Profile
- HN
- まうかめ堂 / Maucamedus
- HNの由来
- Mauka Meadows
註1: マウカメドウズ Mauka Meadows という豆は、ドトールの豆にしては比較的価格が高い割に印象が薄いのであまり買ったことがありません。しかしマウカメドウズという言葉の響きは何か心に引っかかるものがあり、「マウカメドウズマウカメドウズマウカメドウズ」と心の中で呟いていたら、いつの間にやら「まうかめ堂's」に変換されてしまい、あるときスタンコお嬢さんに送った年賀状か暑中見舞いか何かの葉書にコーヒーの入ったコーヒーカップの絵を書いて、そこに「まうかめ堂's ブレンド」とキャプションを付けたのがそもそもの始まりです。将来、自分で商売をしなければならない状況に陥ったら自家焙煎のコーヒー屋をやり、その店を「珈琲のまうかめ堂」と名付け、店のイチオシの豆が「まうかめ堂's ブレンド」で、その説明文には註として「まうかめ堂's ブレンドにマウカメドウズは一粒も入っておりません」と書かれている…という妄想をしたりしました。
註2: Maucamedus は「まうかめ堂」を欧文化するときに考えたものです。ローマ字表記 Maukamedo ではあまりにもあんまりなので、Anthonello のラテン名が Antonellus に、 Philippo のラテン名が Philippus になるように、Maukamedo のラテン名は Maucamedus という第二変化名詞になるだろうということからこうしました。でも Maukamedo の最後の o は長母音なので Cicero と同じ第三変化名詞と思った方が良いかな、なんて気も…。そうすると欧文サイト名が Atrium Maucamedonis となってそれもアリだったかも、なんて思ったりもします。あ、それから k を c に変えているのはラテン語では k は非常に特別な場合にしか用いられないわけで Maucamedus の方がそれっぽいからという理由でです。
- real name
- n. nakamura
欧文のハンドルネームが決まってなかった時に MIDI data の中にこの形で credit としていました。名前を全て小文字で綴ったのはアメリカの詩人 e. e. cummings が最初なのではないかと思いますが Pierre Boulez も若いころはしばしば小文字でタイプしていたようで、それを真似ています。たとえ N. Nakamura と表記したとしても anonymous であることには変わらない、という気持ちがちょっと入ってたりします。
- サイト名
- 「中世音楽のまうかめ堂」 / Atrium Maucamedi
書店によくある「○○堂」というのが実は好きです。ジュンク堂、三省堂、駸々堂、堀江良文堂、いっこく堂?…。駸々堂は倒産してしまいましたが…。そういえば京都の阪急東寺駅の近くには「いのしし堂」なんていう小さな本屋さんがありました。最初見たときには、なぜに「いのしし堂」と思いました。「中世音楽のまうかめ堂」。感覚としては「まうかめ堂」が店の名前で、それを店主の呼び名にも転用してるという感じです。
- 職業(形式)
- 宇宙の調和を研究する。
「中世音楽」と全く無関係な分野の学術研究に携わっております。一応。
- ほんとのところあんた一体何者?
- ぽっと出の中世音楽ファン
まさに中世音楽ファンとしては「ぽっと出」で、1997年以前は中世音楽のことなどまるで眼中にありませんでした。それがあるときマンロウのディスクに出会ってドハマリ、このようなサイトをセコセコ作ってる始末です。だから古い録音などはあまり知りません。しかも未だに古楽ファンであるとは言えず、ルネサンス音楽は最低限しか聴かず知らず、バロック音楽はほとんど未知の世界です。1995年以前は20世紀音楽ばっかり聴いていました。今でも14世紀と20世紀を行き来することが多く、おそらく私が一番良く理解している音楽はアルス・スブティリオールの音楽とセリー音楽です。
- 性別
- 男
- 生年月日
- 197x. 5. 15
- 出身
- 東京都江戸川区(下町生まれ)
- 住まい
- 千葉県松戸市(郊外育ち)
関東暮しがずいぶん長いですが、3年間だけ関西で一人暮しをした経験があります。
- 血液型
- b型
パターン:青, Blood Type: Blue は「使徒」の証。なんて。
- 趣味
- ネルドリップ
- 座右の銘
- Adjust! Enjoy! Survive!
BSD系の OS に古くから伝わるコマンドに fortune というのがあります。これは「おもしろくためになる格言を無作為に表示する」プログラムで、昔の UNIX ではしばしばログインすると「今日の御言葉」が表示されるようになっていたものでした。最近は最初から X Window が立ち上がっているのでそれもなくなってしまいましたが…。上の言葉はその fortune で、あるとき表示された言葉で、あまりにも「人生」を的確に言い表わしているので「座右の銘」になりました。
- 尊敬する日本の詩人
- 吉増剛造、藤井貞和
現代詩を読み始めたのもかなり最近のことです。それにしても、必ずしも「理解可能」とは言えない先鋭的な言葉の群れが、80年代の初めまでは広く読まれていたというのは驚きです。吉増剛造はそのころの英雄の一人で今も現役バリバリなのでここに名前を挙げました。国文学者でもある藤井貞和は若干遅れてきた人に見えますが、独特の物腰は現代詩ファン以外にもウケる可能性がある人です。まうかめ堂イチオシの詩人です。
- 好きな作家
- 高橋源一郎、ポール・オースター
日本の文学には興味が極めて薄く、読んで面白いと思う日本の作家が筒井康隆だけという時期が非常に長く続いていました。そんなときにふと出会った「高橋源一郎」はまさに「日本文学」の「最後の希望の星」です。「文学」がある程度土着の文化であることは否定しませんが、あまりにも involutive に「伝統芸能」化してしまっている「日本文学」は目に余るものがあります。別に舶来のものをわざわざ取り入れる必要は無いし無理に前衛的なことをやろうとしない方が身のためでしょうが、ジョイスもプルーストも知らない、ピンチョンもバースもバーセルミも知らない、マルケスもコルターサルも知らないというのはさすがに問題でしょう。日本の小説家はそれで売れているからといって既存の方法に安住していないで、「こんなもの作っていて良いのだろうか?」と悩むべきです。少しは。
ポール・オースターへの元々の関心は、訳者の柴田元幸が評したように「エレガントな前衛」であることでしたが、次第にその出自に興味を感じるようになりました。というのは、オースターという人はよく知られているように、米国の「一流大学」であるコロンビア大学を卒業後そのままその大学院に進んだものの、ある日突然それをやめ、本当に「自分探しの旅」に出てしまいます。そして本当に「船乗り」をやったりヨーロッパでボヘミアン暮しをしたりして、hand to mouse な生活を続け、最終的に小説家として成功してしまいます。なんかすごいです。しかも、例えばジョイスの「若い芸術家の肖像」「ユリシーズ」のスティーヴンみたいに悲愴なところが微塵もなくて、あくまで健全、多分「世界」に背を向けたことなど一度もないのではないかという健全さが希有だと思います。
- 愛読書
- 高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」
- 日本の小説ベスト3
- 1. 高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」
2. 高橋源一郎「ジョン・レノン対火星人」
3. 夏目漱石「こころ」
1.と2.は逆の方が良かったかとも思いましたが、一応この順で…。本人の言葉を信じるならば、2.が唯一作者の本体というか正体というかが出てしまってる作品で、これが世に認められず「文学」に媚びて作ったという1.は表向きの顔ということになりますが、この人は一生正体をひた隠しにしながら笑っといてほしい気がします。3.にはいっそのこと筒井康隆の「脱走と追跡のサンバ」あたりを挙げようかとも思いましたがそれではあんまりなので、日本で最初に「西洋的」個人主義を勧めてみせた漱石先生の作品を置きました。
- 海外の小説ベスト3
- 1. ポール・オースター「鍵のかかった部屋」
2. G.ガルシア=マルケス「百年の孤独」
3. ジュリアン・バーンズ「10 1/2 章で書かれた世界の歴史」
1.オースターの作品では「幽霊たち」と迷った末でこれが一番です。「成長すること」、「オトナになること」はどうも世界的にみて難しくなってきてるようで、日本でも意識するにせよしてないにせよそうしない人は確実に増えているのでしょう。「純な目は泣きながら住みよい森を探す」(ルネ・シャール)のでもなく、一生反逆児の青二才をやる(島田雅彦)のでも無いならば、どこかの時点で「死すべき自分、死にゆく自己」と訣別しなければならないということかもしれません。
2.「百年の孤独」を読まずに一生を終える人がいたら、その人はその分だけ不幸だと思います。
3.この作品には最初の章でノックアウトされました。
- 映画ベスト3
- 1. ムトゥ踊るマハラジャ
2. 惑星ソラリス(タルコフスキー)
3. 8 1/2(フェリーニ)
「何故にベスト1がこれ?」ということを話すと長くなりますが、私の映画観を見事に壊してくれた作品がこれです。日本人も欧米人も未来永劫決してこれ以上強力なエンターテインメントを作ることはできないでしょう。インドでも貧しい方の地域、カースト制のころには下層に属していた民の住んでいた地域の人々が夢見る予定調和の世界です。
- ホラー映画ベスト3
- 1. ポゼッション(アンジェイ・ズラウスキー)
2. エクソシスト(ディレクターズカット版)
3. シャイニング(キューブリック)
1.アンジェイ・ズラウスキーの映画で面白いと思って見られるのはこれぐらいかもしれません。いや、それよりも何よりも「まじでここまでやるか?」という若かりし日のイザベル・アジャーニに圧倒されます。透き通るように清らかで美しい女性から、汚辱に塗れたグロテスクな狂気の女まで、最大限の振幅を演じてみせたイザベル・アジャーニに脱帽です。
- ホラー小説ベスト3
- 1.渡辺哲夫「知覚の呪縛」(ホラーじゃない?)
2. スティーヴン・キング「シャイニング」
3. 村上龍「イン ザ・ミソスープ」(これもホラーじゃない?)
1.精神分裂病(統合失調症)と総称される精神病は現在でも未知の部分が多いようですが、この本に登場するSという患者さんの住む世界は心底怖いです。ある日「世界が陥落する。」その後の風景のあまりの貧弱さに恐怖します。そこは「ワラ(藁)人間」の住む「ワラ地球」。医師も含めて彼女の前に現れる全ての人間は「ワラ人間」、彼女の見えているものは全て藁か紙で出来てる「ワラ地球」、全てが藁とか紙で出来てるから組み立てが弱く安定しない、地にさえ着いていない「宇宙旅行」の状態、そんな中でずっと暮らさなければならないなどと想像するだけでゾッとします。これはホラーです。
- シリーズものアニメベスト3 (90年代)
- 1. 新世紀エヴァンゲリオン
2. カードキャプターさくら
3. 吸血姫美夕 (TV版)
1.エヴァンゲリオンについて語るとHPが一つ二つできてしまうのでノーコメント。2. 「カードキャプターさくら」はこれを見るために NHK-BS を契約した「大きなお友達」が沢山いたイワク付きの作品ですが、ちょっと一筋縄ではいかないですね。魔法少女アニメの新境地を確立する作品で、しかも表面上全く「毒」が消し去られているように見えるため親が安心して子供に見せられると思うアニメでありながら、随所に「大きいお友達」がハマるようなアブナイ要素がちりばめられてる恐るべき作品です。3.「吸血姫美夕」は今見ると暗すぎ…。
- シリーズものアニメベスト3 (00年代)
- 1. 攻殻機動隊 S.A.C.
2. プラネテス
3. 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd Gig
1. 攻殻機動隊 S.A.C.は私の知るかぎり少なくとも過去20年間に作られたシリーズもののアニメの中で最高のクオリティーを誇るものです。攻殻機動隊自体の世界観には私は異議を唱えたいけれども、この作品にはいくつも興味深い洞察がありました。例えば、「完全に情報記憶の並列化が行なわれているために、持ってる知識に差異が全く無いはずの人工知能のロボット(タチコマ)たちに個体差が生じたのは何故か?」に対して「「好奇心」と言う名の情報の重み付けが異なったから」と答えて見せたのはお見事。
- 劇場版アニメベスト3
- 1. 「機動警察パトレイバー2 the Movie」(1993)
2. 「カリオストロの城」(1979)
3.「海の神兵」(1945)
番外 The End of Evangelion(1997)
1.私が思うに「パトレイバー」の最大の発明は「後藤隊長」です。ズルく計算高くしたたか、若い連中をうま〜く乗せて本気にさせ、社会的タテマエとか上の連中の利害関係とかもろもろバランス取りながら本当に動かしたいものだけ動かしてみせるこの「不良中年」はかなりカッコイイ…。この作品では後藤隊長とそのカウンターパートの南雲隊長というオジサンオバサンを中心に据えてしまったのがエライです。
2.宮崎駿は王子様がお姫様を助けに行く話以外作ってはいけないと思います。そうでないから「もののけ姫」とか「千と千尋」みたいにおかしなことになってしまう…。
3.戦時中に作られた「海の神兵」という作品は異様としか言いようがないです。「戦争プロパガンダ」映画です。黒澤明の「一番美しく」のような凄みがあります。「桃太郎」が仲間を連れ、航空部隊を組んで戦闘機に乗って「鬼」を退治しに行く話で、その「鬼」というのがアメリカなわけですが、「桃太郎」を始めとするキャラクターのまんがチックな姿に完全に不釣合いな、80年代以降のロボットアニメに勝るとも劣らない精巧な戦闘機のメカ描写に唖然とします。1945年以前に既に日本のアニメには「メカフェチ」が存在していたという良い例です。
- 少女マンガベスト3
- 1. 萩尾望都「半神」
2. 岡崎京子「Pink」
3. 二ノ宮 知子「のだめカンタービレ」
1.「完璧な作品」とはこういう作品のことを言うのでしょう。ベートーヴェンの「運命」とかソフォクレスの「オイディプス王」のような完璧さです。少女マンガの最小単位であるという16ページに人間存在の本質に直接迫る感動的な物語を組んでみせたのは神技と言うべきでしょうか。
2.岡崎京子作品を「少女マンガ」というのはちょっと違うと言えば違うし、そうだと言えばそうですね。男である私には理解できない、若い女性の「女であることの困難」を岡崎京子は追求して見せたわけですが、「Pink」の先見性に驚かされます。「Pink」の主人公は女子高生ではないですが、この作品の5年後くらいから問題化する女子高生の援交の本質がすでに描かれていると思います。村上龍の「ラブ&ポップ」は論外として、桜井亜美なども霞んで見えます。
3.最初ドタバタ色の強いコメディだと思っていたら、最近段々真面目な話になってきて、それはそれで良いのですが、この話、最終的にどこまで行くのだらう…。