9月14日 (木)  拾い親のこと

アーキヴィストの見習いをしている研究所で午後のお茶をしているおり、赤ちゃんの歯はいつから出てくるのかという話になりました。

研究所のスタッフや、研究所に来て下さる方々のあいだに、このごろ赤ちゃん誕生の話をよく聴くためでしょう。

祖母や母にたずねてみたところ、お嬢さんは6か月のころ、下の前歯が生えてきたそうです。

お嬢さんが生まれた山里には、生後6か月前に歯が生える赤ちゃんには「六月歯」と呼ばれる獰猛な性格があり、そのような赤ちゃんは生んでくれた親を喰うものであるという俗説がありました。

そのような赤ちゃんを育てるためには、いちど赤ちゃんを「捨てる」という行為をし、形式的に縁をリセットしたあと、「拾う」という行為によってもういちど縁をつなぎ直せばよいとされていました。

捨てることも拾うことも「お約束」として行われるため、捨てる場所や拾ってくれる人はあらかじめ決めておきます。捨てる場所は、大きな道の道ばたや橋のたもとなど、いかにも捨て子が置かれていそうなところがよいとされ、お嬢さんは橋のたもとに捨てられることが決められました。

お嬢さんの拾い役には、橋のたもとに住むおばあさんが決められました。

その日、祖母は、根竹で編んだまるい籠に入れたお嬢さんを橋のたもとに置くと、すこし姿を隠し、拾い役のおばあさんがお嬢さんをたしかに確保したことを見届けて家に戻って待っておりました。

拾い役のおばあさんは、役割通り、お嬢さんを籠ごとお嬢さんの家に届け、お嬢さんの家では、これはこれは、うちでこの子を育てることにいたしましょうという定まった台詞を家族が唱え、お礼のごちそうをふるまって儀礼は終わります。

そのようなわけで、お嬢さんは一度捨てられ、また拾われて現在に至っています。

お嬢さんを拾って下さった方は、「拾い親」として、お嬢さんの婚礼には村親戚と並んで招待されることになっていましたが、年をとって亡くなってしまいました。

また、お嬢さんの生まれた里でも、このような儀礼はきっともうすたれているのだと思います。

写真は、墓参りで訪れた母の里です。

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