6月13日 (火)  人類学的に、のこと

お嬢さんの一族は、ふだんは北国の山奥でひっそりくらしています。祖父の里である猫の山里は林業を主とし、農業を従としたくらしをしており、母方の一族は、果樹の栽培や米作など、いろいろなかたちで農業にたずさわっています。

ちいさな山里なので、どちらの里でも、村落共同体がたいへんよく保持されています。成年男性の加わる組織には青年団や消防団などがあり、成人女性の加わる組織には各種の講や婦人会などがあります。

そのようなわけで、いとこが外国で結婚生活を送ることになり、夫やその家族たちがしばしば山里を訪れるようになったことは、山里にとっての大きなできごとでした。

ナシュビルでの結婚式を終えたいとこたちが、日本で披露宴を開くことになったときには、一族のほか、たくさんの山里の人たちが披露宴に参列して下さいました。それらの方々は「村方親戚」、もしくは「村親戚」と呼ばれます。

いとこの披露宴が行われたのは、たしか1999年か2000年の秋でした。お嬢さんは「村方親戚」の方々をアメリカの親族の方々に紹介する役割を割り当てられ、披露宴の会場に向かうバスの中で必死にお話を伺っていました。

いとこの父親より少し若い世代の、えらく威勢のよい5人の男性の方々は、自分たちは「酢豚会」という講を組織しており、月に一度、回り持ちでそれぞれの家で宴会を開き、そこでは必ず酢豚を食べることになっているのだ、そして講の長は、冗談ではあるが「豚頭(ぶたがしら)」と呼ばれているのだ、いう話をして下さり、ひとつそのあたりをうまく先方に紹介してはもらえないか、と威勢よく繰り返しました。

たのしいグループ、ということは理解できるのですが、お嬢さんには、酢豚とたのしいグループとの関連を合理的に説明できるよい英語の語彙が見あたりません。

大学院の授業のなかで、語学を除いて英語に依る割合が最も多かった科目は文化人類学でした。
人類学の教科書の記述の語彙だけをとりかえてでっちあげた「酢豚会」についてのお嬢さんの奇怪な説明を、そのとき披露宴に参列してくださったアメリカの親戚たちは今でも覚えていて下さいました。あのときはみんな「どうしていいかわからなかった」のだそうです。

「人類学的に申し上げて、彼らは豚をトーテムとする部族(トライブ)の構成員です。彼らは儀礼のために、男性のみでしばしば集会を催します。女性の参加は禁止されています。集会は夜間に行われ、そこではサワーポークと呼ばれる特別な食物を皆が分かち合います。彼らは、トーテムである豚を食べることで、その力を分かち合うのです。そして、彼が、部族のリーダーです。彼の部族内での呼称は「ポークヘッド」です」

写真は、卒業記念パーティの会場になった野外広場に咲いていた野ばらです。

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