7月10日 (月)  次郎亀のこと

お嬢さんが通う接骨院に行くには、駅前の大通りをぬけてゆく道と、大きな公園をぬけてゆく道があります。

きょうは少し時間があったので、公園をぬけてゆく道を選びました。公園は大きな池と、池のまわりの遊歩道からできており、池には水鳥や錦鯉や亀がくらしています。

夏が近くなったので、水鳥の多くはどこかに帰りました。また、数週間前から池には病気が発生し、たくさんの錦鯉が死んでしまいました。静かになってしまった池がどのようなものか、ちょっと眺めてみようと思ったのです。

池の生き物を眺めるのには、池にかかった太鼓橋の上と、池の端の柵のない岸の2つのよい場所があります。

太鼓橋の上から見ると、たしかに池には色あいがありません。ですが、よくよく水面を眺めると、なにかの気配がひしひしと感じられます。

眼をこらしてみると、それらの気配は水面に鼻面を突き出した無数の亀であることがわかりました。小さなものは新書ほど、大きなものではB4版ほどの亀が、橋に立ち止まる人の気配を感じて、ゆっくりと、しかし着実に泳ぎ寄って来るのです。じりじりと泳ぎ寄って来る亀を手ぶらで帰すのは申し訳ないので、匆々に橋を下りました。

池の端に立ち寄ってみると、そこにも亀がたくさん群れておりました。数人の方々が餌を投げています。ここなら、手ぶらでも申し訳ない思いはあまりしません。大きな亀も小さな亀も、それぞれの口に合った餌をはぐりはぐりと食べています。

餌を投げていたお年寄りが、「おお」といって指差す先をその場の皆が追うと、たいへん大きな蛇が水面を泳いでいました。この公園で蛇を見たのは初めてです。

「お嬢さん、この池には鼈もいるのだが、見るかい」と、蛇を見つけたお年寄りが仰るので付いていってみると、蛇を見た場所からさほど遠くない岸辺に、脱衣籠ほどもある泥の塊のようなものが見えました。よく見ると塊からは大きな首が突き出て動いており、それはまさに鼈の頭です。

「これは次郎で、いつもこの場所にいる。もっと大きな太郎という鼈もいるのだが、それは夕方にならないと戻ってこない」とお年寄りは仰いました。

「いちど、おもしろそうなので衣装ケースに入れて家に持って帰ったのだが、夜通し暴れたのでまた戻したのだ。だから時々見に来る」とも仰いました。

揉み療治が終わったあと、お嬢さんはまた公園の道を通って家に帰りました。さきほどの鼈がまだいるかどうか見てみると、まだいました。太郎はまだ戻っていませんでした。

これはスープにすると、どのぐらいの分量になるものなのでしょうか。

写真は、メリーランド大学マッケルディン図書館の前の亀の像です。この亀の像の鼻先を撫でるとよいこと(試験に合格するとか、願いが叶うとか)があるのだそうです。


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