すたんこ日記:2004年10月〜2005年4月

2005年04月19日 23時35分50秒  準備のこと

しばらく日記をお休みしてしまい、申しわけありません。
5月の連休に外国で発表をする原稿を書いていて、
ずっと日記をお休みしてしまいました。

ちょうど1週間前に原稿は無事提出し、これからは
発表の練習と、当日お見せする写真選びと、写真を表示させる
ソフトの動かし方の練習をしなくてはなりません。

また、もう少ししたら、荷物の荷造りやきっぷの確認、最低限の
英会話の練習をしなくてはなりません。
不安なような楽しいような、へんな気分です。

外国で写真をとってこようと、奮発してデジタルカメラを
購入いたしましたので、外国から帰ってきたら、いろいろな写真が
お見せできると思います。

いま表示されているのはうちの白猫(すすけていますが)ですが、
ためしにとった写真をアップロードしてみたところ、文字を
入れる場所がない大きなものになってしまいました。
写真の編集をすこし勉強してから、旅行記の算段を立てようと
思います。

2005年03月23日 00時50分35秒  蘭学事始めのこと

 きのう、あれほど自信を持って「健康的なコンチネンタル式朝食!」
などと解釈していたアメリカでの滞在先のB&Bの朝食の件ですが、
まうかめ堂さんに電話ごしにホームページの該当部分を見てもらった
ところ、あっさり「それ、ヘルシーじゃないよ」と指摘をいただいて
しまいました。
目をすりつけてよく見ると、なるほど、healthy ではなくhearty と
書いてあります。

 そうなると懸案は、「heartyとは何か」ということに移ります。
かわいらしい花模様のクロスをかけたテーブルにたんと盛りされたパンや
果物から、これはきっと「心のこもった」であろうと解釈し、きのうは
寝につきました。

 それでも、なんとなく気になるので辞書をひいてみると、本来の意味は
「元気がでる」でした。似ていますが外れは外れです。蘭学事始めのような
じぶんの語彙力に頭をかかえました。これで、あと1月と少し先には、入国審査の
質問に答えたり、飛行場からタクシーにのって目的地まで行ったり、見知らぬ
先生方と質疑応答をしたり、その他いろいろなことをしなければなりません。

 写真は、祖父の見舞いで郷里に戻っていたおり、だれもかまってくれる
者がないのでふてふてとしていた猫をとったものです。心細さと居直りが
同居したようなうしろ姿に共感したので、ここに載せておくしだいです。

2005年03月21日 20時34分44秒  B&Bのこと

 燕京研究所にでかけることで、ひとりで盛り上がっていて
申しわけありません。外国に出かけることがあまりないのと、
見習いの身で思いがけない機会をいただいてしまったのとで、
行って帰ってくるまでのあいだ、事前事後の報告をこちらに書く
ことが多くなるかと思います。

 きょうは、ボストンで宿泊するところの説明文と、予定されている
ワークショップの時間割りがメールで届きました。
ボストンで宿泊するところは、学校の敷地まで安全に歩いて行くことが
できる近さにある、いわゆるB&Bという形式の小さな宿舎です。

 ホームページがあるようなので出かけてみると、建てられてから
50年以上たっているという、かわいらしい一軒家の写真が載っていました。
「健康的なコンチネンタル式朝食!」という文字の下をみると、
シリアルだのヨーグルトだのベーグルだのがテーブルいっぱいにのった写真が
あります。パンにつけるもののリストの中に、あの「ヌテラ」がありました。

 しかし、ヌテラにほくほくしてばかりはいられません。
予定されているワークショップでは、50分の報告をしなくてはならない
からです。言語は日本語なのですが、多言語のレジュメを見ていただきながら
50分まるまるお話してよいのか、通訳の方といっしょに時間を使うことに
なるのかがいま一つわからないので、原稿を書くことがまだできないでいます。
これについてはあす、もうお一人の報告者の方とよく打ち合わせをしようと
思います。

 写真は、ポピーの花がぱらぱらと花弁を落としたものを集めたものです。

2005年03月19日 20時48分44秒  ひだのこと

 きょうは、お昼すぎから夕方まで、合唱の練習に
でかけていました。練習しているのはマタイ受難曲です。

 マタイ受難曲は、アリアやレチタティーボなど、合唱では
ない人たちが歌う部分も含めて、ぜんぶで68曲からなって
います。曲によっては、レチタティーボと合唱があわさって
1曲になっているものもあり、その場合は1つの曲がa、b、c、
などのようにさらに区切られていますので、総計は68曲より
多くなります。

 昨年の秋から週に一度の練習がはじまっているので、すべての
曲について、音を取る作業はおわりました。今回の演奏はバロック
ピッチといって、楽譜に書かれている音の高さからちょうど半分低い
音で演奏しますが、一度演奏したことのある曲なので、音をとるのは
あまり苦労せずにすみました。現在は、一度に多くても4曲ほどを
とりあげて、アーティキュレーションをつける練習をしています。

 この合唱団に入団してはじめて演奏したのがマタイ受難曲でした。
今から5年近く前のことです。その時は自分の体力もしくはスタミナが
保持できず、さいごのほうは口をいっしょうけんめいあけても音が喉から
出て来ないというはじめての経験をしました。今回はこのようなことが
ないよう、今から経験をつんでおこうと思います。

 はじめのマタイ受難曲の演奏から現在までの間には、音楽のみならず、
いろいろな経験が積み重ねられてきました。なんといいますか、たましいに
より深く襞がついたような感じです。演奏会は9月の下旬にお茶の水で
行われます。

 写真は、スタミナといいますか、おとといいただいたケーキの写真
です。口に入れる前に写真をとっておきました。あまりにもおいしそう
なので、あとさきを考えず買ってきてむしゃむしゃやったところ、
どこかにお酒が使われていたとみえて、たいらげないうちに息苦しくなって
しまった惜しい一品でした。

2005年03月18日 21時53分17秒  ひさしぶりのこと

 きょうは、アーキヴィストの見習いをしている研究室の
引っ越し準備のあいだお休みをいただいていたもうひとつの
研究室に、ほぼ3週間ぶりにうかがいました。

 3週間のあいだにはいろいろなことがあったようで、書庫の
中には新しい史料がずいぶん増えていました。

 この研究室のある研究所では、史料が売りに出されているのを
見つけた時のために、すぐ支出できる予算があります。このごろ
重点的に集めている農業に関する調査書などが、おそらくひとりの
人が持っていたまとまりのまま手に入ったようでした。
 これらの書誌データを入力して、史料のほうは傷みかたに応じて
封に入れたり紙にくるんだりして出番に備えるのも、アーキヴィストの
見習いの仕事の一つです。

 きょうはまた、せんだって日記に書いた外国に出かける件の詳細を
いっしょに出かける方からうかがいました。まだ1月以上も先のことですが、
だんだんわくわくします。

 写真は、研究室が所蔵するむかしの雑誌の一部分です。
むかし、研究会で読んでいたコピーを、この号の所蔵がなかった研究室に
さしあげたものです。この雑誌については、のちに書くこともあろうと
思います。

2005年03月17日 21時43分50秒  たまつばきのこと

 きょうは、一日家におり、たのまれものの論文のチェックや、
同じくたのまれものの講演速記の見直しなどをしていました。

 午後になって、大学院のときの指導教授からメールを
いただき、用事のために学校に行きました。学校は授業が
おわり、あすが卒業式のようでした。写真は、学校に繁って
いた白珠椿の花です。あまりにたわたわと咲いているので、
写真をとったあと、じつは一枝いただいてきて家に飾っています。
つばきは、いろいろな花のなかで一番すきな花のひとつです。

 まうかめ堂さん(正確にはまうかめ家)の食事がきちんと
しているので、こちらはへえへえと驚くばかりです。ちなみに、
こちらの今日の夕食は、
 1、タイカレー(具材は牛肉、たけのこ、なす、しめじ、です)
 2、きゃべつとカッテージチーズをレモン汁と塩で和えたサラダ
 3、はっさくに、少し蜂蜜をたらしたもの
 4、ジャスミン茶
でした。タイカレーはひとなべこしらえたので、あと何日かかかって
いただく予定です。

2005年03月16日 23時32分55秒  さようなら、のこと

 きょうは研究室のひっこしがありました。
この季節はひっこしの件数が多いので、ひっこし屋さんが荷物を
運んでいってくださるのは夜からということになっています。

 きょうはいちばん早く研究室に着いたので、お茶の用意を
したりパソコンを立ち上げたりしながら、なにもなくなった本棚や
机の脚の跡がついた床のじゅうたんをしみじみと眺めました。
窓から見える桜の枝は、そろそろかなというふくらみ具合です。
引っ越しがおわると、この建物は取り壊されてあたらしい建物に
なります。ことしの花が終わっても、無事に残っていてくれれば
よいのですが。

 あたらしい研究室に持っていくことができないものには、
廃棄のシールをめじるしに貼ります。赤いシールがあちこちに
貼ってあるのはなんだかせつない眺めなので、心にとめておくために
写真にしておきました。

 さびしい話ばかり並べてしまうのもよくないので、すこし明るい話を
さいごに書いておきます。

 ことしの5月、史料の整理をしている方々とお会いするために、
外国に連れていっていただけることになりました。
マサチューセッツ州のボストンにある、ハーバード大学燕京図書館という
ところです。ここは、日本以外の場所で、日本に関する史料が最も幅広く
最も多く集まっているところです。
一週間にも満たないあわただしい日程ですが、少しでも多くのことを
吸い取ってこようと思います。

2005年03月15日 21時40分04秒  無沙汰のあいだのこと

まうかめ堂さんの不在のあいだのにぎやかしをするはずが、
ずいぶん間をあけてしまいました。
こちらも、たいへん申しわけありません。

まうかめ堂さんのお母さんがご病気になったことは、まうかめ堂さん
からの電話で知りました。
いっしょにラオス料理をいただいてそれぞれ帰宅したあと夜中に電話が
あり、お母さんの具合がすこしいつもと違うので、どのような病院に行くべきか
という相談をいただきました。
具合をうかがうと、わたしの家族がかかったことのある病気と似たところが
あるので、なるべくすぐ、専門のお医者さんに行くべきことをお知らせしました。
やはり、同じ系統の病気であったことがわかり、こちらも案じています。

こちらは、日記を書いていないあいだは、アーキヴィストの見習いを
しているところの引っ越し作業や、年度末のいろいろな作業で、毎日ぱたぱたと
していました。荷造りもすみ、あすがひっこしです。

以前、日記に書いたかと思いますが、研究室が引っ越しをしても、引っ越し先で
すぐお仕事の続きが始められるわけではありません。研究室の予算が、
学校の予算から先生が自分で暢達する資金にかわるので、その目処がつくまで
見習いのお仕事は少しお休みです。
いえ、もしかしたら、ずっとお休みになってしまう可能性もあります。

ピアノのおけいこと同じく、文字を読む力やものを調べる速さは、毎日
その場所でそのものに触れていることで維持されます。いろいろな意味で
どうしようと思っているあいだ、日記も滞っていたしだいでした。
そのようなわけで、気立てがよく、国家機密が読めるお嬢さんが入り用の方は
いらっしゃいますでしょうか。

写真は、部屋にある昔の置き物シリーズのひとつで、おそらくアシカです。
アシカは韓国語では「ムルケ」といい、「みずいぬ」という意味があります。


ついしん:
むかし、ほんの少し調べごとのお手伝いをした映画が上映されるように
なりました。潜水艦にのって戦争をする映画です。

2005年02月26日 00時21分38秒  ひっこしのこと

 アーキヴィストの見習いをしているかたほうの研究室では、いま
引っ越しの作業と、この一年間の成果を本の形にして報告するための
作業が並行してたいへんな勢いで進んでいます。

 これまでのように、机の上の史料とコンピュータのあいだで仕事を
しているわけにはゆきません。パッキングのための道具を持って
そこらじゅうを走り回り、本や史料のつまったいくつもの箱を台車に
のせて、所定の場所まで運んでゆく作業をせっせとしています。

 あたらしい研究室は、現在の研究室の場所よりとてもにぎやかな
ところにあります。校舎も、新しく建てられたきれいな建物です。
ですが、なんといいますか、この引っ越しは明るいものではありません。
研究室をひっぱってこられた先生が学校をお辞めになってしまうので、
アーキヴィストとして見習いをさせていただく規模がずっと小さく
なってしまうからです。

 お辞めになる先生が、あちこちにお願いして頂いてきた大切な史料を、
後任の先生はかえりみて下さいませんでした。史料の死蔵は史料がないことと
いっしょですので、これからはこれらを受け入れて下さる場所を探しながら、
受け入れて下さる場所での作業を少しでも肩代わりするような整理作業が
はじまります。

 きょうは、夕食を家でとるかわりに、引っ越し作業をいっしょにした方々と
おいしいおうどんをいただいて帰りました。もう少しで四谷駅になるところから
見える東京タワーが、ほのぼのときれいでした。

 写真は、猫の山里にいる猫の一匹です。この、半分が黒で半分がママレード
という配色は、なにかの系統として、猫の山里の猫たちに伝わっています。

2005年02月24日 22時05分51秒  アリアのこと

 きょうは、お仕事先を少し早く退出させていただいて、
街の音楽ホールにメゾソプラノの方の演奏会を聴きにでかけて
きました。

 曲目は、前半がスペイン語のいろいろな歌曲で、後半が
モーツァルトやビゼーのオペラから、いろいろなアリアを集めた
ものでした。

 「恋とはどんなものかしら」と、「恋は野の鳥」を演じわけて
歌うことができるという点で、メゾソプラノという声部は幅が広い
なあと思います。ソプラノのアリアのように、大きな声で高い音を
出し切って歌い終わる、という終わり方がないのが、つつましくてよいなあと
思います。

 以前、バッハのアリアを練習することになった時、声の準備のために
軽い歌をおさらいしたことがあります。「恋とはどんなものかしら」は
その時におさらいしました。

 いわゆる「有名な曲」を集めて、発音にかながふってあってすぐ歌える
ようになっている初心者用の楽譜をおさらいのために買ったところ、
「恋は野の鳥」もいっしょに載っていました。

 バッハの受難曲のリピエノのような発声で、きわめて素朴かつ明朗な感じで
ビゼーを歌ってみたところ、これはこれでおもしろいものでした。
ケルビーノの役を女性がするのにも、そのような意図があるわけですが、
なんといいますか、それをもう少しふみ込んで倒錯させたような感じです。

 写真は、ふだんは棚に飾っている陶器のおきもの群です。
むかしむかし、日本で作られて外国に輸出されていたおきものがまとまって
里帰りして売られているのを見つけて集めました。きりんのほかにも、うさぎやら
鳥やらいろいろなものがいます。
背景をかたづけないで写真をとったので、少し後ろがごそごそしていますが、
どうぞ気にしないでください。

2005年02月22日 22時48分27秒  うさぎ肉のこと

 きょうは、以前お仕事でたいへんお世話になった方がお昼を
ごちそうして下さるとのことで、お昼までに待ち合わせの場所に行けば
よいことになっていました。

 あたたかい部屋のなかで、少し長くねむっていたためか、
すっかり朝になってから、ふしぎな夢をみました。
以下、夢の中のはなしです。

 草原を金網でかこって、うさぎを大量に飼育して調理して出している
方とわたしがなぜか以前から知り合いで、その方のところにでかけ、
金網ごしにかわいいなあとうさぎを眺めたあとお昼になりました。

 うさぎを飼育し、かつ調理して出しているその方は、ピアニストでも
あります。最近はいかがですかとか、こんどのリサイタルはどのようなものに
なるのですか、とかお話をしているうちに、ペーパーナプキンを敷いた
バスケットに、からあげのように揚げたお肉がのって運ばれてきました。

 つとめて普通に、バスケットに残ったお肉を口にすると、フライドチキンのような
味のついた、クリスプでおいしいお肉です。ですが、骨の感じがいかにも小動物で、
おや、うさぎもこうやって調理するとおいしいものだなあ、と考えているところで
目が醒めました。

 以上、夢の中の話でした。これはどう分析すればよいのでしょう。

 うさぎの写真がなかったので、夏にとった郷里の猫の写真をのせました。
夏と冬とでは、風貌も体型もすっかり変わるものです。

2005年02月21日 22時19分16秒  甘味喫茶のこと

 きのう、まうかめ堂さんからういろうをいただきました。
まうかめ堂さんの里の和菓子店のものなのだそうです。
黒砂糖の風味のする、もちもちとたいへんおいしいものでした。

 大学院で研究をしていたころ、一階が和菓子屋さんで、二階が甘味喫茶
というお店の二階でお給仕お嬢さんのお仕事をしていたことがあります。
奥さまがたいへん優しい方で、研究が忙しいおりにはお休みをさせて
いただいたり、帰郷のおりには和菓子をいただいたりと、たいへんお世話に
なりました。

 甘味喫茶というところは、心配するほどお客さまがこないわけでもなく、
てんてこまいになるほどお客さまがやってくることもない、お店の方には
申しわけない気もするのですがのんびりした場所でした。

 あんみつにのせる餡を、こしあんとつぶあんから選ぶことができ、また、
みつを黒と白から選ぶことができ、さらに、アイスクリームをバニラと抹茶から
選ぶことができ、またさらに白玉をのせることができるというのは、ずいぶん
豪奢な選択肢であると思います。
この季節は、ちょうどおしるこや餅などが売られているはずです。

 写真は、「心のともだち」というエルメスのスカーフの模様です。
この色合いですと、なんだかポントルモの聖母子像のような感じもします。

2005年02月20日 22時47分40秒  ひみつ類のこと

 せんだって、国家機密という判の写真を日記に載せたところ、
まうかめ堂さんがたいへん驚いておられました。

 アーキヴィストの見習いをしていると、極秘、や、国家機密、などの
判が押された文書(もちろん昔のものです)を見る機会は多くあります。
また、研究をするために、それらの文書の写しをこしらえていただいて
(許可と費用が必要ですが、だれでもできます)家に置くこともあります。

 文書に押される取扱いの判には、このほか、極秘、取扱注意、機密、
厳秘、外部秘、用済焼却、など、さまざまな種類があります。

 極秘、の判が押された昔の文書をみて、うわ、すごいことが書かれているに
ちがいない、と思うのは、とてもわくわくすることです。
 ですが、そこから少し考えてみて、極秘より秘密なことがらはなんだろう、
極秘より秘密でないことがらはなんだろう、ということを調べてみることも、
もっとわくわくすることです。

 文書には、取扱いの判のほか、文書を見た人が「見ました」の判やサインを
押す場所があります。取扱いの判と、「見ました」の判やサインを押している
人との対応を調べると、だれがどこまでものを知ってよいことになっていたか、
おおよそのことを知ることができます。

 写真は、きのう買ってきたポピーの束です。部屋をあたたかくしておいた
ところ、わんさかと咲きました。


 

2005年02月19日 22時22分31秒  声部のこと

 きょうは、所属する合唱団の練習に出かけました。
昨年の秋から、また練習に参加させていただいているのですが、
今年に入ってからはあまり練習に出ることができていません。
マタイ受難曲は一度演奏したことのある曲ですが、こんどは
昔のピッチで演奏をするので、全体の音の感じは少しちがいます。

 歌うことは小さいころからしていましたが、声部のある音楽を
するようになってからは、まんなか(メゾソプラノ)や下(アルト)を
担当する機会が多かったように思います。

 小学校のあいだは、ほかの声部といっしょになっても、じぶんの
声部を歌うことができるという理由で、まんなかの声部に振り分けられて
いたのではないかと思います。

 中学校になると、先生のまえで指定された曲を一曲伴奏つきで歌って、
先生が声部を決めてくださいました。指定曲は、アルプスの少女ハイジの
冒頭の曲であった記憶があります。理由はよくわかりませんが、アルトに
なりました。高校では、自己申告で声部を決めるので、そのままアルトに
いました。アルトの中で高低の分割がある場合には低いほうにいました。
アルトには6年間いたことになります。

 大学に入って所属した合唱団では、指揮の先生が弾いてくださるスケールを
母音唱で追って、指揮の先生と声部ごとのリーダーが相談して声部を決めて
くださいました。団に入ってから声部の振り分けが行われるまでの1月ほどの
あいだは、慣れたアルトにいたのですが、振り分けの結果はソプラノでした。

 現在所属している合唱団の声部はソプラノです。
バッハだけをレパートリーにしている合唱団なので、曲によってはソプラノが
二分音符や全音符ばかりということがあり、ときどきアルトがうらやましく
なります。

 写真は、書き物机にかけてある布の模様です。むかしの壁紙の模様を布にした
もので、「茂みの中の鳥」という名前がついています。部屋に机は一つしか
ないので、食事のときには別の布をしいて、食事用のトレイをのせて食事をします。



 

2005年02月18日 22時44分29秒  仮完成のこと

 アーキヴィストの見習いをさせていただいている片方の研究所で
昨年からこしらえてきた新しい史料の検索システムが、帰郷のあいだに
仮完成して届いていました。

 これは、文書の画像と、その文書の説明(文書の名前や作成者など)と
その文書の請求番号やページ数とがそれぞれ連動してパソコンの画面で動く
ものです。見たい文書の請求番号がわかっていれば、その番号を入力すると、
その文書の画像が画面に出てきます。枚数がある文書は、ページをめくるように
キーをおして次のページを見てゆくことができます。大きさを変えたり、向きを
変えたりすることもできます。

 仮完成、というのは、こうしてくださいとお願いした項目がうまく取り入れて
あるか、文書の画像が正しく表示されるか、文書の画像と、その文書の説明とが
正しい組み合わせになっているかをたしかめさせていただく作業が残っているからです。

 本や文書などを画像データにして、画像の説明といっしょに見ることが
できるようにするというシステムは、近年あちこちで作られるようになりました。
作られる、といっても、実際にシステムをこしらえて下さるのはシステム作成会社
の方々です。

 新しい分野の仕事なので、システム作成にはさまざまな本業をしておられた
会社が参入しておられます。データベースをこしらえたり、プログラムを
こしらえることを本業にしてこられた会社や、文書の画像を撮影することを本業に
してこられた会社など、さまざまです。
 
 写真は、きのうと同じく、仕事として読んでいる文書の一例です。
いちばん上の行の2文字は、「緊急」と書いてあります。
写真の部分だけながめると、「学良」に見えるかもしれませんが、写真にうつって
いないとなりに「施策要綱」という字があるので、これは「緊急」です。

 

2005年02月17日 23時23分04秒  クラムチャウダーのこと

 きのうは牛乳を買ってくることができなかったので、
きょうは持って帰る本を少なくして、帰りにスーパーマーケットに
寄り、もう少しの食材の拡充をはかることにしました。

 買ってきたものは、保存のきく野菜いろいろと牡蠣などです。
牛乳も買ったことですし、帰宅してからクラムチャウダーを牡蠣で
こしらえていただきました。クラムチャウダーは、野菜を薄く切って
バターでよく炒めてから火にかけるので、みじかい時間でできるのが
便利です。ソーダクラッカーを買っていなかったので、パンを小さく切って
よく焼いたものを付けました。

 ここで率直に懺悔しておきますと、せんだってのまうかめ堂さんの
牡蠣当たりの原因は、つれだって食事を取りに出かけた先のビストロで、
前菜に殻付生牡蠣を選んだことでした。ひと皿に4つの牡蠣がのっていたので、
ひとりで4つは多いだろうと、まうかめ堂さんに2つ食べていただいたのです。

 翌日から高熱と関節痛がはじまり、てっきりインフルエンザだと
思っていたのですが、まうかめ堂さんからの連絡で牡蠣当たりであることが
わかりました。申しわけないことをしてしまいました。

 写真は、アーキヴィストの見習いをしているところで読んでいるむかしの
文書の一例です。これは現在も機密というわけではなく、作成されてから
一定の年月がたっているので、現在は所蔵先にでかけてだれでも見ることが
できます。

2005年02月16日 21時45分11秒  アーモンドの飲み物のこと

 冷蔵庫を整理して郷里に帰り、東京に戻ってきたばかりなので
なんといいますか、たべものがまだよく揃っていません。

 早く買いそろえればよいのですが、荷物を持って帰宅する日が
続きそうなので、ひとつが足りると足りないひとつに気付くという
あんばいです。

 荷物が多いのは、アーキヴィストの見習いをしている片方の研究室が
引っ越しをするので、新しいところに持ってゆけない本をたくさん
いただけることになったためです。

 それでも、主食は揃えなくては、と、昨日はやっとイギリスパンを
半斤切ってもらって帰りました。今朝は焼いてはちみつを塗って
いただきました。

 パンで荷物が手一杯でしたので、牛乳まで手がまわらず、今朝は牛乳の
かわりに、帰郷前に買っておいたアーモンドミルクをいっしょに
いただきました。ほんのりと杏仁豆腐の風味がして、かるく甘味がつけて
あります。写真はアーモンドミルクのパックです。

 イタリア製であることは買う時に確認していたのですが、ではどこだろうと
思ってパックを見ると、製造所はファエンツァでした。
写本のなまえに出てくるところだなあと、驚いたことでした。

2005年02月15日 23時11分27秒  にぎやかしのこと

 2月の初旬から13日の夜遅くまで、祖父の見舞いと
家事の手伝いのために、また郷里に戻っておりました。
日記をしばらく書かないでいて、心苦しい気分です。

 まうかめ堂さんが計算をしたり論文を書いたりしているあいだ、
ホームページのにぎやかしをしていてくださいという頼まれごとを
いただきました。

 はてどうしたものかと思ったのですが、まうかめ堂さんのような
書き物や音楽作成は、申しわけございませんができかねます。
 すこし考えて、とりあえず日記をまめに書くことにしようと
思いました。

 文章だけでは、にぎやかしには少し足りないと思いましたので、
写真を少し載せることにいたしました。

 前回の帰郷のおり、まうかめ堂さんにお送りした写真がPHSながら
なかなかよく映えるものだと思いましたので、写真を日記にのせる方法を
教えていただき、おりを見て載せてみようと思います。

 きょうのページに載っているのは、前回載せていただいたのと同じ
郷里の猫です。寝ているのを撮りました。

 それでは、しばらくのあいだどうぞよろしくお願い申し上げます。

2005年01月19日 23時57分34秒  年末年始のできごと補遺のこと

東京に戻ってからも、祖父のことは毎日電話で母親にたずねています。
昨日の祖父は、一日じゅう平熱でいることができたということでした。

ですが、もう10日以上もベッドに就いたままなので、今までできていた
ことができなくなっているかもしれません。

東京に戻る日、ベッドによって祖父に声をかけてみたのですが、わたしを
なんだか忘れているような表情だったのが心配です。

祖父の病気のほかに、年末年始にしたことやおこったことを書いておきます。
番号をふってみたのですが、これは思い出した順です。

1、大晦日の夕方、第九の演奏会をテレビで見ていたら、突然テレビが
  故障して映らなくなってしまいました。大晦日の夜に、かわりのテレビを
  持って来ていただいた電器屋さんに感謝です。

2、いわゆる「ゆく年くる年」を家族でながめたのち、さあお風呂に入って
  年越しをしようとまず祖母が浴室に入っていったところ、エウレカ状態で
  居間に戻ってきました。お風呂のスイッチが入っておらず、バスタブの中が
  冷水のままだったということでした。 

3、祖父の兄にお線香をそなえるため、猫の山里にでかけました。
  冬なので、猫たちはみないろりの端でおりかさなって山になっていました。
  色合い、体型ともに謎の猫が育っていました。

4、ことしの年越蕎麦のだしはアイガモでした。田で育てたものを頂きました。
  山でとった鳥類よりもおいしかったです。

5、妹が、夏に3人目の赤ちゃんを出産します。

6、ことしの初読書は、阿川弘之「雲の墓標」、遠藤周作「札の辻」、大江健三郎
  「芽むしり子撃ち」、堀田善衛「広場の孤独」が一冊にまとまっている、
  おそらく筑摩の文学全集でした。

7、自宅の猫はあの通りです。

8、ことしの初クラシック音楽は、「エマ・カークビーの肖像」でした。
  あ、そうではなく、父親に新幹線の駅まで自動車で送ってもらう中で聴いた
  ブラームスのビオラの曲だったかもしれません。

9、ことしの初夢は、今ではうろおぼえなのですが、なにかの学会の入場受け付け
  のようなところで、アーキヴィストの方や歴史学をしておられる方と話している
  ような夢だったと思います。

10、猫の写真を貼っていただくためにまうかめ堂さんに電話をしたついでに
   伺ったところ、まうかめ堂さんの初夢は、セーヌ河で鵜飼いをしている夢で
   あったそうです(鵜飼いをしているのを見ている夢だったかもしれません)。

1月のおわりまでに執筆しなければならない原稿があるので、いまは東京に戻って
います。2月になったら、またまうかめ堂さんに留守をお願いして、少し郷里に
戻る予定です。

2005年01月17日 23時54分50秒  帰京の延期のこと

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
本年が、みなさまにとって明るくすこやかなよい年でありますように。

まうかめ堂さんにお知らせをしていただいたように、家族が年明けに
病気をしてしまいました。
父親の父親である祖父なのですが、高い熱が下がらず、まだ病院におります。
なにかの菌が、身体に入って悪さをしているのだそうです。

年をとっているのと、身体の自由が効かないことから、だれかが付き添って
いる必要があります。
わたしではものの役に立たないので、祖母が祖父のかたわらにおります。

父親と母親は仕事を持っており、妹は嫁いでおりますので、
アーキヴィスト見習いのわたしがすこしお休みをいただき、家において
祖母がしていた家事と、親類をはじめ諸方面との連絡係をしておりました。
あたたかく許可をいただいたアーキヴィストの見習い先に感謝いたします。

もう少し様子をみたのち、親族による付き添いと後方支援のネットワークが
組まれるものと思われますが、そこにはわたしも組み込んでいただくことに
しております。そのおりには、東京とすたんこの里の往復ぐらしをすることに
なります。

生まれたときからいっしょに住んでいる祖父ですので、この瞬間も心配で
なりません。よい転帰になるよう祈る日が続いております。
みなさまにはご心配をおかけいたしますが、どうか心に留めておいて頂ければ
とても心強いです。 

郷里に戻っていたあいだに、まうかめ堂さんに載せていただいていたのは、
家で飼われている猫の写真です。PHSについているカメラで撮りました。

この猫は1995年のおそらく春に生まれ、その年の夏に家にやってきました。
日記アーカイヴにそのおりのことが書いてあると思いますが、わたしが留守番を
していた日に、のろりとやってきた猫でした。

郷里の家でひとりで連絡を待ったり家事をしたりしているあいだ、この猫は
とてもよいなごみになりました。

家族の病気という大きな事件はありましたが、帰郷のあいだにはほかにも
いろいろなことをしていました。これらのことは、おって書こうと思います。
 

2005年01月16日 00時19分58秒  これで最後(多分)

あの、こんにちは、まうかめ堂です。

スタンコお嬢さんは明日戻ってくるそうです。

2005年01月13日 01時23分14秒  ねこねこねこ

あ、どうも、まうかめ堂です。

スタンコお嬢さんからは定期的に写メが送られてきます。

2005年01月08日 19時48分04秒  ねこ2

あ、え〜と、どうも、再びまうかめ堂です。

スタンコお嬢さんからまた写メが送られてきました。



そのスタンコお嬢さんは家の人が急病で手が離せなくなった、とのことで、こちらに戻ってくるのは16日以降になるそうです。

2005年01月04日 02時19分48秒  ねこ

あ、え〜と、あの、まうかめ堂です。
スタンコお嬢さんから写メが送られてきて、「すたんこ日記」に貼っといてと言われたので貼っときます。

2004年12月16日 22時16分12秒  週末のぐあいのこと

 先週の土曜日と日曜日は、アーキヴィストの見習いをさせていただいている
片方のところで、外国から話者をお招きしての大きな研究会が行なわれて
いました。

 むかしの史料が現在どこにあるか、とか、むかしの史料がどのような事件や
政策決定によってなくなっていったかなど、たいへんためになるトピックが
多い研究会でした。

 ところが、土曜日のセッションのあいだにも、なんとなく寒気がして頭痛が
します。大切なお話のあいだもうとうとするありさまなので、セッションが
おわってまっすぐ帰宅して体温をはかってみたところ、めずらしいほどの熱が
出ていました。

 この原因は、もう一つの見習い先の研究室の先生からの風邪の感染と思われます。
先週の木曜日、熱っぽいご様子の先生が、それでも研究室の皆と昼食を外でとると
仰るので、皆でパスタをいただいたあたりから、不穏な気配はありました。

 ふだんはたいへん健康な先生を風邪状態におとしいれる菌というのは、よほどの
ものに違いありません。そういえば今年の春先にも、やはり風邪気味であった
先生からの感染と思われる肺炎にかかってしまったことがあります。このおりは
わたしのみならず、助手さんと、別室の研究室のスタッフが全滅してしまいました。

 聴きたかった日曜日のセッションを休み、月曜日と火曜日もベッドですごし、
きのうからうろうろと外に出られるようになりました。きのうは久しぶりに父親と
夕食をいただき、久しぶりに、むかし仕事をしていた街のあたりを駅まで歩きました。
苦懐かしい、濃く重いたたずまいは変わっていませんでした。

 

2004年12月05日 20時00分07秒  本懐のこと

 前回、どういただくかで悩んでいたとりのシチューの件ですが、
金曜の夜をもって無事に鍋を空けることができました。

 マカロニをゆでてチーズといっしょに鍋に入れ、クラッカーと
いっしょにいただいたのがしめくくりでした。自己責任ではありますが、
少しのあいだ、同じものをこしらえることはないものと思われます。

 とりのシチューをこしらえるのに牛乳を使ったところ、少し余りが
出ました。それは杏仁豆腐にして、これも今日、無事にタッパーを空ける
ことができました。

 杏仁豆腐は、甘いものの中でも好きなものの一つです。
ひとむかし前の杏仁豆腐は、缶詰めの果物と混ぜた色のついた寒天の
ようなものでしたが、近年は杏仁をつかって本式にこしらえたものが
食べられるようになりました。

 お茶の水の駅を聖橋と反対のほう(順天堂などがあるほう)に下車し、
駅の前の道を神保町にむかっておりてゆき、交差点になる1ブロック前、
ファーストフード店と薬屋さんのあいだを右に折れて少し歩くと、道路の
右側に中華料理店があります。

 いくつかの甘味のメニューがある中で、ある日杏仁豆腐をお願いした
ところ、ちいさなお椀にまっしろい杏仁豆腐が、おたまですくった形のまま
ぽてりと2すくい入っていました。ふわふわとして、かすかにココナツのような
味もするその杏仁豆腐に夢中になり、お店にでかけると必ずいただいています。

 そのお店は料理を出すところなので、杏仁豆腐だけを注文することは
できません。一度でよいので、中華そばを入れるどんぶりになみなみと注がれた
杏仁豆腐をごくごく喉を鳴らしていただいてみたいものだとずっと思って
いました。

 とりのシチューをこしらえてあまった牛乳をどう使うか考えたおり、
杏仁豆腐をどんぶりでこしらえてみようと思ったのは月曜日の夜のことでした。

 冷蔵庫を少し整理してどんぶりがまっすぐ入る空間を作り、出来上がりが
ふわふわになるほうの杏仁豆腐の素を用意して作成に臨んだのは火曜日の夜の
ことです。

 汁椀をそのまま大きくした形をした磁器のどんぶりに7分目ほどまで
なみなみと注がれた杏仁豆腐の液は、水曜日の朝には見事に固まっていました。

 クコの実と龍眼肉を入れたシロップをこしらえて家を出て、いよいよどんぶりと
向き合ったのは水曜の夜でした。とはいえ、どんぶりからじかにいただくのには
土壇場のところでためらいが生じ、小さな磁器の椀によそっていただくことに
したのは正解でした。二椀までいただいたところで、その日はなにか本懐を遂げた
気分でした。

 どんぶりの中の杏仁豆腐をタッパーに移し、それからは食事のたびに
少しづついただいて今日に至りました。とりのシチューは当分けっこうですが、
杏仁豆腐はまたこしらえてみようと思います。



 

2004年12月01日 22時15分58秒  シチューのこと

 せんだって、大学の灯火礼拝に出たあと、シュトーレンを
買って家に帰ったことは、せんだっての日記に書きました。

 シュトーレンをこしらえて売っているお店は、クリスマス以外の
季節はドイツパンとドイツ菓子をこしらえて売っています。
シュトーレンを買った日も、ひまわりのたねを表面にまぶしたパンと
ライ麦のパンをいっしょに買って帰りました。

 クリスマス節のはじめにしてはなんだかしみじみした礼拝でしたので、
せめてほのぼのしたごはんでもこしらえようと、その日はとりと野菜の
クリームシチューをこしらえました。にんじんと、やわらかく煮たじゃがいもと、
バターでいためたきのこが多めに入ったシチューです。

 読書机に食事用の布をかけてお盆をのせ、部屋をさがしてろうそく立てを出して
灯火礼拝で使ったろうそくを立てて火をつけ、あたたかいシチューと薄く切った
パンでその日の夕食をいただきました。食後には紅茶とトローネをいただきました。

 ここまでは、なんともしあわせなものだったのですが、その日のシチューは
材料の目分量をあやまったために、たっぷりふたなべもできてしまいました。
われながら少々気まずい思いで、今日もシチューをいただいています。

 カレーほどではありませんが、シチューも煮返すとおいしくなるようです。
ですが、明日あたりには、いよいよ本格的に用法の転換を考えなければなりません。
深めの皿にいれて、薄く切ったパンとチーズをのせて焼くか、ブイヨンで少し
ゆるめ、パスタとあえていただくか、どちらにしようか考え中です。

2004年11月29日 22時35分52秒  クリスマスのはじまりのこと

 
 きのうの日曜日から、クリスマスの準備の季節が始まりました。

 きのうは、夕方になってからのろのろと部屋をさがし、クリスマスリースの
台になる植物のつるでこしらえた輪と、輪につけるいろいろな飾り物を
出してきて、あれこれと飾り物を輪につけて今年のリースをこしらえました。
 
 なんといいますか、玄関のないつくりの住まいなので、リースは部屋の
入り口のドアの、部屋に面したほうに下げて飾ります。ドアの部屋に面した
ところには、部屋の外につけてあるのと同じく、磁器の小さな板に部屋の
アルファベットを花文字で書いたふだが取り付けてあるので、そこにうまく
ひっかけると、軽いリースぐらいは飾ることができます。

 ここ数年の経験から、生の葉や生の木の実を使って飾りをしたリースを
室内に飾ると、室温のせいで葉や実がすぐに落ちてしまうことがわかりました。

 ちょうど修士論文をまっさかりに書いていた年には、本物のひいらぎの枝を
リースにの材料にしたことがあります。本式のひいらぎのリースをこしらえる時には、
あらかじめ柳やもみの枝で台になる輪をこしらえておいて、そこにひいらぎの枝を
じょうずに編み込んで留めてゆくのですが、それを略して、つるでこしらえた輪に
適当にひいらぎの枝を差し込んでいったところ、枝が輪から外れるのと
葉が枝から外れるのがそのうちいっせいに起こり、論文を書きながらひどくみじめな
気分になりました。

 これに懲りて、それからは、毎年少しづつ買っていくクリスマスの下げ飾り
だけを、輪に糸で下げることにしています。

 きょうは、卒業した大学でクリスマス節のはじめの灯火礼拝があるという
ことで、お仕事を少し早びけさせていただいて出かけました。
 昨年まで聖歌隊の指揮をしておられた先生が、昨年の灯火礼拝のすぐあとに
亡くなられたため、ことしはオルガンの先生が聖歌隊の指揮もしておられました。
華やかというより、なんだかしみじみした礼拝でしたが、それもありなのかも
しれません。
 
 礼拝のあとは、校庭のクリスマスツリーの点灯式がありました。
二本の大きなツリーの点灯台を、学長先生と聖歌隊長さんが押したところ、
一本しか灯りがともりません。こんなことは初めてでした。

 なんといいますか、微妙にしまらないような、しみじみしたような気分で
学校を出て、帰り道のドイツパンの店でクリスマスの焼き菓子
(シュトーレンといいます)を買って家に帰りました。シュトーレンは
金色のひもでリースといっしょに下げておき、ちょっと待ってからいただく
つもりです。

2004年11月23日 19時25分47秒  恋のことば、のこと

 アーキヴィストの見習いをしているかたほうの研究室では、
主に戦後にかけて、法律を作ったり審議にたずさわった方の
日記をずっと読んでいます。
 
 ことがらが戦後のことであり、また機微を含むために、読んで
テキストファイルにしたものがすぐ原稿や本になるわけではありません。
そのため、少し急いで読まなければならない書き物や日記をたのまれると、
戦後のその方の日記はあとまわしになります。

 本になることが決まっているため、さきにしなければならなかった
仕事が終わったので、今月からまた、戦後のその方の日記を読みはじめる
ことになりました。
 
 昭和24年からはじまったこの方の日記は、今月、やっと昭和39年に
たどりつきました。日記はこの方が亡くなられる直前まで続くのですが、
読む範囲は昭和40年の初頭までなので、もうすぐゴールです。

 日記のはじめのほうで、この方がいっしょうけんめいおふろに入れたり
していた男の子は、昭和39年に大学に合格しました。すこし年の離れた
男の子のお姉さんは、やがてお嫁に行き、昭和39年には男の子のおかあさんに
なります。もうひとりのお姉さんも日記のなかにお嫁入りのはなしが
出てきます。結婚式の前日の日記には、仕事のあと、誘われていた踊りの会を
見に行って帰宅が遅くなってしまったところ、家族全員からひどく叱責されたと
書いてありました。

 また、この方は犬がすきなようで、犬を連れて散歩をするという記述が
よく出てきます。日記のはじめのほうにでてきた犬の名前はアルマといいました。
アルマは昭和33年に亡くなり、つぎの犬の名前はポチになりました。
昭和38年には四郎丸という犬がやってきてポチと四郎丸の併存が始まりますが、
昭和39年にはポチが早世してしまい、四郎丸だけになります。

 日記をずっと読んでいて気付くことは、外来語の少なさです。
国名や外国人の名前や固有名詞など、カタカナ以外の表記が存在しないものを
除くと、大学ノート1冊がだいたい1年に相当する日記のなかで、外来語の数は
10に満たないほどだと思われます。

 きちんと読み返していないのでうろ覚えではありますが、昭和38年の日記に
登場した外来語は、クリーナー、アベック、ランデヴー、テロ、の4つほどだった
と思います。現在は掃除機と呼ばれることが多いクリーナーがカタカナ表記されて
いるのはおもしろいですし、アベックとランデヴーが、同じく外来語ですが、
いつからカップル、と、デート、に変化したのかも興味深いです。

 日記を読んでいるところとはべつの、アーキヴィストの見習いをしている
もうひとつの研究所には、昭和10年に刊行された「大東京うまいもの巡り」と
いう書籍が所蔵されています。

 「世は統べてエロ・グロ・テロの時代である」

という書き出しから始まるこの本は、それ自身非常におもしろい読み物ですが、
この本の巻末に掲載されている、同じ出版社の同じような企画の書物には、
「流線形アベック ランデヴー指南」というものがあります。
この本は研究室には所蔵がないので、宣伝文しか読んだことはないのですが、
なんといいますか、この書物で目的とされていることは、若い男女が、
いかにして婚前にうまく旅行や逢い引きなどをスマートにいたすか、という
ことのようでした。

 なんといいますか、いわゆる恋および恋に関連する用語がフランス語から
英米語に転換した時期はいつで、その背景というものは何なのか、調べて
みたくてしかたがありません。

 

 
 

2004年11月11日 22時33分52秒  ヌガーのこと

 おとといあたり、甘いもののことについて日記を書いたところ、
まうかめ堂さんから、ヌガーというのはどんな食べ物ですかという
質問をいただきました。
そこで、トローネの説明の前提になるヌガーについて、少し書いておきます。

 ヌガーというのは、卵白とアーモンドの粉末と蜂蜜と煮詰めた砂糖を
よく混ぜ合わせたものに、木の実や乾燥果物を入れて冷やし固めたものです。
キャラメルのような歯ごたえがありますが、ミルクは入っていないので、
強い甘味のなかに、木の実や果実の味がそのままします。

 小さなころは、乾燥果物の甘味と歯ごたえが好きでなく、そういうわけで
ヌガーはあまり好きでありませんでした。

 何より、むかしいただいていたヌガーは歯にねっちりと付いてしまうのが
苦手でした。
「ヌガー」と発音すると、語頭の「ヌ」のところで、舌先が上前歯のうしろの
上のほうに少し触れますが、ヌガーがいったんここに貼り付いてしまうと、
舌先で前歯のうしろをいっしょうけんめいこすってもなかなかとれなくなります。

 かんしゃくを起こしたくなる気持ちが、「ガー」のほうにこもっている
ようで、ヌガーというのは実に気分にあった名前だなあと、ずっと思っていました。

 ヌではじまる甘いものには、ヌガーのほかに、パンやクラッカーに塗って
いただく、チョコナッツ風味の「ヌテラ」という瓶詰めの外国製品がありますが、
これはたいへん好物です。

 こちらのほうの語感は、バターナイフにヌテラをたっぷりとって塗り付ける瞬間と、
ミルク成分の多いあたたかな光沢をそのまま表現しているようで、なんともうれしい
気分になります。

2004年11月09日 22時16分03秒  針のこと

 
 きのうは、年に数回通っているお医者さんの日でした。

 あれはおそらく1999年の夏からのことなのですが、
なんといいますか、年ごろのお嬢さんに月々やってくるものが
ぱたりとなくなってしまいました。

 同じころから、まるまるさんになったり身体のぐあいが
変わりやすくなってきたりといったことも起こるようになったので、
知り合いのお医者の卵さんが勉強をしている大学がしている病院に
通うようになりました。いまも年に数回通っては飲むお薬をいただいて
います。

 以前日記に書いたように、お医者さんでは、時々お薬を飲むことを止めて
身体のぐあいをモニターするよう指示をいただくことがあります。
先月と先々月がその時期にあたっていたのですが、その時期はどうも
身体の具合がよくありませんでした。

 きのう、お医者さんにその旨をお話したところ、それではちょっと血を採って
みましょうということになり、そういうわけできのうはちっと痛い思いを
して、指ほどの太さの管ふたつぶんの採血をしました。
ちくっとするものの中では痛くないほうに属するものの、やはりきらいです。

 ちっと痛い目にあったので、楽しいことをして埋め合わせをしようと、
きのうはお医者さんを出てお薬をいただいてから、レストランでロシヤ料理の
お昼をいただきました。

 いただいたのは、ボルシチと、薄い皮で具をくるんだフレンチピロシキという
種類のピロシキと、きのこととり肉のパン種かぶせ焼きとパンとお茶です。
料理をこしらえているところに向かいあう席に案内していただいたので、
コックさんがきびきびお仕事をしているのがよく見えて飽きませんでした。
これでちっとは血の埋め合わせができるかもしれません。

 お昼をいただいてから、アーキヴィストの見習いをしているところで
仕事をはじめたところ、こんどは季節のせいで息苦しい発作がはじまりました。

 夜になったらもう少し息苦しくなりそうだったので、仕事の帰りに寄れるよう
お医者さんに電話で予約をしておいて夕方さっそくでかけると、それでは
いつもの点滴をしましょうということになり、またちっと痛い思いをすることに
なってしまいました。

 加えて、朝の採血で(針の射し込みやすい)よい場所に針を挿してしまった
後だったので、点滴の針を挿したのはいつもよりちっと痛いところでした。
なにも起こらず無事に済んだ点滴だったのですが、今でもなんとなく面影が
よくない感じがします。


 

2004年11月07日 20時15分53秒  甘味のこと

 秋だからかもしれませんが、甘いものをよくいただくように
なりました。

 自分における「甘味をたのしむ行為」、というのには、大まかにわけて3つの
分類があるように思われます。

 1つは、甘味料をそのままいただくことです。
これは、部屋の机で仕事をする時や、のどの具合がよくない時にすることが
多く、ごく小さな入れ物に氷砂糖や黒砂糖のかけらや蜂蜜などを入れて
机の上におき、なんとなくいただくというものです。

 氷砂糖と黒砂糖は、以前日記で書いた木耳を煮るシロップをこしらえる
ために買っておいたものがあるので、それをいただいています。
 蜂蜜は、郷里から送っていただいた山里のもののほかに、いろいろの
花や樹木のものを売っているお店が仕事先の近くにあるので、そこから求めて
きます。いろいろの味があるのが驚きです。

 ここで留意しなければならないのは、甘味料をいれておく入れ物の
大きさです。出ていれば出ているだけいただいてしまう性分なので、
まるまるさんになるのを少しでも防ごうと、入れ物をなるべく小さくしておいて、
それが終わったら今日のぶんはおしまい、ということにしなければなりません。
現在は、ダンスクという会社のこしらえた陶器でできた卵立てがちょうどよい
大きさです。

 もう1つは、果物をいただくことです。
果物は、酸味のあるものより甘味だけのものや甘味の強いものが好きで、
今の季節は梨をよくいただいています。果物は皮をとっていただく大きさに
整えたものをタッパーにつめて冷蔵庫にしまっておき、食事のさいごに
いただくことが多いです。

 果物の一形態として、乾燥させた果物を、やはり卵立てに入れておいて
仕事のあいまにいただくこともあります。よくいただくのは白いちぢくと
なつめやしです。

 3つめは、前出の2つの複合といえるもので、果物を甘味料で調理したり、
組み合わせや調理方法のごく簡単な菓子や飲み物をこしらえたり求めてきて
いただくことです。

 自分でこしらえるものには、前出の木耳のシロップ煮のほかに、
甘夏やオレンジの皮を砂糖煮にしたものや、梨やりんごなどでこしらえる
チャツネがあります。

 お店で求めてくるものにはいろいろなものがありますが、今のところ
いちばん気に入っているものは、イタリアのトローネという菓子です。
これは、卵白を泡立てたものと蜂蜜を混ぜてヌガーのようにしたものに
乾燥果物や木の実を練り込んで固めたもので、棒のようになったものを小さく
切り分けていただきます。ぺたぺたしているようですが歯につくことは
ありません。

 今日いただいた甘いものは、桜の花からとった蜂蜜を卵立てに3分の1
ほどと、粉を練ってこしらえたココアを紅茶カップに2杯でした。

 甘いものの話は、好きなのでおりおりに書こうと思います。

2004年11月05日 23時03分57秒  雪の下のこと

 祖父の兄が亡くなってから、日記を書かないでいてしまいました。
祖母の電話によれば、祖父の兄の納骨は、地震がまだ不安なのと、
雪がお墓をすっぽりくるんでしまう冬は寂しいだろうということで、
来年、雪解けを待って行なわれる予定であるとのことです。
年末年始の帰郷のおりに、きちんと線香をともそうと思います。

 母の里は土葬であることは、以前日記に書いたことがあると
思いますが、そういえば母の母が亡くなったのも、母の祖母が亡くなった
のも雪深い冬でした。

 寒さの中で、葬儀にたずさわる家族が粗麻の喪裃に素足に藁草履
(それも埋葬のあとは墓地で脱いで帰るので、帰りは素足です)
というのも寒いことでしたが(わたしたちの家族は身内ではなく親戚で
あるので、衣装は頭に三角の麻を巻くだけでしたが)、
雪を掘り下げ、さらに地面を深く深く掘り下げて埋葬を行なってしまわなくては
ならないのは、大変つらいことなのだなあと思うようになりました。

 母の母は、母の父とならんで埋葬されたのですが、その場所は墓域の
端のほうでしたので、埋葬地を見つけることは容易であったようでした。

 母の祖母も、母の祖父とならんで埋葬することになっていたのですが、
墓域の中間あたりに母の祖父が埋葬されていたため、隣に場所を定めることが
難しく、結果として母の祖父が埋葬されている場所をちょうど開いてしまいました。

 埋葬の準備で墓地に出かけていた近所の手伝いの方々が、いやぁすまない
ことをしてしまった、と言いながら戻ってきたことを憶えています。

 葬儀のことや埋葬のことなど、あまり日常ではないことを書いて
しまいました。おだやかな気持ちの時や、なにか楽しい気持ちのときに
こちらを見てしまわれた方には、少し心苦しい気持ちがします。

2004年10月26日 22時40分16秒  祖父の兄の帰天のこと

 帰宅して夕食の準備をしていたところ、父親から電話がかかってきました。
祖父の兄が日曜日の夜に息をひきとったということです。
祖父の兄は、しばしば日記で書いていた猫の山里の家を守る方です。86才でした。

 具合がわるくなって病院に運ばれたのが土曜日の昼で、日曜日の夕方に
危篤になったということですが、地震がおきてから毎日電話をしていても、
家族はなにも知らせをしてくださいませんでした。
 仕事があるのに帰郷などするのはたいへんみっともないことであるので
決してしてはならないことと、弔電を発送しておくようにということで
電話が終わりました。
 
 郷里に電話をかけなおすと母が出て、月曜日は通夜の準備で出ていたと
いう話をして下さいました。
 猫の山里は山奥にあるので、通夜や葬儀は現在でも自宅で行ないます。
山里の方々が総出になり、家族による魂呼びからはじまり、男手による
ひつぎの組み立てや女手による旅衣装のぬいもの、親戚による日程の触れや
斎料理の段取りなどが行なわれていった様子を知らせていただきました。
 
 祖父の父、つまりわたしの曾祖父が亡くなったのは12年ほど前の
梅雨のころでしたが、なんとなく気配に気付いてこちらから電話をかけて
みるまで、郷里から知らせが来ることはありませんでした。

 祖父の母が亡くなったのは同じ年の夏でしたが、その時は出先で
指揮をしており、帰郷するまで亡くなったことと葬儀の済んだことを
知りませんでした。

 日曜日に息をひきとった祖父の兄の奥様が亡くなったのは一昨年の
初秋であったかと思いますが、そのおりは忙しい仕事をしていました。
今回のように、決して帰ってくるようなことのないようにという電話を
いただき、しかたがないので祈りながら仕事をしていました。

 病気ではあったものの、さほど予兆もなく思いがけず息をひきとった
ことで、祖父の兄はこのあたりからめっきりおとろえていったように
思われます。

 年明けに祖父の末弟が亡くなったとき、祖父の兄はベッドに就いて
眠ったままでした。事態を知らせてはかえってよくないだろうと、いろいろな
ことは伏せたままであったのですが、鋭敏で思慮のあった祖父の兄ですので、
おそらく気付いていたのではなかろうかと思います。

 両親や奥様や弟に出会って、祖父の兄が安らいでいることを祈るばかりです。



 

2004年10月25日 21時21分46秒  魚の夢のこと

 土曜日の地震では、郷里もだいぶ大きな揺れがありました。

 テレビを持たないので、ラジオの音を聞くと急に心配になってしまい、
その日は大家さんのところでテレビを見せていただき、夕食をいただいて
帰ってきました。

 郷里から送られてきた野菜をおすそ分けしたところ、ロールキャベツの
トマト煮と、ハーブを練り込んだパンと、キャベツとオリーブとモッツァレラ
チーズをあえたサラダという献立になってお返しをいただいたような形です。

 食後は、いちじくを洋酒につけたものをいただきながら、テレビにうつった
新幹線の橋脚の構造について、大家さんがいろいろ解説をしてくださいました。
大家さんは、ふだんは大学で物理学と工学の先生をしておられます。

 少したって電話がつながったところ、家族はみな息災なので安心しましたが、
余震が続くので心配は絶えません。週末はほとんど眠ることができません
でした。

 心が落ち着かないまま床についたためか、きょうの朝方はふしぎな
夢をみました。うなぎのような長い魚が、なぜか歯をむいて水槽ごしに
頭を出してこちらを威嚇している夢です。うなぎにしては、体の模様が雷魚の
ようでこわいなあとか、鋭い歯だなあとか(夢の中で)思っていると、
そのうち(夢の中で)地震がおきて、長い魚が水槽をざばりと飛び出してきました。

 フローリングの床でうねうねとする長い魚をつかまえて水に戻してやりたい
ものの、いっそう激しく威嚇するので困ったり怖くなったりするところで
目が醒めたものの、しばらくは夢と現実の区別がつきませんでした。

2004年10月21日 22時51分40秒  能と狂言のこと

 先週の金曜日に、街の野外能に出かけてきました。
 能の舞台は、四方に欄干のついた正方形をしており、舞台にむかって
左側の奥に、楽屋と舞台をつなぐ通路状の部分があります。
いただいた席は舞台にむかって左端のいちばん前の席で、舞台の正面には、
舞台が設けられたお寺のご住職や街の市長さんや商店会長さんが座って
おられました。

 野外能は、演目の紹介のあと、面や衣装をつけずに舞だけをする
仕舞というものと、仕舞を少し長くしたような舞囃子というものがはじめに
行なわれ、その次に狂言が上演されました。

 狂言の演目は「磁石」というものでした。刀で斬られようとする瞬間に、
鉄を食べていないと死んでしまうという磁石の精に咄嗟に扮した主人公が
大口をあけて刀を呑もうとするしぐさをするというものです。
十四世紀に、磁石の機能が擬人化されて表現されていることにおどろきました。

 能の演目は、「阿漕」というものでした。
 なんといいますか、能のしぐさが、これほどビット数の高いものであることを、
間近で見てはじめて知りました。また、能面がこれほど実在感を持つもので
あることも、間近で見てはじめて知りました。

 室内の能舞台であれば松の絵が描かれている舞台の背景は、お寺の境内の
おおきな欅の木そのままです。風が木をわたる音や街の音、かがり火の木の
香りなど、いろいろな感覚といっしょに楽しむことのできた舞台でした。
これはぜひ、来年もでかけようと思います。

2004年10月15日 00時45分48秒  野外能のこと

 あす(実質的にはきょう)は、街で野外能が上演されます。
街の中心の広い庭に舞台をこしらえ、夜になるのを待って、
かがり火をたいた中で上演されます。
 野外能の上演は街の恒例行事なのですが、ことしは、アーキヴィストの
見習いをしている研究所の方からきっぷをいただき、初めて鑑賞の機会を
いただきました。

 能を鑑賞するのは初めてなので、まうかめ堂さんに、能とは
どんなものかたずねてみたところ、
 「舞台の上で、ひたすらなにもしないでいるあたりは、
なんというか限界曲線そのものである」
という答えをいただきました。

 こどものころは、能というのは(テレビで見たことはあります)、

「・・・・のぅ・・・・のぅ・・・・」

という上演の声から のう というのだと思い込んでいました。
きっぷをいただいた方のご家族のとなり席ということで、うとうと
することがないよう、今から緊張しています。 

 上演される能の演目のあらすじは、禁域になっている海でこっそり漁を
していた漁師が、罰として生きたまま海に沈め殺されてしまい、
死んでからもなお、罰によって苦しみ続けるというものだそうです。
 街で20年近く続いている上演会なので、20年のあいだに
めでたい演目、有名な演目はあらかた演じてしまい、珍しい演目、難曲と
される演目が残っているのだろうということでした。
 上演の感想は、のちほど書こうと思います。

 

2004年10月12日 22時20分16秒  洗い髪のこと

 思うところあって、一月ほど前から、せっけんで髪を濯うように
なりました。髪にも身体にも洗い物にも使えますというふれこみの
せっけんをたくさんいただき、さてどうしようかと思ってのこと
でした。
 おりから髪を少し切ったせいもありますし、現在のところいたみの
全くない髪なので、多少のことはあっても大丈夫だろうと思った
せいでもあります。

 せっけんで髪を濯うには、髪をよく湯にひたして、髪をつかって
せっけんを泡立てるのがよいようです。髪でせっけんを泡立てていると、
髪とはいえ、毛は毛なんだなあというふしぎな感じがします。
 すすぎをきちんとすれば、濯いあがりは今までとかわりません。
 リンスのかわりに、酸味料につかう白い粉のようなものを湯で溶き、
髪にかけ廻してからすすいでおしまいです。リンスの粉といっしょに、
植物香油をすこしたらすとよい香りが残ります。

 そういえば、むかし、どこまで髪というものは延びるものか、
なんとなく髪を切らずにすごしてみたことがあります。2年半ほどかけて
膝のうしろまで延ばし、神社の鈴のひものような太さに編んで提げて
いたのですが、どうにも扱えなくなって肩まで揃えていただきました。
それだけで身体の重さが2キロ軽くなったのでおどろきです。
 切り落とした髪房は、祖母が針刺しに詰めるといって少し取り、
残りは、漆のぬりをしておられるという方がぜひにといって
持ってゆかれました。上塗りの刷毛になるのだそうです。
 

2004年10月10日 23時16分27秒  野菜続々のこと

 きのうは、台風なのと体調がよろしくないのとで、ずっと部屋にこもって
ごろりごろりとしていました。ですが、しなければならないことをしないで
溜めてしまうのもますますおっくうなので、のろのろと起き出してアイロンを
かけていました。

 率直に申し上げて、シャツも5枚以上たまると一仕事です。シャツを5枚と
コットンのワンピースを2枚、コットンセーターを2枚、ハンカチを6枚ほど
アイロンがけしたところで力つきました。秋になり、素材がコットンになった
ぶん、それでもまだ楽かもしれません。

 東京から台風が去ったところで、郷里に台風に注意の電話をしてみた
ところ、祖母がひとりで留守居をしていました。昨日から出張に出て、
夕方には戻るはずの父親がまだ戻っていないといいます。祖父も外泊をして
おり、すげないものだと思いながら留守居をしていたところらしく、だいぶん
長話になりました。せんだっての荷物に入り切らなかった馬鈴薯と南瓜を追送
してくださるとのことだったので、ありがとうと言って電話を切りました。

 きょうは、父親からの電話で起こされました。昨夜はぶじに家に着いた
ことと、出張先で見つけた野菜と果物をたんと送るので待っているように
とのことです。品目をたずねるとトマトと洋梨だといいます。電話を切ったあと
あわてて、買っておいたトマトを湯むきしてサラダにして平らげました。
 ものが重なる時というのは、あるものです。

2004年10月09日 01時10分08秒  不具合と台風のこと

 先週のなかばあたりから、なんだか身体がだるい感じが
していたのですが、なかなかそれがよくならないので、きょうは
大事をとって家にいることにしました。

 かぜだろうと思っていたのですが、調子がよくなくなった日から
考えると、ふだん服用していて、年に1度か2度、調子を見るために
服用を休んでみるお薬のせいだとも思われます。すこし様子をみて、
治まらないようであれば、定期的な通院のまえにお医者さんにかかろうと
思います。

 食欲もさほどないので、きょうは蜂蜜をなめなめ、本を読んだり
書き物をしたりしていました。身体のだるさといっしょに、なんだか
すこし頭がふらりふらりもするので、本もあまり頭に入りません。
文字のあるものはやめて、展覧会の画集や、ルネサンス期の宗教画の
画集を眺めることにしたところ、すこし落ち着きました。テンペラの
あかるい色あいがよかったのかもしれません。
 
 きょうはまた、郷里から和梨やらぶどうやらとうもろこしやら
半生の中華そばやらハムの塊やらがたんと届きました。
 送られてきた品目を綜合すると、これは、
「とうもろこしをのせた中華そばをこしらえて、食後に果物を
たべるように」というメッセージにちがいありません。
台風で外に出られないぶん、ありがたくいただこうと思います。


 

2004年10月07日 23時31分06秒  万霊節のこと

 まうかめ堂さんから、あたらしい日記の場所をいただきました。
すこし勝手がちがうので、慣れるまでお見苦しいことがあるかもしれませんが、
どうぞよろしくお願い申し上げます。

 もう今週もおわり近くですが、先週の土曜日には、街の音楽ホールにソプラノの
演奏会を聴きにでかけていました。歌手のかたはドイツから来られたかたで、
伴奏のかたは日本のかたでした。すこし前に、このかたがやはりこのホールで
伴奏をされたおりは、曲目はオペラが中心で、たいへんはなやかな音でした。
今回はドイツの歌曲が中心だったので、またちがったピアノの音がしました。

 演奏会の曲目には、予定では「歌の翼に」が入っていました。それが
聴きたくて演奏会のきっぷを買ったのですが、会場に着いてみると曲目変更の
紙がたてふだに貼ってあります。「歌の翼に」はなくなっており、
フーゴー・ヴォルフの「メーリケ歌曲集」からの抜粋などにかわっていました。
予定されていた曲目のうち、予定通りだったのは「ます」と
「糸をつむぐグレートヒェン」ぐらいであったと思います。

 演奏会のさいごの曲(アンコールの前の曲)は、リヒャルト・シュトラウスの
「万霊節」(Allerseelen)という曲でした。
 たいへんすきな歌曲なので、歌詞を下にあげておきます。

 テーブルに、よくかおる木犀を飾ろう。
 名残の赤いアスターを添えて。
 もう一度愛を語り合おう、あの5月のように。

 手を出して。こっそり握れるように。
 誰かに見られようとかまわないから。
 おまえの甘いまなざしを、一度でいいから注いでおくれ、
 あの5月のように。

 きょうはどの墓にも、花が咲きにおっている。
 1年に1日、死者たちが自由になる日。
 わたしの胸においで、またおまえを抱けるように、
 あの5月のように。


 


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