんが、完成しているのが4脚、シートがかぶせてあって落成待ちになっているのが3脚ありました。
しめきりは3月10日までで、料金は15万円と20万円だそうです。

昨日まで書いておりました煮茶豚ですが、今日は照りをつける日であったところ、ちっと食い、たんと食いでずいぶんと食べてしまいました。3分の1ほどになったお肉は汁から取り出し、冷蔵庫に入れてあります。
残りの汁を熱くしておき、殻をむいてもこわれないぐらいの柔茹でにした卵を入れ、外鍋に戻しました。
外側に味がついて、中が少し半熟の味付け卵ができればいいのですが。
2004年02月06日 21時50分15秒

続・料理のこと
「煮茶豚」の続きを書きます。
昨日は、お茶で煮た豚肉に、調味料を加えて火にかけるところまでを行いました。
台湾料理によく使われている八角をひとつ入れてみたところ、その香りが全てを圧倒する勢いになり、昨夜はどうなることかと心配しました。
すみませんが八角には退場していただき、生姜とねぎ(青いところ)を多めに加え、全体の味の濃さを少し上げて再び火にかけたところ、香りは緩和されました。
全体に柔らかそうな感じになったので、少しスライスしていただいてみました。
氷砂糖を多めに加えたので、甘味のまさった味に仕上がりました。少しからしをつけるとアクセントになります。
調味汁につけて味を含ませてから、こんどは照りをつける予定です。おいしそうな色をつけるには、ざらめでカラメルを作るか、食紅を準備しなくてはなりません。
副産物としてできた調味汁では、牛肉か卵を煮しめてみようと思います。
2004年02月06日 00時49分58秒

料理のこと
きのうの夜から「煮茶豚」を作りはじめました。
紅茶で豚肉を煮ると、脂が抜けておいしくなるというのです。
帰りに豚のかたまり肉を買ってきて、お湯の中での飛散防止にだしパックに紅茶をつめたものと一緒に、水から火にかけました。
沸騰して、だいたい泡を取り終わったところで、外鍋に戻した(保温調理鍋使用)ところまでがきのうの作業でした。
きょうの朝は、念のためもう一度鍋を火にかけ、こんどは外鍋に戻さずそのままにしておきました。紅茶のパックはここで鍋から出しました。
きょうは帰宅後、煮汁をすべてあけ、肉についたあくを拭きとり、紹興酒と八角と氷砂糖と醤油を入れてまた火にかけました。味をしみこませたあとは、煮汁をにつめて絡める作業が待っています。完成はあすの予定です。
2004年02月04日 21時58分39秒

まうかめ堂さんから依頼をいただいたので、ここに日記を書かせていただけるようになりました。これからどうぞよろしくお願い申し上げます。
2004年02月04日 01時57分01秒


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