6月12日 (月)  よりそうこと

お嬢さんがアーキヴィストの見習いをさせていただいている場所は2つありますが、5月の帰郷から戻ってみると、そのうちひとつの研究室から、ことしの助成金獲得に失敗いたしましたので、申しわけありませんが来月以降の出勤は以前の半分にしてください、というお知らせが届いておりました。

これは困ったことでしたが、いろいろ考えたり相談をしたりした結果、お嬢さんは、とりあえず郷里に帰るとかアーキヴィストの見習いを切り上げるとかいう決断を下すことはすこし先送りにし、かわりにすこしつましく暮らしてみることにしました。

それから半月ほどが経過していますが、思ったほどつましさは感じません。思いがけずできた時間を、家事や部屋の中の史料の整理にゆるゆる使うことは、ここちよいような少し後ろめたいような、ふしぎな気分です。

大学のころ、専門科目を教えて下さっていた先生は、よく、「この科目が必要とされることはあまりないかもしれないけれど、学ぶことや研究することにはずっと寄り添っていなさい。いつか、なにかの機会が頭上に飛んで来たとき、いつでも手をのばせるようにしてあれば、それでよいのだからね」とお嬢さんたちに語ってくださいました。

追っていってつかんでくる、という方法もたしかにあるかもしれませんが、先生のことをたいへん尊敬していたこともあって、お嬢さんは以来どうものんびりしています。それでも、思いがけず出会った人々や人々の記録に寄り添い続けていられるのは、たいへんしあわせなことです。

写真は、スミソニアン航空宇宙博物館に展示してあった飛行機です。むかし活躍した型の輸送機だったような記憶があります。

「なにかの機会が頭上を飛んできたとき」という言葉から奇妙な連想をしてしまい、載せておくしだいです。

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