すたんこ日記:2004年3月

読み方のこと
 きょうは、小包が届くのを待って午前中はずっと家にいました。小包を待ちながら、読むことを頼まれていた日記を原本のコピーとつきあわせて読んでいたところ、ずっと読むことができないで□(しかく)を入れていたところがふたつ読めました。
 字の読み方や、書き起こす時の作法を教えて下さった大学の先生は、「読みたいように読むのはいちばんいけない」といつも仰っていました。そのころは論文を書くために、論文の主題になった政策を行なったある人のことをたくさん調べていた時でした。なにか資料はありませんかと先生に相談したところ、その人が書いていた日記があって、まだだれも読んでいないといいます。それならやりますといって飛びついたのが、アーキヴィストの見習いになるはじまりでした。
 はじめは、大臣までした有名な人なのに、なぜ日記を読んだ人がいないのだろうと思っていました。ですが日記をコピーして手許において読みはじめると、これは読んでいないのではなく、読めなかったにちがいないということがわかってきました。字が小さい上に、万年筆の加減で字がつぶれている箇所がたくさんあり、しかも横書きに書いてあるため、縦書きを念頭に書かれている字のくずし方辞典が使えません。再び先生に相談したところ、そういう時は、毎日毎日ページをながめていなさいといいます。しかたがないのでじっとながめていたところ、熟語単位ではなく、だんだんと字が読めるようになってきました。そうなったところで方眼のあるノートを買ってきて、読めなかった字を字の数ぶんだけ空白にして読めた字をノートに移してゆき、クロスワードのようになったノートと原本のコピーを先生のところに持っていって読み合わせをする、という作業が毎週1回、2年間続きました。
 読み合わせのとき、先生は、読めなかった字が多い時よりも、その字を別の字と間違えていた時、とりわけ、こういう熟語であってほしいという方向から無理にその字をあてはめてしまった時、たいへん不機嫌になりました。ふだんは何をしても面白そうに放っておいて下さる先生に、「そんなことではいけないでしょう」と強く言われると確かにそんな気になります。そういう場所は空白のままにしておいて、見直す機会を何度でも自分に与えるのだと教わりました。
 
2004年03月31日 23時24分38秒

かすてらのこと
 今日の研究室のおやつはかすてらでした。助手さんが、お彼岸のいただきものを持ってきてくださいました。切るものをどうしようと思っていたところ、最近のかすてらははじめから切ってあると言います。箱を開けてみたら、1棹のかすてらが10切れにきれいに切ってありました。底の紙まですぱっと切れています。ひとり2切れづつ、紙ナフキンで押さえていただきました。
 研究室から散歩をしながら帰る道の途中には、かすてらを切り売りしているお店があります。大通りに面していて、そのお店だけが小さくて古いままの和菓子屋です。季節の和菓子を並べて売っているわきにガラスのケースがおいてあって、だいたいA4版を半分にしたぐらいのかすてらが並べてあります。散歩のたびに気になっていて、ある日お店に入って買ってみたところ、ラップにくるんでから紙に包んでくれました。お店の奥には、窯から出したあと切り分ける前のかすてらが、台所のシンクほどの大きさの型にみっしりと焼けていました。あとさきを考えずにそれを買い、ぐりとぐらのように林の中でみんなで食べる会というのをしてみれば、こどもなどにはよい思い出になるのではと思います。もちろん、型はあとで返します。
2004年03月30日 23時19分12秒

マイクロリーダーのこと
 アーキヴィストの見習いをしているところ(データベースを作る手伝いをしているところ)で、やっとデータベースの項目の入力がおわりました。いちばん時間がかかったのは、資料ごとのマイクロフィルムのコマ数を数えることでした。昔は、すこしでも多くの画像を1リールに入れるために、資料と資料のあいだの説明の紙(ターゲットといいます)をはさまないで撮影をしていました。そのようなリールはリーダーにかけて、実際にコマ数を数えて入力しなくてはならなかったからです。
 仕事場には複写機能のついた電動リーダーがあるのですが、1コマずつ画像を送っていく機能とカウンターのところが少しへんてこです。ボタン1押しで1コマ分リールを送ってくれるはずの送り幅が実際のリールの1コマの長さより微妙に短く、ある数以上コマ送りをすると、コマとコマの間の黒い部分が中心にきてしまい、9・5なのか10・5なのかわからなくなってしまいます。そんな時には、何回ボタンを押したか表示されるカウンターを見ればよいはずなのですが、10回しかボタンを押した記憶がないのに、カウンターの数字が200を超えていたりすることもあって、これもあてになりません。こんなカウンターでも何とか使えないか考えて、送りボタンを1回押すとカウンターの数字がいくつ進むのか、法則を見つけようとしたこともありましたが、1回目は7、2回目は5、3回目は6、と、何とも不思議な進み方をするのでお手上げでした。結局、いちばん基本的な機能であるところの、昔のテレビの音の調節のようなつまみを調節して、ゆっくりフィルムを流しながら数を数えることになったのですが、これも少し力を入れるとフィルムがしゅるしゅると巻かれてしまい、そのたびにぎゃあと悲鳴を上げては1から数えなおしです。書庫の奥から古い手回しのマイクロリーダーが出てくるまで、まる2日は時間を無駄にしてしまったと思われます。
 それでも、データベースの項目の入力が終わったことは、システム全体に必要な手間のまだ半分です。こんどは、入力した項目が本当に正しいかのチェックをしたり、データベースを使って下さる方がどんな項目を使って資料にたどり着くか考えて検索窓の数を考えたり、さがしたい資料をすぐ出せるようにするためにヒントを入力したりといった作業があります。
 今日はまた、夏に時間を作って日本に来て資料を見たいのですがというお知らせが外国から届きました。必要な資料をなるべくたくさん見たいので、ご自分が調べておられることがらや時期に関係のありそうなものを知らせて下さいということです。データベースでことがらや時期を調べてから、あてはまる資料の分量や、撮影の可/不可、復刻や翻刻の有無などをお知らせするのも、アーキヴィストのお仕事です。
2004年03月29日 22時57分40秒

日曜日の朝のこと
 きのうは、アメリカの大学で歴史学の先生をしておられる方が、ご自分のことや、家族のことをお話するという会に出かけてきました。日本にもアメリカ史研究という分野があるように、アメリカにも日本史研究という分野があって、どんなものや方法を重視して研究をするかによって、いくつかの流派のようなものに分かれています。その先生が採っておられる方法は実証主義といって、研究の対象とする時期に書かれたものを(ほんとうに)たくさん読んで、そのできごとがどうしてそのように起こったのかを詰めてゆくというものです。その先生は、日本史のなかでも20世紀になってからの時代を中心として、大きな本を英語や日本語で書きました。また、アメリカと日本で、たくさんの教え子を作りました。
 先生のお話は、日本とアメリカが戦争をはじめた日の思い出からはじまりました。
 先生が住んでいたところは、軍の大きな基地があるところでした。戦争に出かける準備をした船や飛行機がたくさんあって、たくさんの兵隊がアメリカじゅうから集まって仕事をしていました。山の上には、敵の飛行機を落とすための高射砲が据え付けてありました。
 その日は天気のよい日曜日で、こどもだった先生は礼拝に出かけるために教会に向かっていました。いつもは訓練の白い煙をあげている高射砲から、きょうは黒い煙が出ています。ふしぎに思っているとおとなが走ってきて、「これは訓練じゃない、ほんとうの戦争が始まったんだぞ」と叫ぶので急いで家に戻ったという話を、先生は大きな声でして下さいました。1時間半があっという間でした。
 お話の会のあとは、話を聴きに来た人みんなで、先生を建物の門のところまで送りました。歩きながらも先生のお話は続いていて、戦争が終わった年に日本に来たら、新宿から中野が見えたこととか、有楽町の大きなビルから海が見えたことなどを話して下さいました。「Nothing だったのです、どこも。ほんとうに。」と、両手を広げて何度も話して下さいました。
2004年03月28日 21時28分59秒

切り干しのこと
 半月ほど前、父親がこまごました食べ物を小包で送ってくれた中に、たくさんの切り干しがありました。父親は、郷里の県のあちこちにでかけるたびに、地元の農家の方々がこしらえた作物や保存食を売っているところをまわって珍しいものを見つけてくるのが好きです。送られてきた小包はそのおすそわけで、切り干しの他に、米をポップコーンのようにはじけさせて甘味をつけた菓子や、平たく叩いた大豆や、山の蜂蜜や、干し柿や謎の芋(ヤーコンというのだそうです)などがみっしり箱に詰めてありました。直裁な物言いになりますが、これで当分食べ物に困ることはありません。
 切り干しは、切り方を変えたものが4種類、それぞれ袋に詰めてありました。最近の農産物直売所では、品物ひとつひとつに作った人の名前が付けてあります。ラベルのついた4種類の切り干しは、見方によっては民俗学の資料と言えるかもしれません。とりわけ、大根をおでんの厚さに輪切りにして、中心に箸で穴をあけて紐を通して干したものは、よほど寒い風と乾燥がないと作れないもので、郷里でもあまり見かけることがなくなっていたものでした。水につけて戻し、さつまあげといっしょにお醤油と砂糖で煮たところ、よく味がしみていながらぽりぽりした歯ごたえのする変わった煮物になりました。
 残りの切り干しは、千六本を干したふつうのものと、いちょう切りにした大根を干したものと、大根の長さをそのままにして、かんぴょうのように長く干したものです。食べ方は、これから考えることにします。
2004年03月28日 01時33分17秒

うそどりのこと
 アーキヴィストの見習いをしている研究室は2階にあって、窓の外は大きな桜の木が並んで植えてあります。建物ができた時に植えたものなので、およそ30年ほどたっているものと思われます。花枝の高さが窓の高さと同じところにくるので、窓の外は桜色です。いろいろな鳥が、花を食べに来たり蜜を吸いに来たりするのも見えます。きょうはうそどりが来て、がつがつと花や蕾を散らかしていました。うそどりは鳩と雀の中間ぐらいの大きさで、灰色の背中と桜色のふくふくした胸をしています。桜を食べるので、赤カナリヤの要領で羽根に色がうつるのだと思われます。桜の木の下は、うそどりが食べる時に落とした、がくの付け根のところで摘まれた桜の花でいっぱいです。
 もう少し暖かくなると、桜の木にはきじ鳩が来て子育てをします。枝に巣が見当たらないので、おそらくベランダの室外機のすみにでも巣を作っているのでしょう。昨年、この研究室に通うようになった時には、電線に並んだ鳩の家族がかわいいので、先生に餌付けをしていいか尋ねてしまいました。もちろんだめでした。
 
 春になったので、といいますか、数日前からなんとなく文字の色をかえました。こんどの色は、色コードでは336600という色にあたります。
2004年03月26日 23時24分00秒

「人間の顔」のこと
 フランシス・プーランクという作曲家はフランス生まれの人で、合唱曲や、ピアノの小さな曲や、教会のための音楽をたくさん作りました。
 プーランクの名前を知ったのは、高校生の時、合唱の全国大会のプログラムに、プーランクの合唱曲を演奏する合唱団が紹介文を書いているのを読んだときでした。演奏が難しいのでこれまで演奏されなかったらしいことと、歌詞の翻訳が心に残ったことを憶えています。大学に入ってからCDを買って聴くようになりました。
 好きな曲は、「人間の顔」という8つの合唱を集めた曲集です(プーランクには「人間の声」というひとりで歌うオペラもありますが、それとはちがいます)。1945年のきょう、イギリスで初めて演奏されました。
 曲集のさいごに置かれているのが、高校生のころに歌詞の翻訳を読んだ「リベルテ」という曲です。ソプラノ・アルト・テナー・バスで1組になった合唱が2グループになって歌い、最後にはソプラノがひとりで、高いドの上のミの音を、「リベルテ」の「テ」の発音で、指揮者が手を下ろすまで息継ぎをしないで発声します。CDを聴くと、直前まで歌詞を歌っていた人とはべつに、さいごだけを歌う人がいるようです。
 「リベルテ」のさいごの部分の歌詞を、英語のノートから訳して書いておきます。歌詞を作ったのは、ポール エリュアールという人です。
 
 そして、ひとつのことばの力を借りて
 わたしは人生をふたたび始める
 わたしは生まれた あなたを知るために
 あなたを名付けるために 
 自由と
2004年03月25日 22時44分42秒

抜けのこと
 南の島で作戦をしていた人の日記に、抜けている日が見つかりました。ノートに自分で日付けを書いて、その日あったことを書いていく日記には、書き忘れたり書くことがなかった日の記事がないことがよくありますが、この日記は日記専用の日付けの入ったノートに書かれていたので、よく見たところページが抜けていることに気付きました。はじめにこの日記を外国で見つけてきて複写をし、いっしょに読むことを持ちかけてきた方に相談したところ、その方は、ここにはきっと大切なことが書いてあって、特別に解析するために日記の所有先の機関が別に保存しているにちがいないといいます。それで、大急ぎで英文でメールを書いて、どうなっているかたずねて下さることになりました。
 知られている戦史と日記をつきあわせると、この日記を書いた人がいた島でおこった大きな事件の日付けと、日記の抜けている部分には1週間のずれがあります。大きな事件(全体の指揮をしていた司令官が敵に襲われて亡くなってしまったこと)の日の日記は残っていて、その1週間前の2日ぶんが抜けているのは少し気になります。この事件は、よく準備した敵が、まったくそれに気付かないでいた司令官を攻撃したとされているのですが、もしかしたら抜けている日には、敵の準備に気付いたことを示す記事があるのかもしれません。
 でも、また考えてみると、ある攻撃が敵にどのぐらい打撃を与えたかを解析するなら、事件のその日を含む、もっと広い幅を解析の対象にするはずです。それに、複写された紙面の欠けている前後の日を見ても、切り取られたような跡は見られません。また、この日記はアーキヴィストの方がきちんとした目録をとって下さっているので、切り取るなどの処置をした時には、ここにこういう処置をしましたというただし書きが付くはずです。作為が1で、ミスの可能性が9ぐらいの割合だと考えながら、外国からの返事が届くのを待っていました。
 今週のはじめに、問い合わせをして下さった方からお知らせがありました。やはりというか、複写の際のプリントアウトもれだったということで、半ページで1日になっている日記が2日ぶん、ファクスで送られてきました。急いで読んだところ、書かれていたのは、1日めが、起きて、散歩をして、会議に出て、映画を見て、というおだやかなその日の出来事で、2日めが、島の近くで攻撃の練習をしていた飛行機が、まちがって島の人がいるほうに向けて機関銃を撃ってしまい、何人かけが人が出たという記事でした。
 ファクス到着のお礼の電話のついでに、その場で日記を読み上げると、電話の先の主はなんだか拍子抜けのような声で、これだけしか書いてないの?と言います。大切なことがもうひとつ書いてありましたと言って、調子が悪そうに周りに言われるので軍医に診てもらったところ、血圧は136で快調である、と書いてありました、と答えると、電話の先の主はもっと拍子抜けしたようでした。急に命令をもらって日本から南の島に着任して、がんばって作戦をしてもうすぐ一年になる頃の記事なのですから、もっと感心してもよいとは思うのです。
2004年03月24日 23時51分18秒

ならべかえのこと
 家には、おそらく300枚近くのCDがあります。このほか、知り合いのお宅に連れていって、そのままそこに居着いていると思われるCDもあります。まうかめ堂さんのところに貸してある古楽のCDもあって、それらを足すともう20枚ほど増えるかもしれません。CDは、幅が一メートルほどの本棚の2段ぶんをとった置き場所にしまってあります。棚に奥行きがあるので、奥に並べた前に、もう一列並べてあります。並びきれないぶんもあって、それは列の上に横にして詰めてあります。
 奥に並べたCDの列の前にびっしりCDを並べてしまうと、うしろのCDが取り出しにくくなります。そのため、前の列には10枚ぶんぐらいの空きを作っておいて、聴きたいCDを探す時には、前の列をずらして探し物をします。それでも、たとえば同じ曲で演奏者が異なるCDの場合、手に取りやすいところのものばかりを聴いてしまうことになるので、ときどき並べ方をシャッフルして、なんといいますか、三角食べの励行のようなことをすることにしています。
 いちばん最近の並べ替えは日曜日でした。前の列にかたまっていたのでよく聴いていたマタイ受難曲を、1枚(1組)を残して後ろに置き、後ろにかたまっていた「20世紀の偉大なピアニスト」のうち、カサドシュがバッハのフランス組曲を演奏している巻を前に出しました。オルガンとチェンバロの演奏会に出かけてから、ピアノで弾いたバッハを聴きたくなったので、やはりバッハの演奏が納められているリパッティとバックハウスのCDをそのとなりに置きました。声のCDでは、プーランクとメシアンのCDをまとめて前に並べました。これも、先月メシアンの曲の演奏会に出かけたからだと思います。
 ピアノで弾いたバッハを、演奏会できちんと聴いたことは、実はないかもしれません。(チェンバロで弾いた演奏会は何回かあります)以前、とてもよい機会に招いていただいたことがあったのですが、演奏の途中に具合を悪くして中座してしまい、ちょうどバッハを弾いているところを聴くことができませんでした。
 
2004年03月23日 23時04分46秒

切り花のこと
 だんだん春になったので、花屋さんで花を買っては部屋にかざっています。少し前までは黄色のフリージアをかざっていて、それが少しくたびれてきたので(すたんこ花でしょうか)きょうは桃色とばらいろのスイートピーを一束づつ買ってきて、色を混ぜてかざりました。いろいろな花や葉を組み合わせてあるものよりも、一種類だけをすとんと花器に入れる方法がすきです。花器といっても専用のものではなくて、花の茎の込み具合によって、夏の麦茶に使うガラスのポットと、中国茶を飲む時に使うガラスの小さなピッチャーを使い分けています。(たべものに使う時には、その前によく漂白します。また、花の長もち剤は念のため使わないことにしています)水の中の茎や葉が見えないものは、水のとりかえ時がわかりにくいのでほとんど使いません。たまに、半球形の金網が入ったローズボウルという花器を使うぐらいです。
 花は束で買ってくるので、花器がいっぱいになると、小さいガラスのコップに入れて洗面所におすそ分けします。大きな茎についた花のほうはくたびれたけれど、脇についたつぼみがまだがんばっている時は、そこだけ切って洗面所におき、もう一花咲いていただくことにしています。
 花器をおく場所は、机のわきの、机より少し高い棚の上です。聖書とさんびかと今研究で読んでいる本と、もう亡くなってしまった親しい方々の写真がおいてあります。亡くなった方々を思い出しながら、でもじぶんは何とかがんばっていますよ、とお知らせする場所かもしれません。
2004年03月22日 21時47分38秒

続・上京のこと
 きのうは、おじといっしょに上京してきた祖母に会いに、祖母のいとこの家まで出かけてきました。祖母のいとこは、祖母の(はじめの)母のきょうだいのむすめにあたるそうです。祖母と9つ年が離れていて、今年で89才になります。禅宗のお坊さんと結婚して、神奈川でお寺のお庫裏さまをしています。
 お寺の門のところで待ち合わせをして、祖母とおじといっしょに、祖母のいとこに会いました。祖母は、郷里にいる時は郷里の方言で話しているのですが、いとこと話をはじめると東京のことばになりました。話す速さも、昔いっしょにあそんでいた時代、おそらく70年ほど前のちゃきちゃきした速さに戻っています。わたしにはしらない人の名前をお互いに挙げながら、ふたりできゃあきゃあと笑っていました。
 祖母は、祖母の祖母がいとこの母親とうつっている写真や、祖母といとこのきょうだいたちが一緒にうつっている写真を、おみやげにといって持ってきていました。これは原本ではなく、祖母の手持ちの写真を、写真屋さんにたのんで拡大複写していただいたものです。ちいさいころ母親が亡くなった時に、祖母のところには祖母の母の親戚からたくさんの写真が母の思い出として贈られていました。いっぽう、祖母に写真を贈った親戚は多くが横浜に住んでいたので、地震や戦争で横浜が焼けてしまった時に、家といっしょに写真を失ってしまっていました。
 少し風邪をひいていたので、いっしょに夕食までいただいておいとましてきました。祖母たちは、昔住んでいた横浜にまわって帰る予定です。
2004年03月21日 21時48分00秒

いとこのこと
 結婚してアメリカにすんでいるいとこ(母親のきょうだいのこども)に、ふたりめの赤ちゃんが生まれました。男の子で、名前はイアンになりました。ひとりめのこどもも男の子で、名前はスペンサーです。スペンサーという名前は、いとこの夫の父親がつけました。イアンという名前は、いとこの夫のあたらしい父親がつけました。いとこの夫のご両親は、いとこが結婚するころにはべつべつにあたらしいパートナーと暮らしていたので、日本で披露宴をした時には、新郎の父と新郎の母と新郎の父の友人(という名前のあたらしいパートナー)が、アメリカから来て下さっていました。昨年はいとこの両親が、いとこの夫のあたらしい父親のところにご挨拶に行きました。いとこの夫のあたらしい父親はナポリ生まれなので、イアンという名前はおそらくイタリア語ではないかと思われます。
 スペンサーは、アメリカでテロのあった日に生まれました。はじめての赤ちゃんは、生まれる予定の日よりおそく生まれることが多いというので、少しでもアメリカで世話をする日数を増やそうと、いとこの母(わたしのおば)は赤ちゃんが生まれたという知らせを受け取ってからアメリカに行く段取りを取っていました。ですが、テロで飛行機が飛ばなくなってしまい、しばらくのあいだ、アメリカに行くことも荷物を送ることもできなくなってしまっていました。今回はふたりめなので、予定の日からそうずれることはないだろうと、おばはもうアメリカに着いています。
 いとこからは、ときどきスペンサーたちの写真がメールで届きます。研究室のパソコンの壁紙にしています。 
2004年03月21日 00時15分36秒

上京のこと
 あしたは、郷里から祖母がおじといっしょにやってきます。祖母は父親の母親にあたり、ことしの四月になると80才になります(母親の母親は、わたしがかかっているのと同じ病気で、64才で亡くなりました)。むかしの人にはめずらしく一人っ子だったうえ、小さいころに母親がかわってしまっているので、あまり親戚がありません。ひとりだけのいとこの家で大きな法事があるので、遠いところを出てきます。あしたはお天気があまりよくないというので、少し心配です。
 祖母は、もともと東京うまれです。向島の小梅町というところだそうです。朝になると、豆を煮たものや貝を売りに来る人がいて、そこからものを買って朝ごはんをとっていたこととか、しゃこをたくさん買ってゆで、おなかいっぱいになるまで食べたこと(今でも、お寿司でしゃこを食べるたびに、むかしのしゃこは大きくておいしかったと話しています)などを、よく話してくれました。むかしの人の日記を読む時は、祖母が伝えてくれたむかしの空気を集めて、高くアンテナを立てて耳をすますことにしています。 
2004年03月19日 22時54分39秒

チェンバロの演奏会のこと
 火曜日に、チェンバロとオルガンの演奏会に出かけてきました。演奏をしたのはイタリアの方で、いつもは外国の音楽大学で通奏低音を教えているということです。夜の演奏会でしたが、燕尾服ではなく、灰色のスーツを着ていました。スーツの上着には、まんなかが分かれるものと両側が分かれるものがありますが、上着は両側が分かれるものでした。オルガンの長い椅子に座るのにちょうどよいからだと思います。
 演奏会は、前半がチェンバロの演奏で、後半はチェンバロをステージのわきに下げて、ステージにそなえてあるオルガンを演奏しました。オルガンの演奏台は少し高いところにあるので、六角形を半分にした形の、三方から昇り降りできる階段がついています。その形が、フラ・アンジェリコの聖母の戴冠の絵に書かれている戴冠座とちょうど同じことに気付きました。ステージの階段はオルガンの色にあわせた白木ですが、アンジェリコの絵の段は、一段ごとに凝ったマーブル模様と金の飾りが描かれています。曲目は、バッハや、バッハの子孫や、オペラのように華やかなオルガン曲などでした。
 あたたかい日だったので、駅まで歩いて帰りました。人の家のさくら具合を見て歩いたり、大きなけやきの木がある公園に回り道をしたりしました。
 
2004年03月18日 21時10分54秒

もくれんのこと
 先週、脚の検査をして心配なしの結果を聞いたあとは、お世話になった方にお会いするために銀座の近くまで出かけていました。おいしいごはんをごちそうしていただいたあと、久しぶりなので銀座を散歩しました。新橋駅のむこうから、銀座の三越の少し先まで、寄り道をしながら歩きました。
 とちゅう、すずらん通りにあるサンタマリア教会薬局というお店に寄りました。このお店はイタリアに本店があって、浴室用の石鹸や、花の香りのするコロンや、香り袋などを売っています。昨年の末に、このお店のコロンと石鹸とお茶をプレゼントでいただいたのですが、それがよい香りだったので、もう1びんコロンを買おうと思いました。少し痛くて怖かった検査が終わったので、なにか楽しいことをしようと思ったのだと思います。
 コロンの見本は戸のついた棚にしまってあって、お店の方に頼んで1種類づつ紙につけてもらいます。コロンをつけた紙を並べて順にくんくんして、夜来香の香りを選ぶことにしました。この花は夏の夕方から夜にかけて咲く白い花です。コロンをつけてもらった紙は、小さな封筒に入れて一緒に袋に入れて下さるので、本にはさんでおくとよい香りがうつります。
 昨年いただいたコロンは、もくれんの香りです。英語ではマグノリアといいます。ちょうど今の時期に、白や紫の大きな花をつけます。まとまって植えてあるところがあまりないので、はっきり花の香りがわかる機会は少ないのですが、一本咲いていると、まわりの空気の味が少し甘く変わります。
 マグノリアと称される香りには、梅雨のころに花をつける泰山木の香りもふくまれるという説もあり、そのような感じもします。泰山木の花については、川端康成の「片腕」という短いお話に、姿と香りが書かれています。
2004年03月18日 00時39分01秒

改訂・大学芋のこと
 先日、大学芋の作り方を書きましたが、その後、別の方法による作り方を見つけましたので、改訂を書きます。
 さつまいもは、あらかじめ水からゆでなくとも、少し多めの油に入れて火を通すと、中まで火が通ります。その時、熱した油にさつまいもを入れると、火が通る前に色がついて固くなりすぎてしまうので、さつまいもと、さつまいもがつかるぐらいの油を同時にフライパンに入れて、ちょうど水から火にかけるように、油を火にかけます。火は強くないほうがよいです。切ったときは白いさつまいもの切り口が、だんだん黄色になり、中に火が通って煮えたような感じになったあと、表面と中身のあいだに空気が入ってぷうと膨らんできます。切り口の角のあたりがすこし狐色になったら、油からあげて紙をしいた皿にとっておきます。
 さつまいもの量が多い時には、数回にわけて油を通すことになりますが、はじめの回のさつまいもを取り出したあとの熱い油に次のさつまいもを入れてすぐ火にかけると、中まで火が通らないうちに色がついてしまいます。その場合は、熱い油に次の回のさつまいもを入れたら、火からおろして油をさまし、フライパンの中の変化がおさまるのを待って、また火にかけなおします。
 切ったぶんだけのさつまいもに油を通し終わったら、フライパンから油を除いてみつをからめるのは先日と同じです。ですが、ゆでて火を通したあと油に通したさつまいもと比べて、はじめから油だけを通したさつまいものほうが、表面が固い感じです。表面が飴状に固くて、中がやさしい歯ごたえが好きな場合は、みつをはじめから濃く仕上げておいて、短い時間でからめるようにします。
2004年03月17日 01時12分03秒

研究会のこと
 きょうは、戦争が終わってからの日本について研究をしようとする時、今のところどんな材料が知られていて、その材料をよく研究するとどんなことを知ることができるかを研究する研究会がありました。あらかじめ決まった本や論文をみんなで読んできて、お互いに、こうしたら次からよい研究ができるということを話し合うという研究会もありますが、この研究会は、たとえて言うと、おいしい山菜が生えている山の場所を知っている人がみんなにその場所を教えて、それと同時に、その山菜の新しい料理のしかたを教わったりする会のようなものです。研究会に来られる方々はみんな、たとえて言えば自分で山に入って、熊に出会ったり手ぶらで帰ってきたりすることをくり返す中からその場所を見つけてきた方なので、使ってよいという許可をもらわないで材料を使ったり、材料を自分で持っていってしまうようなことはしません。研究会でお話をしたことは、録音をしておいてあとで本にして、大きな図書館に置いていただきます。
 きょうの内容は、戦争がおわったあと、日本がまた戦車や戦闘機を計画を立てて持つようになるまでのことを調べる材料が、どこに分かれて納められていて、それぞれのまとまりに、いつごろのことが書いてあるのかを教えていただきました。戦争が終わったあとの日本のことを調べるのには、外国に出かける人が多いのですが、日本の(東京の)中にも、このぐらいの材料がたくさんあるのです、というお話でした。
 お話のあとの質疑応答では、戦争のあいだや戦争の前にどんな仕事をしてきたかによって、自衛をするために必要なものや考え方がちがうという見方を教えていただきました。たとえば、飛行機を買うにしても、むかし飛行機を操縦していた人は、いちばん新しい設備がついた飛行機をまっさきに操縦してみたいと思うし、むかし貿易をしていた人は、日本にまにあう性能で、安くてたくさん買える飛行機を買うのがよい仕事だと思うし、むかし工業をしていた人は、少し高くついても、日本の工場で飛行機が作れるようになったら、高い技術が日本に身に付いて結局はお得になると考えるだろう、というようなことです。
 その見方を教えて下さった方の話を聞いていた別の方からは、日本に飛行機を売ろうと思っていた国の営業の係の人は、自分が担当する日本のカウンターパートの人がどのタイプに属していたか、ちゃんと調べていたのかどうか、その国の材料で調べてみるとおもしろいだろうというお話をうかがいました。みんなですると、研究は広がる感じがします。
2004年03月16日 02時01分51秒

大学芋のこと
 思い立って大学芋を作りました。昨年の秋のおわりごろ、知り合いの方からさつまいもを十数本いただき、これまでいろいろ料理してきたのですが、さいごの四本が年を越して今になってしまいました。端のほうから小さな芽が出ているほかは、品質に変わりはなさそうに見えるのですが(さまざまな野菜と比較すると、ものすごい保存性だと思います)、野菜をしまってある箱に目をやるたびに目があってしまうので、春になる前になんとかしようと思い立ったのです。
 生のさつまいもを油で揚げて中に火を通して柔らかくするには、手持ちの調理器具では間に合いません。そのため、お鍋に入る大きさに切り分けたさつまいもを水から火にかけ、はじめに中まで火を通しました。油で揚げる時の大きさまで切ってしまうと、火を通す時に端がくずれてしまうので、大きなままにしておくのがこつです。火が通ったあとで、食べる大きさに切り分けておきます。皮はつけておくのがすきです。
 さつまいもに火を通しているあいだに、小さなお鍋にお砂糖と水と少しのお醤油をいれて火にかけ、みつを作っておきます。火を通したさつまいもをフライパンで油で揚げたあと、油をあけてみつを入れるので、みつはここで完成まで煮ないようにしておきます。
 次に、フライパンに油を多めにいれて熱し、さつまいもを入れ、よい色になるまで揚げます。中には火が通っているのですが、おいもの中の水分がある程度の量まで減らないと色がつかないので、思った以上に時間がかかります。色がついたさつまいもは、紙(今回はプリンター用紙を使いました)を敷いたお皿に広げておきます。
 用意した分量のさつまいもを揚げ終わったら、フライパンに残った油を外に出します。油はさほどくたびれていないので、とっておいて料理に使うことができます。油を除いたフライパンにみつを移し、再び火を通して煮詰めたら、揚げておいたさつまいもをからめます。みつがさつまいもにからんだら、すぐ火からおろしてうちわであおぐと、よいつやが出ます。温かいままふたの付いた入れ物に移すと水滴がこもってしまうので、冷めてから保存容器に移します。
 大学芋は、通っていた大学の食堂でいただいていたものがいちばんすきでした。調べものがあって大学に出かけてお昼に重なると、たまに今でもいただいています。
2004年03月14日 23時42分00秒

検査のこと
 きょうは朝早く起きて、近くの少し大きな病院で骨の検査をしていただきました。一月のおわりの寒い日に、すこし長い時間を歩いたところ、次の日からすこしづつ片足が痛くなり、歩いた日の週末にはほとんど歩けなくなってしまいました。歩く動作の途中の、ほんの少し片足だけになるところがとても痛くて、次の一歩の足が出ないのです。学校に行く予定があったのをやめて、そのまま近くの整形外科のお医者さんに出かけてレントゲンをとっていただいたところ、骨におかしなところはないということなのですが、しばらく様子をみても痛いのがなくなりません。問診票の、飲んでいる薬の欄を見たお医者さんが少し心配そうな顔をして、小さいころからいろいろなお薬を飲んでいると、おとなになって骨が弱くなってしまうことがあるといって、少しくわしく検査をすることをすすめて下さいました。そのお医者さんのところには検査の機械がないので、近くで、検査の機械のある病院に依頼状を書いて下さったのです。土曜日で機械があいている日がなかなかないので、はじめにお医者さんに出かけた日から時間がたってしまいました。それまでのあいだは、足をあたためたり、マッサージしたりして様子を見ていました。いまは、はじめよりずっと痛いのはおさまりましたが、走ろうとするとうまく力が入らないので走れません。
 きょうの検査は、体に磁気をあてて内部のようすを撮影する検査と、はじめに腕になにか注射をして、そのお薬が体のどこに集まっているかを撮影する検査でした。磁気をあてる検査は、ベッドにのって動かないように体をおさえてもらったあと、筒のなかに入ってしばらくじっとしています。動かないでいてくださいと係の技師の方に言われたのですが、息をすると胸とおなかが上下してしまいます。横にくねくねするのは動きが出ていけないのだろうけれど、厚さが上下するのはだいじょうぶだろうと思っていたら、そのようでした。注射をして撮影をする検査では、やはりベッドの上にじっとしている体すれすれに、大きくて平らな機械を近付けて、すべらせるようにして頭から足まで撮影をしました。
 検査が終わると、できたフィルムを技師の方が渡して下さいました。それを持ってはじめのお医者さんまで戻って、どんな結果だったかお話を聞きます。自分のなまえと生年月日と「股関節」ということばが大きく書いてある大きな封筒を持って電車にのるのは、なんだかふしぎなような恥ずかしいような感じがしました。
 検査の結果は、撮影をした技師の方の所見と、整形外科の先生からうかがうことになっています。整形外科の先生のお話では、それほど心配することはなく、大きな手当てを急いでする必要はありませんということでした。時間をおいて同じ検査をして状態をみながら、マッサージをしたり、冷やしたりしないようにすることを長く続けるのがいちばんの方法だということです。

 
 
2004年03月13日 23時25分58秒

シュークリームのこと
 いまお仕事をしているとこで、昨年までいっしょに仕事をしていた方が、きのう研究室に遊びにきてくださいました。わたしはかぜが快復して、今週の月曜日から研究室に復帰していますが、研究室はいまがかぜのさかりです。先生は今週、ほとんどご自宅で臥せっておられ、助手さんは毎日点滴をしています。のんびり遊びにこられたその方はすっかり驚いたようすで、シュークリームを置いて帰ってゆかれました。本来のスタッフの人数分のシュークリームは余ってしまい、あしたまた、ということで涼しいところに置かれました。
 シュークリームにはいろいろな種類がありますが、わたしが好きなものは、なかみがカスタードクリームで、皮がさくさくしたものです。さくさくした皮に、炒ったアーモンドや粉砂糖がふりかけてあるものがいちばんですが、注意して口に持っていかないと、そこらに粉だの粒だのを落としたり、カスタードクリームを噴き出させることになります。紙ナプキンでおさえてむしゃむしゃやる了見のほうが悪いのかもしれませんが。
 あしたまた、と言ってとっておいたシュークリームは3つでしたが、きょう研究室に出てくることができたのはわたしともうひとりでした。もうひとりの方は甘いものが苦手というので、2つと1つに分け、1つをおやつにしたあと、1つを持って帰ることにしました。シュークリームの箱を大切にかかえて駅の改札口までゆっくり歩き、きっぷを改札に入れようとしたところ、きっぷを入れたお財布がありません。考えると、お仕事で持って歩くかばんを研究室に置いて、シュークリームだけ持ってきたことに気付きました。10分の道をもどって、かばんを取って帰りました。
2004年03月12日 22時44分18秒

猫の春秋のこと
 すんでいるところから、近くの駅まで歩く途中に、店先に猫のいる焼き鳥屋さんがあります。猫は飼われているのではないようなのですが、お店の方が食事や水を出しています。朝に見ると、お店の向かいのケーキ屋さんの前で日にあたっていることが多く、夜に見ると、焼き鳥屋さんの入り口の引き戸の前に丸くなっていたり、串をあぶっているのが見えるようになっているガラス窓の前に陣取って眠っていたりします。炭火の熱が伝わって、すこし暖かくなっている場所なのでしょう。
 焼き鳥屋さんの前を通るようになった5年ほど前から昨年までは、赤茶虎といいますか、オレンジママレードの色柄をした猫がいつもいました。その猫はかあさん猫で、いわゆる恋の季節になると、少しおなかが大きくなり、やがてかあさんになりました。とおさんはいつも違うようなのですが、かあさん猫の近くにいる大きな猫の色柄と、子猫の色柄から見当がつくこともあります。おおむね年に2回の子育てを数年見ているのですが、ある年の子猫だった猫が、少したった年のとおさん猫になっていることもあり、それが猫の春秋なのだと思うこともありました。
 3年前の春、かあさん猫の子猫の中に、ふさふさした毛の子猫が1つ混ざっていました。ふさふさした毛の子猫は、大きくなってもかあさん猫といっしょに店の前で暮らしていました。すっかりしょげしょげになったかあさん猫が、かあさん猫と同じ大きさの、いかにも羽振りのよい子猫に乳をあげていることも、やはり猫の春秋なのだと思いました。ちょうど、自分の近くで病む人やいのちを失う人が相次いでいたので、かあさん猫と子猫のくらしは、あまりひと事に見えなかったせいもあります。かあさん猫がしばらく姿を見せないでいるのに、あの猫はまだがんばっているよと電話で知らせたことも、じつは数回ありました。
 昨年の今あたりに、かあさん猫は姿を見せなくなり、それっきりになりました。ふさふさした毛の子猫はもう大きくなっており、その春に、おそらく同じ年にいっしょに生まれたきょうだい猫とのあいだに、きょうだいのかあさんと同じ赤茶虎と、とおさん猫と同じ灰色の縞と、どちらでもない黒と、かあさん猫と同じ茶まだらの、4匹の子猫がうまれました。ふさふさした毛のほうがとおさんでした。はじめてかあさんになった猫が子猫に乳をやり、はじめてとおさんになった猫が、ふさふさの毛で自慢そうに丸くなっていたのは、昨年の初夏のころでした。
 昨年の真夏のある日、とおさん猫は死んでしまいました。いなくなってしまってそれっきりになったこれまでの猫とは違い、とおさん猫には心にかけてくれる人がいたようで、亡くなった日付の書かれた写真が、いつも丸くなっていた場所に張り出してあったのでわかったのです。しばらくの間、びっくりするほどの花束が置かれました。かあさん猫と子猫は変わらず暮らしていましたが、昨年の寒さが始まったころから少しづついなくなっていき、冬にはいなくなってしまいました。赤茶虎のかあさん猫からはじまった猫の春秋は終わってしまったのだと思うことにしました。
 ところが、昨日の夜から、昨年の子猫だったと思われる色柄の、もうすっかり大きくなった猫があらわれるようになりました。昨日は赤茶虎と茶まだらがおり、きょうは黒が、串をあぶっているところのガラス窓の前で大きく伸びていました。猫の春秋はまだ続きます。
2004年03月12日 02時43分58秒

焼肉のこと
 父親から連絡が入り、東京での仕事がおわって上野にいるのだけれど、ひさしぶりにあのお店で焼肉を食べようかというので、きょうはお仕事のあと、上野にまわって焼肉をいただきました。上野駅を中央口から出て、高架になっている道の下を道にそって歩いていくと、焼肉屋さんがたくさんあるブロックがあります。そのなかに、父親が気に入っている「あの店」というお店があります。まだ新幹線が上野までしかなかったころから食べているというのですが、お店ができたのはもっと古く、まだ日本が占領されていたころの、木造のお店の写真がメニューに載っています。
韓国でふつうに食べている料理をそのまま作っている、最近多いお店も好きですが、いろいろな部分のお肉を自分で網にのせて、白い紙のエプロンをつけてたべる昔ふうのお店も好きです。
 お店のなまえは、今は共同管理区域になっている国境の土地のなまえと同じですが、お店ができたとき、まだ戦争はおきていませんでした。
2004年03月11日 02時36分04秒

アーカイヴのこと
 日記を書かせていただけるようになったのは2月のはじめのことでした。月も変わり、むかし書いたある日の記事にスクロールして行くのがたいへんになったので、まうかめ堂さんが記事をまとめて下さることになりました。
 いろいろなサイトを拝見させていただくと、過去のエッセイや掲示板を、書かれた月や書き込みの順序ごとに読むことができる場所があるところがあります。どんなふうに作ってほしいか、まうかめ堂さんがたずねてこられたので、とりあえず、
1、月ごとに1まとまりを作ってほしいこと と
2、その日ごとの題名を並べておいて、題名からその日の記事に行けるようにしてほしいこと
の2つをお願いしました。まうかめ堂さんは、パールというものを一時間半ほど操作して、このページの前のページにある「日記のアーカイヴ」をこしらえて下さいました。お忙しいなか、ありがとうございました。
 アーカイヴというのは、「文書を管理しておくところ」とか「資料庫」のようなものをさします。ライブラリーが、本をしまっておいて見せるところだとすると、アーカイヴにしまってあるのは、どちらかといえば本を書く原料になるほうです。
 本は、どこかに同じものがあることもありますが、アーカイヴにあるひとつひとつのものは、どれもひとつしかありません。たとえば、だれかが書いた文書や、撮った写真などがそうです。紙に書いたり印刷されたりしたものだけではなく、テープにとった演奏やおはなしや、文書を入れたフロッピーなども、もちろん大切なものです。いろいろな(材料でできた)ものをしまっておくところ、という意味で、アーカイヴズという呼びかたをすることもありますが、自分の好みで、ここではアーカイヴと書いています。
 アーカイヴにいて、アーカイヴのお世話をする人のことをアーキヴィストといいます。お世話というのはいろいろな方向にわたりますが、大きく分けると、内向きの方向では、アーカイヴにしまってあるいろいろなものひとつひとつについて、それがどこから来て、どんなものであるかという住所録を作ったり、こわれているところを治したり、もしかしたらのために写しを作ったりするという、もののためのお世話があります。
 また、外向きの方向では、アーカイヴで何かを調べたいという方のために、ものやもののつながりを説明したり、知りたいことに答えたりするという、ひとのためのお世話があります。
 いま、アーキヴィストの見習いをしている場所は2つありますが、ひとつはまだものを集めている途中のところなのでもっぱら内向きの見習いを、もうひとつは内向きと外向き、両方の見習いをしています。アーカイヴとアーキヴィストのことは、また書こうと思います。
2004年03月10日 01時47分51秒

近所のこと
住んでいるところのおとなりには、むかしアニメーション映画を作っていた方が住んでいます。大きな夏蜜柑の木が、こちらに枝を出して茂っているので、時々実をいただいています(お礼はお伝えしています。ねんのため)。そのおとなりには、むかし銀行をしていた方が住んでいます。花の温室があって、誕生日にお花を切って下さっていたのですが、昨年亡くなってしまいました。そのおとなりには、むかし外国でお仕事をしていたおじいさんが住んでいます。生け垣から、白いガラスのほやをのせた明かりが突き出していて、ガラスのほやのかたちが似ているので、勝手に「白玉屋敷」と心の中で名前を付けていたのですが、白玉の部分だけを外して持って行ってしまう人が多いというので、明かりそのものがなくなってしまいました。今は「旧白玉屋敷」と心の中で呼んでいます。
そのとなりには、去年まで、テレビのたからもの鑑定番組に出ていた方が住んでいました。大きな塀と大きな木の門のある家でしたが、引っ越しをしていると思ったら、すぐ取り壊しがはじまって、いまは更地です。ただの地面になってしまうまで、家がこんなに広いところに建っていたとは思いませんでした。
ただの地面になってしまったところには、新しい家が建つ予定は当分ない感じです。ただの地面になって何か月もたつのですが、地面から草木の一本も生えてこないのが不思議です。
きょう、ただの地面の前を通り過ぎたところ、車が乗り入れて地面を掘っていました。すんでいる街で文化財調査のための発掘をするので立ち入り禁止、というお知らせの看板が立っています。何が埋まっているのか、とても楽しみです。
2004年03月08日 22時08分46秒

続・ネロリのこと
何日か前、おそらくかぜでたいへんな目にあう直前の日記で、外国から香水をとりよせたことを書きました。
一連の体調不良のあいだは、当然鼻もつまっていました。眠れない時、手首につけて深呼吸すると眠れるようになるという、ゼリーのような濃い液体の香水を手首につけて、通りのわるい鼻をふがふがさせながら過ごしていました。これはキオラという名前で、資生堂という会社が作っています。気分にあわせていくつか種類があるようなのですが、持っているのは、乾かしたばらの花の香りがするものと、ひのきのような香りがするものです。
きょうは、気管支も鼻の通りも、ほぼ元に戻った感じがします。目が覚めてからも寝床で本を読むことにしたので、そのついでに、とりよせてから、あまりちゃんとつけていなかったネロリの香水をそこらに撒いてみました。
スプレーが落ち着いてから鼻をくんくんさせてみると、なんだか、なつかしいけれども困ったような香りが、花の香りに混じってかすかにしています。なんといいますか、草食動物のごはんと寝床と肥料と、そこらへんのものがあたたかく混ざったような香りです。
このなつかしさはどこからくるのだろうと、頭の中のアーカイヴを探していたら、これはヤギのすまいのにおいだったことに思いあたりました。とても小さかったころ、家にいたヤギのにおいです。においにつられて、葛の葉を取って食べさせたことやら、突然突き飛ばされて肥料だらけの濡れた土の上に落ちたことやら、四角い黒目のことやら、変なものごとをいろいろ思い出してしまい、なつかしいような困ったようなことになりました。
この部分の香りは、はじめのほうに少し出てきて、そのうち通り過ぎてなくなってしまいます。「これがヤギの香りよ」といって、小さなスプレーに詰め替えた香りを誰かに説明したくてしようのない気持ちです。
2004年03月08日 01時41分25秒

日記の前の日のこと
お休みの日にだけ読んでいた日記が、だいたい全部読み終わりました。日記を読んで入力する時は、キーの操作が慣れているワープロを使っています。むかしの人の書いたものばかり入力してきたので、このワープロは仮名づかいや言葉づかいがすっかり古風になってしまっています。
読んで入力していくと、読めない文字が出てきます。そのときは、読めない文字の数だけ、四角いマス目を入れておきます。一通り入力していったら、もう一度そこに戻って読み直しをするためです。マス目になっているのは、それぞれが違う字というわけではありません。何回か出てくるのに、そのたびに読めなくてマス目になってしまう箇所があります。なにげなく読み返していると、ぽん、とその字がわかったりすることもあります。そうすると大急ぎで、同じ字で、これまでマス目にしてあったところを埋めます。オセロでまとめてコマをひっくり返す時のような感じがして気持ちがいいです。
きょうでだいたい読むのが終わった日記は、通して読んで入力をしたあと、マス目になっているところを少しづつ埋める作業を11回くり返しました。自分が持っているスキルと相談したところ、これ以上は、もっと字が読める人に読んでいただくか、そのままマス目にしておくしかありません。ワープロで作った起こしの文書をテキストファイルに変換したところ、日付けの部分が不思議な漢字と記号に変換されてしまいました。フォーマットの整理と誤字の見直しもかねて、これは少しづつ直すことにしました。
この日記は、以前、眠れなくて困るという同僚の会話を聞いて、自分はそうではないけれど、それは、自分がそこまで真剣になっていないかもしれないという感想を書いた方のものです。
この日に書いてあることだけ読むと、この人は大切な時期にちゃんと仕事をしていないのでは、と思うかもしれませんが、この感想を書く前までには、いろいろなことがありました。
この方が仕事をしているところでは、この日記が書かれていたころ、話し合いの態度をやめて、アメリカとの戦争の準備に急いでとりかかろうという考えと、もう少し譲れそうなところを見つけて、話し合いを続けてみようという考えがあって、この方は話し合いを続けようというほうに入っていました。
アメリカは日本からとても遠いうえ、国も広いので、アメリカまで行って、たとえばワシントンやニューヨークに爆弾を落とす作戦はできません。ですから、「アメリカに戦争で勝つ」というのは、アメリカそのものの力をなくしてしまうことではなくて、アメリカが困るぐらいの損失を与えたあとで、もう一回話し合いをして、こんどは日本に条件のよい折り合いをつけるということです。どのぐらいの作戦をすれば、アメリカが困ったと思うようになるか、この方は考えてみて、アメリカが困ったと思うころ、日本はもっと困ってしまうだろうと考えました。
あちこちに話を聞きに行ったり、人から話を聞いたりして、この方は、自分の考えに近い人がどのぐらいで、話してみれば自分の考えのほうになってくれそうな人がどのぐらい、という予想をしていました。人の数より、その人がどんな立場にあるかというのも大切なので、計算が合うかどうかわからないのですが、日記に書かれてある文章の感じからみると、この考えは受け入れてもらえそうかもしれない、という見通しは、ある日まで立っていた感じがします。
ところがある日、自分といっしょになって話をしに行ったり、かわりに話し合いをしてくれたりしていた部下が、急に反対側の考えになると言い出しました。夜遅くまで話し合いをしたようなのですが、考えは変わらなかったようでした。その次の日の日記に書いてあったのが、はじめに書いた、自分がそこまで真剣になっていないかもしれないという感想です。
この日から一月ほどのうちに、日本では内閣が変わって、それまでの話し合いはリセットされることになりました。新しい内閣になってからのこの方の日記は、別の方が読んでいます。
2004年03月07日 00時35分20秒

赤いお茶のこと
 取り寄せていたローゼルがとどきました。ローゼルというのは、芙蓉のような感じの花をつける、背の高い草のことです。オクラのなかまだそうです。花を咲かせたあと、花のつけねの「がく」が大きくなります。大きくなった「がく」は甘酸ぱい味がして、これをジャムやチャツネなどに加工することができます。乾燥させて保存したものを、お水で戻したりお湯で振り出したりすると、ハーブティになります。ローゼルの別の名前はハイビスカスというので、その名前で売られていることもあります。赤い色がでるハーブティには、だいたいこれが小さく刻んで混ぜてあります。刻む前のかたちが知りたかったので、ローゼルを作っている農園にメールを出して送っていただきました。大きなクッキーの缶ひとつ分ほどのローゼルが届きました。おまけとして種もいただきました。
ガラスのポットに水を入れて、ローゼルを3つ入れて火にかけました。沸騰させると赤梅酢のような色になります。お砂糖で甘味をつけて、レモンをしぼって加えました。酸味のある、うすい香りの飲み物になります。これは、アラビア半島や北アフリカで「カルカデ」と呼ばれているものです。
2004年03月06日 02時54分21秒

手順のこと
アーキヴィストの見習いをしているところでは、今まで撮ってきたマイクロフィルムをスキャナにかけてもらって、写っているものを画像のデータにしてハードディスクに入れて、マイクロフィルムを装置にかけなくても見たいものが見られるようにする準備をしています。
画像のデータと、書いた人や書かれているものなどを入力したテキストデータをリンクさせると、たとえば「鉱山」という言葉から、それまではあちこちのリールからあてはまるものを少しづつ探していた、「鉱山」に関係のある画像をまとめて連れてくることができます。画像を表示させるビューワーも、最近は進化しているようで、ふせんを貼ることができたり、すきな早さでページをめくってくれたりします。もちろん印刷もできます。
いましているのは、今から少し前に撮影された、フォーマットが未整理なマイクロフィルムを装置にかけてみて、どんな順序でものが写っているのか頭にいれておくことです。このフィルムは、むかしここに資料を調べに来て下さった方々がマイクロフィルムをとったとき、お願いしてデュープを作らせていただいたものです。そのため、必ずしも資料の番号順にものが並んでいません。大きな資料群で、小さな撮影もれがあって、もれたものがリール番号がずいぶん飛んだ先にいることもあります。画像のデータができてきた時、そういう状態をすぐなおせるようにしておきます。
こういうお仕事の手順や、いわゆるうまい方法は、本には載っていません。だいたい5年ぐらいいろいろなことをさせていただいて、なんとなくわかってきたぐらいです。
2004年03月04日 21時43分07秒

ポタージュのこと
安静にしていたのと、お薬をのんだのが効いて、熱は平熱に下がりました。まだ、胸の奥にはごろごろいう感じが残っていますが、呼吸もふつうにできるようになった気がします。
具合が悪いあいだも、さいわい食欲はありました。冷蔵庫をさがしてみたところ、冷凍庫から以前にこしらえておいたグリーンピースのピュレが出てきたので、これを牛乳でのばして少しバターをいれてポタージュにしたものをいただいて、安静にしていました。
これは、郷里からグリーンピースの缶詰めがいろいろなものといっしょに送られてきた時にこしらえておいたものでした。ドライカレーをにぎやかにするために缶を開けてみたところ、想像以上の分量のグリーンピースが入っていたので、必要なぶんを使ったあと、残りを冷蔵庫にあったセロリの茎と細いところとたまねぎといっしょにバターでいためてからミキサーにかけておいたものです。いためる時に多めの塩をしておくと、味がよく出るようです。ポタージュはじゃがいもでよく作りますが、豆のポタージュもおいしいものでした。
あしたからお仕事に戻るために、夕方になって少し外を歩いてみました。だいじょうぶのようです。
2004年03月03日 23時56分28秒

いのちのこと
この日記が、日記の題名をキーワードにすることで、大きな検索サイトにのるようになりました。ためしに検索窓にキーワードを入力したら、ヒットしました。
こうなる前は、とある方の小さな日記のページが、いつもはじめに表示されていました。数日前、どの部分に「すたんこ」があるのか、検索結果をたどって出かけてみたところ、「えろすたんこ」という言葉が、イタリア語で「ぼくは疲れたよ」という意味を表しているということが、ある日のところに書いてあって、それが「すたんこ」に感応していることがわかりました。(ということは、わたしは「くたびれ嬢」ということになります)
小さな日記は、2月のはじめぐらいまで、ちょうど、わたしがこちらのページに日記を書かせていただけるころまで書いてありました。とてもまめに書いておられた日記が、2月のはじめからぱたりとなくなっています。どうしたのだろうと思って、きのう、その方のページのトップに出かけてみました。
自己紹介を拝読したところ、小さな日記を書いておられたのは、わたしとあまり年が変わらない方でした。大学を終えて、会社員になって仕事をしておられたところ、ある日、大きな病気が見つかって、今はその病気を治療しておられるとのことでした。
きょうは、家で休んでいたので、思い立ってその方の掲示板まで出かけてみました。そうすると目に入ってきたのが、きょうが会葬の日であったというメッセージでした。先月のすえに息をひきとったとのことです。
まったくの偶然から、思いがけない出逢いをしました。画面の前で言葉を失い、すこし祈りました。
2004年03月03日 01時07分30秒

続・かぜのこと
気管支の炎症と熱は、きょうの朝になってもおさまりませんでした。気管支の通りがよくないので、細くて長いチューブ(水槽に空気を送るあれみたいなものを想像してみてください)をくわえて息をするような感じになります。鼻もつまっているので使えません。あまり空気が身体に入らないので、頭痛がして眠れませんでした。あと、身体からうまく空気を出すことができないので、おなかや胸が変な感じにぽんぽんします。
いつもかかっているお医者さんに出かけてみてもらったところ、胸の音で診るかぎり、肺炎になりそうだといいます。
菌を急いで防ぐのと、息の通りをよくするために、気管支をひろげるお薬と、菌を防ぐお薬をカクテルにして点滴をしていただきました。お医者さんには入院用の部屋はないのですが、診察室の近くに住んでおられるので、遅くなっても診ていただくことができます。
お医者さんはこころの病気も診ているので、診察室はピアノの練習に使うような防音室になっています。それでも、近くにいると物音がするので、音楽がかかっています。1時間ちょっとの点滴のあいだ、なぜか井上陽水のベスト盤のようなものがずっと流れていました。苦しい息の下で「傘がない」をかみしめて聴いていました。
まだ熱はありますが、呼吸は少し楽になりました。青いお茶をたくさん飲んで、ゆっくりすることにします。
2004年03月01日 22時38分13秒


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