Codex Calixtinus と Congaudeant catholici

●Santiago de Compostela と Codex Calixtinus

スペインの北西の端にサンチアゴ・デ・コンポステラ Santiago de Compostela という聖地があります。 ここは中世ヨーロッパにおける三大聖地の一つで(他の二つはローマとエルサレム)、ヨーロッパ中の巡礼者がここを目指して旅したという場所です。(現在も多くの巡礼者、旅行者が訪れます。) 例えばこちらの Google map を見ればわかるように、まさにヨーロッパの最果て、中世の人々にしてみれば「世界の果て」「地球の果て」のようなところです。

なぜここが聖地なのかというと、12使徒の一人であり最初の殉教者と言われる聖ヤコブがこの地に埋葬されたという伝説があるからです。 伝説によると、エルサレムでヘロデ王の手によって命を落とした聖ヤコブの遺体は、彼の数人の弟子によって、船にのせられました。 彼らはパレスチナの Jaffa を目指して出発したのですが、奇跡のような風と波によって、たったの七日間でガリシア(スペイン北西部のこと)の浜にたどりついたと言います。 時代は下って9世紀になってから、この地のもの(隠者 Pelayo か司教 Theodomir のどちらか)が、聖ヤコブのものと思われる墓をこの地に発見したことから、この地が聖地になったようです。

さて、Santiago de Compostela という名称ですが、Santiago とは聖ヤコブのスペイン語での愛称にあたります。(英語で St.James, フランス語では Saint Jacques.) Compostela については二つ説があるようで、一つは Campus Stellae (= field of Stars)が縮まったというもの、もう一つは「埋葬地」を意味するラテン語 Compositium または Compostum に由来するというものです。

このサンチアゴにある大聖堂に保存される写本に、Liber Sancti Jacobi (『聖ヤコブの書』)あるいは Codex Calixtinus (『カリクスティヌス手写本』)と呼ばれる手稿本があります。 この写本の冒頭には、これを編集したとされる教皇カリクスティヌス(在位1119-24)の書簡が付されていますがこれは偽物のようで、実際にはフランスのおそらくクリュニーで1150年頃編まれたもののようです。

編纂された年代については諸説あるようで、私にはどれが正しいのか言うことはできません。 上の「1150年頃」は Anonymous 4: Miracles of Santi'ago のブックレット(Susan Hellauerによる)からのものです。 早いものでは「1137年ごろ」(Angles: El Codex musical de Las Huelgas)、遅いものでは「現在の形に編纂されたのは1170年ごろ」(New Grove の Organum の項)とされています。

写本は5巻からなり、内容は、聖ヤコブに関する教説、彼の祝祭のための聖歌や日課、彼の奇跡や伝説、スペインにおけるシャルルマーニュの叙事詩的な物語、フランスからスペインに至る巡礼の道筋を示した旅行ガイドなどですが、ここで何よりも重要なのが、多声の曲(初期ポリフォニーの自由オルガヌム)を20曲含んでいることです。

ここで「初期ポリフォニー」とはノートルダム楽派より前の多声音楽のことを言っています。 少し脱線して振り返ってみましょう。

●簡易版「初期ポリフォニー」の歴史

ポリフォニー音楽がいつどのように成立したのかは定かではありませんが、「オルガヌム」の名のもとにその具体的な例が初めて説明されたのは9世紀後半に書かれたとされる理論書『音楽提要 Musica enchiriadis』においてだと言われます。 ここでは主に、定旋律(vox principalis)として歌われるグレゴリオ聖歌に、完全5度あるいは完全4度で対旋律(vox organalis)を付ける「平行オルガヌム」について説明されますが、面白いのはこの『音楽提要』には既に厳密に「平行オルガヌム」と呼べないものも含まれていることです。 それは Rex coeli, Domine maris undisoni というセクエンツィアからとられた例で、聖歌と vox organalis はユニゾンで始まり、聖歌が上行して完全4度になるまで vox organalis は同じ音にとどまり持続音を歌い、そこから平行4度を続け、終止は再びユニゾンに回帰するというものです。 ここで興味深いのはしばしば B-F の「悪魔の音程」(三全音)が生じそうになるのを vox organalis が音を上か下にずらすことでこれを回避している点です。 すでにここに、対旋律がより自由に動く「自由オルガヌム」の萌芽が見えているようです。

『音楽提要』から二百年ぐらいの間に、オルガヌムは即興演奏を通じて発達し、原始的な「平行オルガヌム」から次第に「自由オルガヌム」に移行していったようです。 その過程は、いくつかの理論書、例えば Guido d'Arezzo の『ミクロログス Micrologus 』や作者不詳の『オルガヌム創作法 Ad organum faciendum 』などからある程度推察されるようです。 ただ、これらはあくまで理論書の例であり非常にシンプルです。 実際の習慣はもっと高度に発達していたものと推測されるようです。

そして、11世紀の終わり頃から、突如、多数のオルガヌムの手写譜がのこされるようになります。 その最初のもの、つまり最古のオルガヌム曲集は『ウィンチェスターのトロープス集』として知られる手写譜(の最後4分の1ぐらいの部分)で、11世紀の中頃には成立していたもののようです。 ここには174曲ものオルガヌムの実例が残されていますが、ここではイングランド独特のネウマが用いられており、旋律の上下は記されているものの正確な音高を確定することはほぼ不可能で、ほとんど解読されていません。

この次に現われる重要な資料として、フランスのアキテーヌ地方の古都リモージュにかつて存在したサン・マルシャル修道院に保管されていた4冊の手写譜があります。 これらのうち最初期のものは1100年ごろ筆写され、後期のものでも13世紀初頭までには編まれたとのことです。 これらのレパートリーは現在「アキテーヌのポリフォニー」と呼ばれており、アキテーヌ方式として知られるネウマ符で記されています。 この方式では音高がほぼ正確に読み取ることができます。

このサン・マルシャル修道院の資料とならぶ重要な資料が Codex Calixtinus『カリクスティヌス写本』です。 『カリクスティヌス写本』においても音楽は「アキテーヌ方式のネウマ」で記されています。

この時代のオルガヌムでは、基本的に定旋律は低い声部におかれ、対旋律 vox organalis は上に置かれています。 ただし、しばしば声部の上下は入れ替わります。 また、著しい特徴は、従来のオルガヌムは一音対一音の原則で作られていたのに対し、ここでは定旋律一音に対し複数の音が付けられるようになっていることです。 定旋律の一音に対する対旋律の音符数は、平均で3音から4音ですが、多いときには10音も付けられこともあります。 この、定旋律が引き延ばされている上を対旋律が華麗に動く様式は「メリスマ様式」と呼ばれています。 またこのような様式で書かれたオルガヌムを「華麗オルガヌム」と呼んだりもします。 これらは virtuosity の高いレパートリーです。

この時代のオルガヌムの楽譜は、グレゴリオ聖歌の記譜法を使用しています。 そのため、音高は正確に記述できるものの、リズムは記述されません。 「通例」としてグレゴリオ聖歌(のソレム唱法)と同様に、基本的に各音符を同じ長さで歌うというやりかたがされるようですが、本当にそうだったのかはかなり疑問ではあります。 そのため最近の現代譜や演奏では、歌詞の韻律や音の動きを鑑みながら、かなり明確なリズムを設定することも多いようです。

この次の時代になるとノートルダム楽派の人々が登場します。 そこでは「モーダル記譜法」という新たなシステムが導入され、西洋音楽において初めてリズムが正確に記述されます。 そして、これを端緒として、15世紀の始めごろまで、記譜法は劇的な変化・発展を見せます。 この様子をみるのは非常に面白いのですが、別の機会にまとめてみたいと思います。

●Congadeant catholici

さて話をもとに戻しましょう。 この『カリクスティヌス写本』には多数の単旋律の聖歌と、20曲の多声音楽が含まれています。 これらの音楽のなかで、断トツに有名なのが、Congaudeant catholici 『共に喜べ、カトリック信者たちよ』というコンドゥクトゥスです。

12世紀において、コンドゥクトゥスとは(必ずしも多声とは限らない)「行列歌」を意味していました。 12〜13世紀の教会では、ミサなどの典礼でしばしば行列によって礼拝を盛り上げたと言われています。 その際に行列の歩行に合わせて歌われたのがコンドゥクトゥスということになります。

この曲が有名なわけは、これが3声で書かれているからです。 (他の19曲は2声。) すなわち、3声体の音楽の最初期の例であり、歴史上知りうる限り最古の3声のコンドゥクトゥスであるからです。

西洋音楽史において、単旋律から2声への飛躍はとても神秘的ですが、2声から3声への飛躍もかなり大変だったようで、200年も要したことになります。 でも、3声から4声以上へはすぐだったみたいですね。
「Musica enchiriadis には既に3声4声の平行オルガヌムがでてくるよん」という御指摘はもっともでありますが、その御指摘は何といいますか野暮というものです。 平行オルガヌムを西洋音楽的な意味でのポリフォニーと呼ぶのには、若干抵抗があるからです。 西洋音楽におけるポリフォニーの著しい特徴、すなわち他の文化圏の音楽に決してそれが生じえなかったという特徴は、各声部が独立しており、自分の声部に「責任」を持つというものです。 「他の文化圏ではヘテロフォニーは生じえたがポリフォニーは生まれなかった」というのは正しい命題だと思います。

ただこの曲の3声については言っておくべきことがあります。 ここで写本の画像なりファクシミリなりを御用意できなかったのが非常に残念ですが(Google 画像検索)、多数の書物に掲載されているこの曲の楽譜を見ていただくとわかるように、この曲は二段のスコアに記されており、下2声部は下の段にまとめて書かれています。 しかも中間声部はインクの色を変えて赤で書かれていて、音楽学者たちの見解として、この声部は後から書き加えられたものだろう、とのことです。

「多数の書物」とは以下のものです。金澤正剛著「中世音楽の精神史」、皆川達夫著「楽譜の歴史」、Carl Parrish: The Notation of Medieval Music, Anonymous 4: Miracles of Sant'iago のブックレット。 このうち最後のもの(Anonymous 4のブックレット)だけがカラーで載せてくれていて、中間声部の赤インクを確認できます。

さらに、この曲を3声の曲として実際に鳴らしてみると、当時の常識とかけ離れてるのではないかとも思える不協和音が聞かれます。 そのためこの曲は実は2声の曲である、という意見も出されています。 実際、「楽譜の歴史」の中で皆川達夫先生は「従来3声曲とされていたが、しかし中声部は後に赤インクで記入されたもので、2声曲とするのが妥当である」と言われています。 (一方「中世音楽の精神史」において金澤正剛先生は「史上最古の三声のコンドゥクトゥスである」ことを明言されています。)

まうかめ堂の印象といたしましては、この曲は始めから3声の曲として構想されたのではないかと強く感じております。 根拠としては、まず、3声の進行が互いに補完的であること、また2声派の一つの根拠である不協和音の中で、三回聞かれる E-G-A の和音は非常に美しく、この曲を特徴付けるかのような魅力的な響きであることです。 (この他の不協和音は、リズムの解釈のしかたによっては容易に回避できます。) この E-G-A の和音は本当に深く神秘的な響きで、作曲者の才覚によって発見、想像されたものだという感がとてもあります。 それに、この不協和音がそんなにありえないものだったのか、というのもあります。 実際、Micrologus 以来、アキテーヌのポリフォニーなどにおいても、「二度のカデンツ」がしばしば聞かれますし、少し後の時代ですが、ペロタンのオルガヌムなどでは、もっとずっと鋭い不協和音が平気で現われます。

まあ、いずれにせよ、この曲の3声体の神秘的な響きが、多くの人々を魅きつけ、数多くの想像力豊かな演奏を産んできたことは間違いないと思います。

最後に、この Congaudeant catholici の作曲者について一言述べておきたいと思います。 珍しいことに、『カリクスティヌス写本』の多くの曲には作曲者の名前が記されています。 この Congaudeant catholici にもその作者の名が記されており、Magister Albertus Parisiensis 「パリのマギステル・アルベルトゥス」とあります。 この人物は、1147年からおそらく1176年か77年に他界するまでノートルダム寺 院で先唱者を務めた Magister Albertus と同一人物と考えられています。 また、彼はパリとオルレアンの中間にあるエタンプの出身だったらしく、Albertus Stampensis とも呼ばれていたそうです。 1170年代ともなるともうすでにレオニヌスのオルガヌムがノートルダムでさかんに歌われていた時期です。 「歴史というのは案外連続的に流れてるのかも」とか思います。

Congaudeant catholici に関しては1137年ごろ書かれたという説があるようです。 Magister Albertus の名が参事会会員としてノートルダムの記録に初めて載るのが1127年とのことなので、Congaudeant catholici を作ったときには既にノートルダムの人間だったようです。 その人の作品が、はるか遠くの Satiago de Compostela の写本に記されることになるというのは何か感慨深いものがありますね。

Congaudeant catholici の MIDI ページはこちらです。

Last modified: 2004/07/28