6月3日 (土)  枇杷のこと

先だってこしらえた枇杷の砂糖煮が、そろそろ食べられるようになりました。

砂糖煮は、果物ですし、火も通してありますので、せっかちな場合は冷えたらすぐ食べられるといえばいえますが、枇杷の砂糖煮はすこし特別です。

枇杷は上下を落とし、皮だけ手で剥いで砂糖煮にすることが肝要です。皮は、枇杷の実の先端から茎についているほうに向かって剥いでゆくと薄くきれいに取れます。種は抜いてはいけません。

理屈はよくわかりませんが、そうしてこしらえた枇杷の砂糖煮は、置くほどに杏仁の香りがまわったすばらしいものになります。種からなにか成分が析出されるのでしょうが、種だけ砂糖汁に漬けてもこの風味は出ません。数回ぶんの枇杷の砂糖煮を通した砂糖汁は、紅茶や牛乳に入れるよい甘味料になります。

お嬢さんは北の国で生まれ育ったので、はじめて東京にでてきたとき、枇杷や蜜柑が家々にあたりまえに実っていることにたまげました。また、それらを庭に植えていながら、収穫しないでほおっておく家が多いことにもたまげました。

そのようなわけで、この時期、雨でもないのに傘を持ち、それを逆手にかまえている謎の人を見かけたら、それはきっとお嬢さんです。といっても、見ずしらずの家の成り物を勝手に荒らすのはよくありませんので、そのようなふるまいはかろうじて学校の中だけにとどめています。

お嬢さんが大学院に通っていたころ、校地のすみで傘を逆手に枇杷の枝を引き寄せ、しめしめと実をもいでいると、指導教官が通りかかりました。

野生の枇杷は種が大きくおいしくないぞ、と仰る先生に、砂糖煮のことをお話し、種が大切なのですと説明すると、先生は感心された様子で、そういえば、ぼくの父は台湾製糖に勤めていたよ、というお話をして下さり、砂糖煮ができたらゼミナールの皆で食べようとお嬢さんを放免して下さいました。

それから少しして、先生は病を得て入院され、世を去ってしまわれました。先生に与えていただいたさいごの言葉が、「なっているからといっても、人の家の枇杷を勝手にとってはいけないよ。あと、傘は順手に持ちなさい」であったのは、笑ってよいのか哭いてよいことなのかわかりません。

先生が天に帰ってことしで十年になります。そして、また枇杷の季節がやってきます。

写真は、いとこの夫の博士学位取得パーティーに際して注文したケーキです。中身はチョコレート生地です。右側のPh.Tというのは、Put her husband through (彼女は夫を押し上げました)という意味なのだそうです。


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