3月22日 (水)  去年の天使のこと

帰国してからだいぶんたつのですが、お嬢さんの身体の調子はあまりよくありません。日記も少しお休みしてしまいました。

ハーバード大学フォッグ美術館には、ちいさな売店が2つあります。フォッグ美術館の建物は漢字の「口」の形をしていて、下辺のまんなかが入場口だとすると、上辺のまんなかは特別展のためのスペースになっており、2つの売店は上辺の左右の階段の下にあります。

どちらの売店も、広さは畳2枚ほどでしょうか。品物を包むための台に場所をとる必要があるので、売店係の方がレジに立つと、一度に入れるお客さんは一人がやっとです。売店が2つあるのは、ひとつの売店からはみだしたお客さんを待たせないようにするためかもしれません。

昨年の春にフォッグ美術館を訪れたおり、お嬢さんは思うところがあって、売店の奥にあったちいさな木の像を買いました。年輪のつんだオリーブの木を刻んでこしらえた、背中に翼をつけた少女の像です。

この木の像は、手をあわせて祈るふたりの少女と、両手を前にさしだしているすこし年上の少女の三人で一組になっていたものでした。ですが、お嬢さんの財源では、三人をいっしょに連れて帰ることはできそうにありません。売店係の方に、ひとりだけでも売っていただけるでしょうか、とたずねたところ、売店係の方は、ええ、いいわ、と応じて下さり、そのようなわけで小さな木の像は、お嬢さんといっしょに日本に来ることになったのでした。

今回、ふたたびフォッグ美術館を訪れることができるようになった時、展示物をながめ終わってまっしぐらに向かったのは木の像のあった売店でした。

売店には、昨年とおなじ売店係の方がいらっしゃいました。ウォーホルのような髪型と風体の、とてもすてきなおばさまだったので憶えていたのです。

小さな売店なので、ひとまわり見渡せば品揃えはわかります。ですが、いくら見渡しても、昨年の木の像たちは見えません。売れてしまったのだと見当はついたのですが、思うところのあったお嬢さんはどうしてもあきらめることができませんでした。

「すみませんが、わたくし、昨年、こちらで木製の天使の像を求めた者であります。それを探しているのですが、ございますでしょうか。わたくし、おそらく、このために日本から来たのです」

売店係のおばさまは、こちらをじっとながめると、
「あの女の子のことですね。あの女の子は天使ではなく、名前がついていたのです。でも、ほんとうに申しわけないのですが、みんな売れてしまいました。あれはとてもよいものだったのですが」
とおっしゃいました。

それでもお嬢さんが帰らないでいると、おばさまは
「すこし待っていてちょうだい。電話をかけて、どこかにストックがないか聞いてあげる」というと、どこかに猛烈に電話をかけはじめました。そして、「返事が電話でくるからここで待っていなさい」とおっしゃいました。

ほかにお客さんが来ないので、おばさまと話をしていると(実際には、おばさまの質問にお嬢さんが拙く答えていただけです)、やはりストックはなかったという電話がかかってきました。お嬢さんが手伝いをしなければならない講演の時間も迫っていたので、それではこれで失礼いたしますと美術館を出たのですが、なにかとてもよい時間をすごすことができました。

三人にしてから、さしあげたい方のところにさしあげようと思っていた像は、そのようなわけでひとりのまま、さしあげたい方のところに出かけてゆきました。安着のお知らせをいただいたので、書いておくしだいです。

写真は、フォッグ美術館の斜め前にあるファカルティクラブの入り口です。ファカルティクラブではランチをいただくことができますが、外観がすこし格調高いのと、入り口が小さく、かつ閉まっているので、気軽に出かけるにはすこし緊張するところです。






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