すたんこ日記:2004年5月

バジル再挑戦のこと
 いただいた鉢で育てていたバジルのことなのですが、じつはあれからすべてしおれてしまいました。
 原因は、おそらく3つです。ひとつは、鉢の土の水分が多すぎて、根の息がつまってしまったこと、もうひとつは根の張りが浅く、ふたばの大きさにまけてしまったこと、さいごは発芽のさいに鉢にふたをする時間が長すぎて、茎がひょろ長くなってしまったことです。切り花の長もちには自信があるのですが、鉢ものの育てかたについては経験不足でした。
 土は入っているのになにも生えていない鉢を見るのもさびしいので、木曜日にもう一度バジルの種を買ってきて、その日のうちにふたたび種まきをしました。種のそばにはバジルの苗も売られていたのですが、こちらはなんといいますか「最終手段」にしようと思っています。
 前回は、袋に入っていた種をすべて蒔いてしまったので、今回は何かあった時のために、必要なぶんだけを蒔きました。前回は土の表面に種をぱらぱらと落とし、さっと土をかけていたのですが、今回は土に2センチほどのくぼみを5〜6か所あけ、くぼみごとに5粒ほどの種を入れ、きちんと土をかけました。これで、前回より根から地表までの距離ができたものと思われます。種をまいたら、こんどはふたをかけずに鉢を日当たりのよいところに置いておきました。
 きょう鉢を見たところ、種を埋めたすべてのくぼみから、小さな芽が顔を出していました。こんどはぜひ、本葉まで育ててみようと思います。
2004年05月30日 18時52分31秒

すじのこと
 きょうは、思い立って牛のすじを料理してみる算段を立てることにしました。月曜日に父親と出かけた「いつもの店」のとなりは肉屋さんで、爪のついた脚やら耳やらのめずらしい部位のお肉をながめておいしそうだなと思ったことが頭にあったからだと思います。
 牛のすじは、駅の近くに新しくできたスーパーマーケットで見つけました。このスーパーマーケットができる以前は、商店街の中のべつのスーパーマーケットで料理の材料をそろえていたのですが、そこでは牛のすじは棚にならんでいたものの、「愛犬用」というちょっと失礼なシールが貼ってあり、なんとなく買い物かごに入れにくいものでした。新しいスーパーではそのようなことはありません。
 牛のすじは、下ごしらえに時間がかかりますが、一度下ごしらえをしてやわらかくなったものは冷蔵庫で保存ができます。きょうは下ごしらえまでをしました。以下、順序を書きます。

1、牛のすじは、包みから出して水をはったボウルに泳がせるようにあけ、水をとりかえながら水の中でよくもみます。そのあと、いただきやすい幅や長さに切りそろえます。すじはくにゃくにゃとして切りにくいので、包丁はよく研いでおきます。

2、なべに水を入れ、切りそろえたすじを入れ、水から火にかけます。今回は、すじを使って韓国風のスープと和風の煮付けをこしらえようと思っているので、ねぎの葉やしょうがなど、香りをととのえる葉野菜はいっしょに入れませんでした。

3、なべがわいたら、シンクにざるを用意しておいて、一度すじをざるにあけます。ざるにあけてゆで汁をきったすじは水をはったボウルにあけ、火にかける前と同じく水をとりかえながら水の中でよくもみます。おいしい成分が流れてしまうのではないかと心配するかもしれませんが、このぐらいはだいじょうぶです。ここでよくもんでおくと、本茹でにする時にあくが出ません。
なべにはあくがたくさん付いているので、洗っておきます。

4、きれいにしたなべにもう一度水を入れ、よくもんだすじを入れ、もう一度水から火にかけます。なべがわいたら、こんどはそのままゆでます。(わたしは真空鍋を使っているので、なべがわいたら外鍋に入れてそのまま置きます)

今日はここまでをしました。寝る前になべを外鍋から出し、あすの朝に冷蔵庫にしまうまでが下ごしらえです。あすは、すじから油分を取り除き、スープと煮付けにそれぞれ調理することにします。
2004年05月27日 23時03分14秒

マカロンのこと
 アーキヴィストの見習いをしている研究室に通う地下鉄の駅の出口のすぐとなりは、昨年までは婦人向けの洋服の仕立て屋さんでした。昨年のある時、なにか工事をしている気配があると思っていたところが、今年になって仕立て屋さんの間口の3分の1ほどが改装されて、小さな焼き菓子屋になっていました。いままで仕立て屋さんのウィンドウに飾られていたパターン画が飾られていたり、「となりの仕立て屋におりますので、ご用の方はお呼びください」という貼り紙が戸を閉めた焼き菓子屋さんのガラスに貼ってあったりするところをみると、仕立て屋のご家族のどなたかが、間口を借りてお店を始めたようです。
 焼き菓子屋さんの扱う品物は、はじめはマカロンとパウンドケーキだけでした。パウンドケーキの中には洋酒の強いものがあるのであまり自分でいただくことはないのですが、ある日の帰りにマカロンを買っていただいたところ、これまでのどのお店よりもおいしいのですっかり気に入っています。
 マカロンは、きいろ、ももいろ、うすみどり、うすちゃ、の4色が、うすあお色の波形ボール紙の台紙の上に縦1列に並べられてセロハン袋に入っており、マカロンの4色をとった4本のリボンで口が結んであります。きいろはレモン味、ももいろは木苺味、うすみどりは青りんご味、うすちゃはココアの味です。バレンタインとホワイトデイには、ハート型の白いマカロンに木苺の赤いジャムをはさんだ特製品が並びました。
 5月になって、焼き菓子屋さんはシュークリームとクレームブリュレと、季節のタルトを始めました。きょうはシュークリームを買って帰ったのですが、まだいただいていません。
2004年05月26日 00時20分56秒

なかみのほうのこと
 きょうは、仕事のあと、父親といっしょに「いつもの店」で焼き肉をいただきました。待ち合わせの時間が早かったので、お店に着いた時にはまだ日がありました。夕食には少し早い時間なので、お店にもまだ他のお客がありません。そんな中で親子がふたり、スーツに白い紙のエプロンを付けて、もくもくとお肉を焼いては口に運んでいるのは、すこし照れるような感じではありました。
 父親もわたしも、いわゆる「お肉」の部分よりは「なかみ」のほうが好きです。たとえば牛のばあい、わたしがいちばん好きなのは舌としっぽです。父親は、ごく新鮮な肝臓を生食するのが好きです。きょうはメニューに脾臓の刺身を見つけたので注文し、ふにふにするねえと言いながら親子でいただきました。このふにふにした感じからすると、脾臓というのは火を通すとぺしゃんとなってしまう感じがします。だからお刺身にして出すのだろうねえと話し合いました。

 「いつもの店」のまわりには、朝鮮や韓国の産物を扱うお店が並んでいます。早い時間にお店に入り、早い時間にお店を出たので、きょうはいつもは遅い時間になって閉まっているそれらのお店を眺めることができました。
 とうもろこしのお茶を買おうと思い、乾物を主に扱うお店の店番の方に、とうもろこしのお茶をくださいと声をかけたところ、「とうもろこし」という部分が何をさすのかふしぎそうな顔をしていることに気付きました。「とうもろこし」の部分を韓国語の「オクスス」に変えて、「お茶」のところを英語の「Tea」に変えると(「お茶」の韓国語は「チャ」なのですが、発音は「茶」よりもっと激しい感じです。この発音が苦手なので英語にしました)、ああコーン茶ですね、といってお茶の袋を出してきて下さいました。紙のパックに入っておらず、自分で煮出す分量を調節できる粒のままのとうもろこし茶を手に入れることができました。
 少ない例によって考察するのはあやういのですが、知人の韓国人は、「とうもろこし」と「おたまじゃくし」が、習いはじめの日本語のなかでいちばん難しかったと話していました。中間部の語順が難しいのだそうです。ごくふつうに見かける身近なものなのに、どうしてこんなに長い名前がついているの?「かえる」は短いことばなのに、そのこどもだけがどうしてこんなに長い名前なの?これらのことばには、日本人にとってなにか特殊な思いがあるの?と尋ねられたことがあります。
2004年05月24日 23時05分27秒

山椒のこと
 きのうは、うろうろしているうちに日記を書かないままになってしまいました。
 きのうは、大学の図書館にしらべものに出かけました。4月から、平日は9時まで、土曜日は5時まで開館するようになったので、仕事の帰りや休みの日に調べものをするのがとても便利になりました。
 したくをして出かけようとすると、大家さんが庭の手入れをしておられました。どちらへ、というので学校までと答えますと、山椒の葉をちょっと採ってきてくれないかしら、と頼まれました。大学は、敷地のなかに建物が建っていて、そのすきまは雑木林や花畑になっています。雑木林の一角に山椒の木があることにある時気付いて、いちど採ってきたことがあったからでした。お味噌に使うから大きいのでもいいわ、というリクエストを聞いてから部屋にもどり、小さな袋をかばんにつめて出発しました。大学までは歩いて行くことができます。
 きのうは空模様が悪かったので、雨になる前に山椒を摘んでおこうと、まず雑木林をうろうろしました。どこに山椒の木が生えているかをすぐ思い出したのは、やはり山育ちだからだと思います。山椒の木は、背丈より高いぐらいの大きさのものが2本隣り合って生えていて、片方がおす、片方がめす、になっています。それぞれの葉は6センチほどの大きな葉に育っており、めす、のほうにはもう実が付いていました。枝を折らないように、また、枝の棘にひっかからないように気を付けながら、ふくろいっぱいの葉と、手のひら一つぶんほどの実をいただきました。ふくろの口をたたんでかばんに入れて調べものをしているあいだにも、なんだか山椒の香りがするようでした。
 調べものがおわって、家に戻って大家さんに山椒をお渡しすると、大家さんはまあ、こんなにたくさん、と驚いて、さっそく電話をかけてあちこちにおすそ分けの算段をしておられました。葉は擂って味噌に混ぜ、実は軽くゆでて塩漬けにしておくのだそうです。
2004年05月23日 18時24分04秒

報告と訂正のこと
 昨日お知らせで書いた短嘯(たんそ)の説明にまちがいがありました。ふらふらしているときにものを書くと、やはりまちがってしまうようです。申しわけありません。
 短嘯(たんそ)は、礼楽に用いられる楽器ではなく、風流楽といって、ひとりで奏でたり、琴や歌などといっしょに、気の合った数人でアンサンブルをしたりする時に用いられる楽器です。演奏される機会も、礼楽のように国の儀式に演奏されたり、巫楽のように霊的な儀式に演奏されたりするのではなく、文人などがふと思い立って吹いてみるといったような感じなのだそうです。音域は高く、吹き口は竹を斜に落とした簡単なものです。短くて細い姿をしているので、手が小さいうえに指先がほそいわたしでも指穴がふさげると思い、申し込んでみました。韓国から伝統音楽の専門の先生がおいでになって、集中講座の形でレッスンを受けることになります。

 何度か育ち具合を書いたバジルとタイムでしたが、悲しいことに、ここ数日のあいだにタイムが次々としおれてしまい、鉢の中はほぼバジルだけになってしまいました。そもそも、鉢といっしょにいただいたのはタイムの種だったのですが、ふと園芸店で求めたバジルの種のほうが鉢を席巻してしまったのは申し訳ないような感じがします。バジルの芽の茎が、だいたい鉛筆の芯ほどであったのに対し、タイムの芽の茎はシャープペンシルの芯よりも細いぐらいのものでした。これだけ差のある芽どうしが一つの鉢に同居して、しかもお互いが同じ高さに伸びあっていたのですから、おそらくタイムの芽たちは相当な無理をしていたのだと思われます。
2004年05月22日 00時17分30秒

お知らせ二題のこと
 五月の終わりまでに急いでしなくてはならないたのまれものがあって、仕事が終わって帰宅してから夜遅くまで机に向かっていたら、寝付きが悪くなったり、早朝に目がさめてしまったりするようになりました。今日はもう寝ようと思いますので(といっても充分遅い時間ですが)、小さなお知らせを書きます。

1、きょうは、仕事の帰りに美容院に出かけて、おやと思うぐらい髪をみじかくしてみました。文章だけで長さを説明するのは難しいのですが、横は耳が出ないぐらいで、うしろの長さは一つにゆわえておけないぐらいです。前髪はそのままです。こどもの時はともかく、おとなになってからの最短記録ではないかと思われます。

2、少し先の話になりますが、短嘯(たんそ)という楽器の集中講座を受講してみることにしました。これは竹製の短い笛で、日本の雅楽の龍笛のように横に構えるのではなく、尺八のように縦にかまえて演奏します。大陸の宮廷音楽である礼楽で用いられるということですが、日本の雅楽には似た役割と形態の楽器がないのが不思議です。音域からすると高麗笛が近いのですが、高麗笛は横に構えて演奏します。
2004年05月21日 01時02分40秒

熱帯のくだもののこと
 プロフィールでも少し書いたように、めずらしい果物には恐れずに手を出すほうです。これはおそらく、小さいころ好きで読んでいた植物図鑑に載っていた写真や図のためであると思われます。小さいころは入院ばかりしていたのですが、景色も食事も退屈な中で目にした図鑑が、よほど深く刷り込まれたのでしょう。
 初めて口にしためずらしい果物は、およそ20年以上前、父親がほうぼう探して病室に届けてくれたパパイヤであったと思います。今思い出すと、あれは熟れないのに柔らかくなったものだったようで、種子のもろもろした感じとにおいを気にしてほとんど手をつけませんでした。
 当時としてはめずらしく、かつおいしいと思った初めての果物はライチでした。郷里の家の斜向かいの家のおじさんが街の百貨店に勤めておられ、仕入れたのはいいが食べ方がわからないので残ってしまったのだけれど、といってたくさん持ってきて下さったものです。図鑑ばかり読みふけっていたせいで、近所では「街の小さな博物学者」になっていたわたしでしたので、見知らぬ果物はきっと喜ぶだろうと思ったのだと思います。大ざるに山盛りになった、茶色い木の実のような姿のライチにはじめに手を延ばしたのは母親でした。外皮をむいてつるりとした姿になったライチを口に入れてみて、ふしぎな歯ごたえに驚いた記憶はまだ新鮮です。そのころ、冷凍されたライチはまだ売られておらず、いわゆる「中華街まつり」などで売られている缶詰めをシロップまで大切にいただいていました。アボガドの味を憶えたのもそのころであったと思います。アボガドはとりわけ母親が気に入り、1つのアボガドを2分割し、種を抜いたくぼみにお醤油をたらしてふたりでいただいていました。
 ここ2、3年では、ドリアンがいちばんおいしいと思った果物です。はじめは外皮から取り出された房を買い求めていたのですが、このごろは価格が少し安定したため、まるごとひとつ買って房を取り出して冷凍にしています。ドリアンについては痛い思い出があるのですが、これはそのうち書くことにしようと思います。
 
2004年05月19日 22時51分58秒

アメリカンチェリーのこと
 すんでいる街の駅の近くに、大きな食料品店ができました。今日から開店です。新聞にはさまってきた広告を見ると、真夜中までお店を開けているうえ、お肉や魚類もきちんと置いてあるようです。これで、遅い時間の買い物でも、種類や品数に何かがまんするような気分が少し解消されるように思われます。
 きょうは、アーキヴィストの見習いをしているところで、今年の事業計画の発表式と顔合わせの会があったので、帰宅が少し遅くなりました。それをさいわいに、といいますか、きっとふだん通りの帰宅時間でも立ち寄ったに違いないのですが、さっそく新しいお店に立ち寄り、アメリカンチェリーとアボガドを買って帰りました。お店の中はカートで動き回る広さを前提にしているようで、通路が広く快適な感じです。野菜やくだものがパックされない状態で広いケースに平らに並べてあって、すきなぶんだけ袋に詰める方法は、アメリカで買い物をしたスーパーマーケットのような感じでした。
 いとこに会うために、叔母の家族と両親といっしょに出かけたアメリカで、母親はぜひスーパーマーケットに立ち寄ってみたいと言いました。その日は独立記念日の花火大会と野外音楽会があったので、道路の混雑を抜けて街に戻ったのは深夜になっていました。深夜でも開いている大きなスーパーマーケットに立ち寄ると、母親は果物売り場に向かい、アメリカンチェリーを大きな袋いっぱいに買い(それでも3ドルと少しでした)、車に戻るとすぐ旺盛に食べはじめました。アメリカンチェリーの本場で、アメリカンチェリーをたべ放題に食べる、というのが、母親がアメリカでしてみたかったことの一つだったのだそうです。むかし、暑い季節に中国に出かけた時、わたしもライチや西域のぶどうを袋いっぱいに買い、たべ放題に食べたことがあったことを考えると、やはり親子なのだなあと思いました。
2004年05月18日 23時59分21秒

精読のこと
 きょうは、四月の日記で「酢だこんにゃくだ」という言い回しが出てきたことを書いた、むかしの人からの聞き書き記録の要点を抜き出してまとめる仕事の続きをしていました。
 40冊近い冊数の刊行物があって、1冊においてだいたい3人ほどの方がお話をしているので、すべての刊行物の抜き出しと記録がおわると、わたしは120人以上の方々の体験と出会うことになります。きょうで30冊台のなかごろまで仕事が終わったので、もう100人近い方々の体験に出会ったことになります。
 この聞き取りは、語りたかったことを語っていただくためにたいへん注意深く企画されていると思われます。聞き手には、その組織の通史を研究している学者のほかに、その組織において仕事をしていた長老の方があたっています。聞き取りという手法については、どのような方法がよいものであるというメソッドはまだ確立されていないと思われますが、この企画において、聞き手の方はただ質問を提示してあとはうなずくだけ、というのではなく、語り手の記憶のあやまりやあえて語っていなかったと思われることにも言及してゆきます。
 予習をしてだいぶん語彙は理解しましたが、専攻の端にかかるぐらいの心当たりの時代や分野について語られた文章を精読するのは少しハードな仕事です。ですが、抜き書きしたトピックの集積を見ると、これはたしかに使い勝手を良くしているなあという思いがします。
 
2004年05月17日 22時13分22秒

鉢だよりのこと
 きのう、バジルとタイムの鉢を出窓に出してかわいそうなことをしたので、これからは直射日光にあてるとか、芽のかたむきと逆のほうに鉢をまわしておくなどのことはしないと決めました。
 きょうは鉢を机の上に置き、仕事のあいまにのぞきこんでいました。この鉢はさしわたしが15センチほどのプラスチック製のものですが、片方のすみにタイムがびっしりと芽生え、残りの広い部分にバジルが均等に混雑して芽生えています。どちらも均等に土の上に蒔いたつもりだったのですが、その後の水やりの時、ごく細かい種であるタイムが流されて一箇所に集まってしまったようでした。バジルのたねは胡麻ほどの大きさですが、タイムの種は芥子よりもっと小さいものです。
 このところ、芽たちの茎の伸びは頭打ちになっている感じですが、双葉の部分は少しづつ大きく広がっているようです。ですが、そのために頭が重くなってしまうようで、タイムの芽の茂みによりかかってのうのうとしているバジルの芽もあります。小さいものによりかかるとはけしからんと思い抜こうとしましたが、それもかわいそうだと思いそのままにすることにしました。
 種をまいてから芽が出揃うまではおよそ5日ほどでした。こんどは本葉が出るまで何日かかるか楽しみです。 
2004年05月16日 23時14分14秒

夏の飲みもののこと
 暑くなったり蒸したりする日が続くようになったので、冷蔵庫で冷やしておく飲みものをこしらえるようになりました。
 よくこしらえるのは紅茶です。わかしたお湯でふつうに紅茶をこしらえて、冷蔵庫用のガラスのポットに注ぎ、さめたら冷蔵庫にしまいます。冷たい飲みものはごくごく飲むほうなので、甘味はつけません。紅茶は、熱くいれたものを冷ます方法のほかに、紙や布製のパックにお茶の葉を入れ、それをガラスのポットにいれて湯ざましを注いでそのまま冷蔵庫で冷やすという方法もあります。この場合、お茶の葉をポットに入れたままにしておくのはよくないので、味と色合いができたら、お茶の葉を入れたパックは取り出しておきます。この「水だし」の方法は最近流行しているようで、あらかじめ多めのお茶の葉を袋につめたセットが売られるようにもなりました。
 今年からこしらえてみようと思っているのが、とうもろこしのお茶です。これはとうもろこしをよく炒ってから煮出したもので、色は緑茶を少し薄く黄色くした感じ、味は麦茶よりやさしく甘い感じです。韓国では食事のおりによく出されるのですが、炒った風味が麦茶よりひかえめなので、食事やおやつの風味をさまたげません。このような軽く香ばしい風味のことを、韓国語では「クスハダ」といいます。
 先日、新宿にあるバーニーズという百貨店で、ガラスのタンブラーを夏のお茶用に買ってきました。ガラスのコップで冷たい飲みものをいただくと、水滴がテーブルに付いたり、グラスを傾けた拍子に膝元に落ちてきたりするので、藤を細かくしたもので編んだコースターもお揃いで買ってきました。準備完了というところです。

 今日はずっと家にいたので、バジルとタイムの鉢を、窓を開けた出窓に昼下がりあたりから置いておきました。夕方になって鉢を取り込んだところ、十数本の芽がくにゃりとなっています。土が乾いたのかと思い水を落とすと数本は立ち上がりましたが、残りはくにゃりとしたままでした。そのうち間引きをしなくてはいけなかったのさ、などとうそぶいてみても、やはり悲しいことをしてしまいました。
 まわりの芽をいっしょに抜かないよう、注意してくにゃりとした芽を取り除いたあと、その芽の先を口に含んでみました。双葉でもタイムの風味がしました。 
2004年05月16日 02時24分06秒

2台ピアノの演奏会のこと
 きょうは、街の音楽ホールで開かれたピアノデュオのリサイタルに出かけてきました。ふたりのピアニストが、1台のピアノに2脚のいすをならべて連弾をしたり、ステージに2台のピアノを向かい合わせに設置していっしょに演奏したりするものです。演奏して下さったのは、ブルガリアで生まれて、現在はドイツに住んでおられる男女のお二人でした。女性の方がプリモを、男性の方がセカンドを担当されていました。曲目は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」と、ガーシュウィンの原作をパーシー・グレインジャーが編曲した「ポーギーとベス」と、ミュージカル映画用の音楽をバーンスタインが再構成して作った「シンフォニック・ダンス(ウエストサイド物語)」でした。春の祭典のみが連弾で、あとは2台のピアノによる演奏でした。どの曲もよく聴いていた曲だったので、ピアノで演奏された時の感じの違いがとても面白かったです。
 むかし、合唱団の合宿の余興で、ウエストサイド物語のなかの「トゥナイト」を二重唱で歌ったことがあります。といっても男女によるものではなく、マリア役の歌手のための部分を女声二重唱にしたものでした。手許に、キリ・テ・カナワがマリア役、ホセ・カレーラスがトニー役になって劇中歌を歌っているというふしぎなCDがあったので、せっせとそれを眺めて歌詞を憶えた記憶があります。「シンフォニックダンス」には採られていないのですが、マリア役が歌う劇中歌は、このほかの「I feel pretty」も「I have a Love」もとても好きです。また、マリアの働く洋裁店のお針子さんたちが歌う「America!」を2台ピアノで演奏したらどんなふうになるのか、ピアノの音を聴いたあとで楽しく考えてみました。舞台稽古用に、原曲をピアノアレンジしたスコアも、きっとあるのだと思うのですが。
2004年05月15日 00時02分29秒

回転疲れのこと
 きょうは、めまいもなくなって元気になりました。やはり、根をつめすぎて少し疲れていたのだと思います。きょうは所蔵史料を画像ファイルにして公開する準備をしているほうのお仕事の日でしたが、ふだんと変わらないペースと集中力で仕事をすることができました。
 公開の準備をしている史料には、形態(本の形になっているのか、紙に書かれたりタイプ打ちされたりしているのか)や由来(公の組織が作成したものか、私や出版社が作成/編集したものか)によっていくつかのカテゴリがあります。いわゆる「公文書」とよばれるもの(公が作成したものが私的に所蔵されて伝わったものを「公文書」と呼ぶべきか「私文書」と呼ぶべきかの線引きはまだついていないように思われますが、ここでは作成した組織が公の組織なので公文書と書きます)のカテゴリについては、検索に必要な情報の入力がおおよそ終わったので、きょうからは専門書のカテゴリの検索のための情報の入力をはじめました。専門書のカテゴリについては、今回公開する分量が少ないのでそれほど時間はかからないと思われます。お天気がよくなかったので虫干しをしなかったぶん、少し進みが早くなりました。
 これがおわったら、今度は夏休みに外国から調査においでになる研究所の方のために、外国語の史料の目録を見直しておく仕事が待っています。

 先日、光に向かって傾いてのびることを発見したバジルとタイムの芽ですが、それ以降、家を出る時に毎回逆の向きに鉢を回して日にあてるようにしています。でがけには開いた双葉がこちらを向くように置いたのに、帰宅するとみんな窓のほうに傾いています。
 楽しいのでびっしり芽生えた鉢を眺めていると、日々の回転に疲れたのか、茎はあちらに傾いているのに、双葉はこちらに無理に傾いている芽を見つけました。傾くに任せていたほうがよいのか、まめに向きを変えて茎を鍛えるほうがよいのか迷うところです。
2004年05月14日 00時33分13秒

結局の手間のこと
 きのうは、きょうまでに必ずしなくてはならない頼まれものの文書のチェックがあったので、めまいをやりすごしながら、結局夜更かしをしてしまいました。たのまれていたのは、昔の方が書いた手控メモのようなもので、原稿と原文のコピーをてらしあわせて、まちがいなく字が読めているかチェックするというものです。ですが、根をつめる力がなくなっているのに無理をしても読めないものは読めないので、きのうの日記を書いてからすぐ、机の上をそのままにしてベッドにもぐりました。
 目覚ましをかけて起きると、アーキヴィストの見習いをしているところに連絡をして、申しわけありませんがお休みをいただきました。ふらふらはおさまっていたので、そのままパソコンにむかってチェックの再開です。
 手控メモに書かれているのは、日本が守ってきた戦略上大切な場所が陥落してしまったという知らせを受けて、これからどうすることにするかを軍を指揮する人たちが相談した時の記録でした。メモを書いた方はその幹事をしていたので、あとで発言録を作る時のために、出席者のことばをメモにしていたのです。
 メモは、線がひかれた小さなノートに、ひとことずつ改行されて書かれています。ノートのはじめのほうでは、ことばの前に発言者が書かれているのですが、そのうち省略されて改行だけになっていることもあります。ところが、はじめに原稿をこしらえた方は、改行されていることばをすべて点でつなげていました。原文においても点による区切りは使われているので、改行されていたことがわからなくなってしまいます。発言者が書かれているところはよいのですが、発言者が書かれていない発言の場合、たとえばA閣下の発言と、その次に発言したB将軍の発言がひとつになってA閣下の発言として扱われてしまいます。この混同を一箇所見つけたので急に心配になり、原稿に書き込んでチェックするだけだったものを原文の行配列通りに作成しなおすことにしました。
 文字を読む場合、いわゆる「精度」のようなものは単純にパーセントで表されるものではない気がします。たとえ一文字でも、クリティカルな誤読をしている方がされた作業は、手間がかかっても一から読みなおさないと、結局安心できないからです。こういう性分は、アーキヴィストに必要であるという方も、不必要であるという方もおられますが、わたしは必要であると思います。
2004年05月13日 00時05分00秒

大事をとって、のこと
 帰宅して夕食をとって、読むことを頼まれた文書を読んでいたら、少しめまいがしてきました。めまいといっしょに耳鳴りのような感じも少しするので、これはおそらく以前かかったことのある症状のようです。これは根をつめる仕事を続けたあとや、徹夜のあと、心身が少し疲れているときなどに現れるようで、考えてみると実際に土曜日と日曜日はほとんど仕事をし通しでした。むかし、卒業論文を書いていたころにも、おなじめまいでお医者さんに連れて行っていただいたことがあります。
 とりあえず椅子からおりてぺたりと床に座って、揺れがおさまるのを待っていると少しよくなりました。ですが、これは状態がおさまっただけでなおったことにはなっていないので、あすはおそらく、大事をとってちょっとお医者さんに出かけてきます。

 今日から紙のふたをとって日のあたる机の上においたバジルとタイムの鉢でしたが、帰宅してみると、芽がすべて窓にむかって傾いていました。どうやら芽たちは、まんべんなく明るいように見えるところにおいても、より明るいほうに向かって伸びる習性があるようです。あすは逆にしてバランスをとるつもりです。

 少し遅くなりましたが、5月になったのでプロフィールのところの写真をとりかえました。写っているのはいとこの先祖たちです。いちばん小さな男の子が、いとこの祖父にあたります。
2004年05月12日 01時42分33秒

バジルの芽のこと
 植木鉢から、バジルの芽とタイムの芽が出てきました。帰郷の前に生鮮食料品を片付けてしまったので、帰京した翌日、買い物をするために街を歩いていると、新装開店したお店の前にテーブルを出して、植木鉢と種を通りの人に配っているところに出くわしました。鉢の入った袋をいただいたあと、種はどちらがよろしいですかとレモングラスとタイムとイタリアンパセリを指しています。レモングラスは大きくなりそうですし、イタリアンパセリはそれほど需要がないのでタイムをいただくことにしました。鉢だけにしては重みがあると思って袋の中を見ると、ちょうど一鉢ぶんの園芸用土も入っていました。タイムだけではさびしかろうと園芸店に寄り、バジルの種を1袋買って帰宅しました。
 いただいた鉢と種のセットには受け皿が付いていなかったので、帰宅してからかわりになるものを探し、このごろ使っていないティーカップのソーサーにしばらくお勤めをお願いすることにしました。鉢に用土を入れるとき、鉢の下の穴から土がこぼれないようにする網の代用になりそうなものは見当がつかないでいたのですが、鉢を返してみたところ、穴にあたる部分はすでにざる状に成形されていたので不要でした。鉢に用土をあけ、2種類の種を表面に散らしてから、少し残しておいた用土を種の上に撒きました。腰水をしたあと上から水をやろうとしたところ、きりふきでは鉢のまわりの水をきらうものに水がかかってしまうことに気付き、少し探してポンプ式のボトルを見つけ、水を入れて少しづつ落としました。芽が出るまでは光を避けたほうがよいらしいので、論文をプリントした不要の紙をふた状に折り、鉢にかぶせて完了です。発芽の瞬間に目にするものは、大戦末期の航空機増産問題ということになりますが。
 ときおりふたの紙をとって観察していたところ、おとといあたりから白いものが土の上に見えはじめ、きょうで芽がだいぶ出揃いました。種から発芽まで4日かかったことになります。きょうは帰宅してから紙のふたをとり、あすからは明るい室内に置くことにします。
 出揃った芽をしげしげ眺めていると、土の塊を背負った芽に気付きました。塊をはらおうとつまんだところ、1つまみ分の芽がそっくり抜けてきてしまいました。助長を地でいってしまいました。
2004年05月11日 00時33分35秒

山あそびのこと
 帰郷する前の日記で、山に山菜を採りに行くかもしれないと書きましたが、結局は一度も出かけませんでした。山菜は、朝に収穫したものがやわらかく味がよいので、山に出かけるためには早朝五時ぐらいに起き、したくをして五時半ごろには家を出なくてはなりません。出かける先は、きのうの日記に書いた祖父の実家の山里なのですが、山里まではいま住んでいるところから車で一時間半ほどかかるからです。郷里にいるあいだは、天気のよさと気安さでゆるゆると朝寝ばかりしていたので、起きると先を越されていたり、山から戻って来た父親に起こされたりすることばかりでした。
 小さいころから、山に山菜を採りに行くのは好きでした。こども用に小さく編んでもらった、腰に結ぶ山菜用のかごをふりふり、「さんさいじゃなくてよんさい!」と言いながら山を歩き回っていた記憶があるので、そのころから山には出かけていたのかもしれません。山には父親と出かけていたのですが、さすがにこどもは足手纏いになるので、父親は林が開けたところにわたしを置いて、もっと山奥や急なところに入って本格的な採りものをしていました。それでも、放っておかれた場所にもわらびぐらいは生えているので、それなりの役割はしていたのではないかと思われます。
 山、というと、歌いながらハイキング、というイメージがあるかもしれませんが、山で歌ったことはありません。山ではしゃいだり歌ったり大声をあげたりすると、なにかよくないことがおきると言われていたからです。口笛を吹くことや、なにかを持っていって奏でることもよくないことであるとされていました。

 このようなわけで、帰郷のあいだは、父親が採ってきた山菜を玄関に大きなござを敷いた上で分け、種類ごとに茹でて干したり塩漬けにしたり、てんぷら用に冷蔵したりすることで山に触れていました。ことしはちょうどよい場所に行き当たったとかでぜんまいが大きな段ボールに二箱も採れ、干すために二畳敷きの粗ござを久しぶりに物置きから出してくるほどでした。
2004年05月09日 23時02分49秒

猫の山里のこと
 郷里に帰っているあいだに一度、祖父の実家に連れていってもらいました。祖父は、祖母のところにいわばお婿さんに来たことになっているので、実家といいますか、祖父が生まれた家というものがあります。現在は祖父の兄が当代になっており、その娘と娘の夫君といっしょにくらしています。わたしの家族が現在住んでいる街に引っ越してくる前は、祖父の実家がいちばん近い距離にある親戚だったので、昔からよく行き来がありました。以前ばあやのことについて書いた時、母親の実家がなんとなくこわいところだった記憶のことを書きましたが、祖父の実家は山里にあって、しかもいろいろな動物を飼っていたので、小さいころからすきな場所でした。

 祖父の実家は、ほんとうにすぐうしろが山になっており、母屋と、お客さまが来られた時の応接用の蔵と貯蔵用の蔵と、離れになっているお手洗いと(風流そうですがたいへん不便です)山羊の小屋がまとまって建っています。このほか、山に少し入ったところに薪を作る小屋があり、畑に下りたところに農機具と野菜をおく小屋があります。電気はありますが、水道は沢の水をひいています。お風呂は近くの温泉のお湯をひいています。

 祖父の実家には現在、およそ40匹近い猫がうろうろしています。帰郷のあいだに祖父の実家に出かけたのは、春になってまた殖えているであろう猫を見物するためでもありました。
 これらの猫群は、はじめは1匹の猫でした。祖父の実家のある集落では、富山の薬売りの方が伝統として祖父の実家に泊まりながら、何日かかけて集落をまわってゆかれるのですが、ある年の夏に薬売りの方が他の町にむかって立たれたあと、泊まっておられた蔵に猫をおいてゆかれました。いなかではめずらしいシャム猫なので可愛がっていると、その猫はそのうちかあさんになり、毎年毎年どんどん子猫が生まれるようになりました。もらわれてゆく子猫も多かったのですが、山で繁殖して、大きくなってから下りてくる猫もあったりして、現在の数になったということです。といいますか、現在の正確な数は誰にもわかりません。私が父親と訪ねたおりには、応接間だけでシャム模様が4匹、黒が5匹、ママレードが2匹、焦げが3匹いました。これはおとなの猫で、このほか、春に生まれた子猫が7匹、箱の中でうねうねとしていました。夜になると、山で遊んでいる猫群が下りてくるので、数が倍近くになるということでした。帰りぎわ、しきりに猫を持って行けと勧められましたが、父親が猫は1匹でたくさん、とお断りしていました。
 猫群のなかでも、あまり見かけない模様の猫の写真を、PHSのカメラで撮ってみました。まうかめさんにお願いして、こんど載せていただくつもりです。
2004年05月08日 23時51分24秒

郷里の海藻食のこと
 郷里には海がありませんが、ある種の海藻を煮とかして型に入れて固めたものをいただく食慣習があります。表面はつるつるしていて、口に入れると海の香りと海藻の感触がします。砂糖と酢と醤油をあわせたものにつけていただくのですが、小さいころから好物でした。人によって、「いご」だの、「えご」だの呼ばれています。
 これ(いご/えご)をいただく食慣習があるのは、郷里のなかでも限られた地域です。いま家族が住んでいる街にはその食慣習がないので、できたものを店で買うことができません。さいわい、母の郷里が食慣習のある地域にあるため、お願いして原料の海藻を取り寄せていただいています。かんてんのようなものなので、こしらえてからは足がはやいのです。

 帰京する前日、久しぶりにこれ(いご/えご)をこしらえようということになりました。乾物をしまってある物置から原料の海藻を出してきて、布でくるんで金槌でたたくことからはじまります。これは、海藻に付いているごく小さな貝殻を払うためです。まんべんなくたたき終わったら、海藻を振って貝殻を払い、こんどは水を張ったボウルに海藻を入れてやわらかくします。海藻を入れたボウルのほかに、水だけを張ったボウルを用意しておき、はらいきれなかった貝殻や、海藻の根元の固い部分や小さなごみをこのボウルの水の中ですすぎながら除いてはざるに上げます。この部分が最も手間のかかるところです。

 やわらかくして、ごみや貝殻を取り除いた海藻は、浅い鍋に海藻がひたひたになるより少し上ぐらいの水で煮溶かします。鍋の温度が上がって、海藻がじぶんで溶けてくるまでは、決してかきまぜてはいけないのが唯一の注意点です。あとは、鍋が焦げ付かないように混ぜながら少し煮詰め、よいころあいを見てバットに流します。固めのおでんみそぐらいがころあいでしょうか。この時、流し込む海藻液の熱さを考えず、バットをビニールクロスの上にじかに置いては、昔はよく叱られました。今は知恵がついて何か下敷を置くようになったのですが、今回はバットをシンクのすぐ横にでんと置いてしまい、バットが冷めるまで台所作業を大きく阻害してしまいまた叱られました。あとは自然に冷ましておけば、海藻液は固まります。

 帰京した翌日、おみやげといっしょにいご/えごも送られてきました。惜しんでいては足が早いので、いさぎよくいただいています。
2004年05月08日 00時54分58秒

帰京のこと、四月の補遺のこと
 4月29日から帰っていた郷里から、きのうの夜帰ってきました。郷里は、夏の暑さも冬の寒さも厳しいところなので、夏やお正月の帰郷では気候に負けることがあります。春の帰郷は、ちょうど一年でいちばん気候のよい時にあたるので、のびのびと過ごすことができました。また、夏のお盆やお正月の準備のような、家事や儀礼の手伝いが比較的少ないためであるとも思われます。郷里でのいろいろなことは、これから少しづつ書くことにします。

 まうかめ堂さんにお願いして先月の日記をアーカイヴにまとめていただく前に、先月の日記に書いたことで、その後付け加えることがおこったことがらを書いておきます。

1、きょう、帰宅したところ、先日八重桜をさしあげたお隣のおばあさんから、桜の花の塩漬けがきれいなびんに入って大家さんのところに届けられていました。帰郷するすこし前の日に、玄関を掃いておられたおばあさんにお会いしたおり、桜の花をさっそく漬けたところだから少し待っていてねと挨拶をいただいたところでした。
 桜の花の塩漬けは、ふつう粗塩がじゃりじゃり付いた半乾きのような状態をしていますが、おばあさんがこしらえて下さったものは塩粒が付いていないしっとりしたものです。この八重桜は糸くくりという種類で、花の色が一重の桜のように淡いのですが、その色が変わらないまま残っています。濃い塩水と赤梅酢にくりかえし漬けて作ったそうですよと大家さんが教えて下さいました。

2、きょう、仕事のあいまに思い立って広辞苑をひいてみたところ、「酢だこんにゃくだ」が、「酢」の用例として載っているのを見つけました。断定をさけた表現ではありましたが、つべこべ言うことの表現として使われる「四の五の(言う)」の漢数字の部分を、発音の(やや)近い「酢」と「こんにゃく」に言い換えたことが語源であるらしいとのことでした。
2004年05月06日 22時33分58秒


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