すたんこ日記

作戦の解説のこと
 スペインオムレツをこしらえたことを何日か前の日記に書いて以降、あのオムレツは結局どのようにひっくり返したのでしょうかというおたずねをいただきましたので、続きを書きます。

 フライパンに卵や野菜やソーセージを流し込んで焼きはじめたところで、これだけの分量の材料を入れたスペインオムレツを反動でひっくりかえすことはまったく無理であることがわかりました。

 反動でひっくり返すことが不可能であることを悟ってから少しのあいだは、スペインオムレツにすることをあきらめ、しゃもじでフライパンをかきまわし続けて煎り卵にすることも考えました。ですが、トマトの赤色やズッキーニの緑色がまじった煎り卵は、なんだかおいしくなさそうな色になりそうだと考えました。

 反動をつかわないでスペインオムレツをひっくり返すもう一つの方法は、大きな皿にいったんオムレツをひっくり返し、皿からフライパンに移す方法でした。

 だんだん火が通っていくフライパンを眺めながら大きな皿をさがしたところ、白地にプラチナのふちのついた花型の皿がありました。この皿は以前、バーニーズという百貨店で一目で気に入って買ってきた皿です。なんといいますか、たいへん高い買い物でしたので、いきおい良くフライパンを当てた場合、もしかしたら悲しいことになるかもしれません。よって、この皿はもとの場所に戻しました。

 おいしそうな香りのしはじめたフライパンを眺めながら次の候補をさがしたところ、フライパンの蓋があることに気付きました。これなら、フライパンの直径より確実に大きなサイズです。

 フライパンをのせているこんろのとなりのシンクに、あらった食器をのせておくために使っている、シンクに差し渡しができるすのこのようなものを差し渡しました。すのことシンクのふちのすきまに、フライパンの蓋のつまみがおさまるようにのせ、スペインオムレツを一次上陸させる準備をしました。

 フライパンの蓋の直径とスペインオムレツの直径はほぼ同じなので、わずかな中心のぶれも許されません。もし、中心がぶれてオムレツの円形が崩れた時のために、フライパンの蓋の下にはふきんを敷き、さらに受け皿を置きました。

 数回深呼吸をしてから息を止め、両手でフライパンの柄をつかみ、まっすぐ持ち上げてフライパンの蓋の前に立ち、やっ、と気合いをかけてフライパンの柄を回転させながらフライパンの蓋の上にかぶせました。奇跡的に、スペインオムレツの円の中心とフライパンの蓋の中心はぴったり一致しました。オリンピックの余韻が残っていたのかもしれませんが、なにか雄叫びをあげたような記憶もあります。

 スペインオムレツの重さと熱さを受け止めたフライパンの蓋は、しばらく動かすことができません。肩で息をしながら、そのあいだにフライパンに残った卵や野菜の焦げを紙でぬぐってきれいにし、もう一度オリーブ油をうすく引いてこんろにのせました。折ったふきんを両手に持ってフライパンの蓋のふちと下をつかみ、そろそろとスペインオムレツをフライパンに戻しました。あとは、よい香りが再びしてくるまで火を通します。
 できあがったスペインオムレツは、等分の切れ目を入れて冷めてから取り出せばよいので、大きな皿は必要ありません。

 あれ以来、スペインオムレツをこしらえる機会はありません。こんどは秋らしくきのこなど入れてこしらえてみようと思います。

 まうかめ堂さんが使っておられるホームページの都合で、こちらの日記のフォーマットも、あす以降すこし変わる予定です。文字の大きさや配色などが少し変わるかもしれません。

 
2004年10月04日 23時14分24秒

復刻選集のこと
 金曜日に売り出しのお知らせを見つけて、土曜日に注文を出して、日曜日に到着のお知らせをいただいていたCDの詰め合わせを、きのうお仕事の帰りにいただいて帰ってきました。さっそく封をあけて、きのうの夜遅くまでと、きょうの朝のでがけといまも、聴いています。
 CDの詰め合わせは6枚からなっており、「日本SP名盤復刻選集」という題名がついています。この詰め合わせは、むかし、日本で音楽を演奏したり教えていたりした方々のオーケストラや歌や器楽の演奏を録音したSP盤のレコードの音を、CDに媒体をかえて聴くことができるようにしたものです。はじめに録音された年代がとても古いのと、録音されたSP盤の盤面や材質が古くなっているのとで、演奏の音色にまじっていろいろな音も入っています。郷里の音楽環境においてはCDの導入がおそく、高校生のころまで針を買ってレコードをかけていたので、音色に混じる音はなんだかなつかしい感じがします。
 6枚のCDのどの巻にも、とてもすきな曲があるのですが、とりわけくりかえして聴いているのは、第6巻のはじめにおさめられているチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番の、とりわけ第三楽章です。第一楽章の冒頭から、ピアノとオーケストラの質量のバランスがふしぎな録音なのですが、第三楽章になって、ついに思いきったようにピアノが大疾走をはじめるところを聴くと、なにかこちらもよい力をいただけるような感じがします。
 
2004年09月28日 23時52分38秒

半音のこと
 およそ2年ほどお休みしていた合唱の練習を、きのうからまたはじめました。歌うことを休んでいた理由は、たのまれていた仕事がとても忙しくなってしまい、週末をしっかり休んでおかないと身体がもとに戻らなくなっていたからでした。ですが、なんといいますか、楽しむための時間を削って休んでいても、ほんとうに恢復させたい部分はそれでは恢復しないことがわかりました。練習に戻る機会をしばらくうかがい、秋の演奏会のあと、次の演奏会のための曲の練習をはじめるところで、また練習に参加させていただくことにしました。練習は一週間に一度、土曜日の午前中に2時間ほど行なわれます。
 きのうから練習が始まった曲目は、バッハが作曲した「マタイ受難曲」です。声の部分とピアノ伴奏譜だけの歌い手用の楽譜でも、厚さが2センチほどある長い曲です。CDで売られているものは、だいたい2枚か3枚にわけて収録されています。合唱も、4部の合唱が2つにわかれて担当します。40人ほどの所帯の合唱団なので、ひとつの声部を5人内外で担当しなければなりません。
 この曲は、おなじ合唱団で一度演奏したことがあり、その演奏会には練習をして参加しました。しかし、今回は、前回と趣向を変えて、古楽器の伴奏で演奏することになり、同じ曲でもピッチを変えて練習をしなおすことになりました。楽譜に書かれている音より、だいたい半音低い音を実際には出さなくてはならないので、まだ頭の中の切り替えがうまくいきません。なにより、楽譜を見ながら自分でピアノを弾いて練習することができないのはこまったことです。

 きょうは、夕方から、大倉集古館というところで行なわれたオペラアリアの会に出かけました。大倉集古館は虎の門にあり、ふだんは仏像などの美術品が展示されているところです。その2階の展示室の広いところを使って、ちいさな舞台とアップライトピアノを使って行なわれた、ちいさな演奏会でした。ソプラノの方とアルトの方が、独唱や二重唱を聴かせてくださいました。アルトの独唱を生で聴く機会は久しぶりで、よい時間をいただきました。演奏会のあとは、集古館のとなりにあるホテルで、久しぶりにごはんをいただいて帰りました。
2004年09月26日 23時45分26秒

栗茶巾のこと
 月曜日の休日に、郷里からたくさんの野菜類が届きました。トマトとなすと栗ときゅうりといんげんとぶどうとアスパラガスと、その他いろいろの食べ物です。なんといいますか、これでまた、食べ物に困ることはなくなりました。東京ではもう、よく熟したトマトがなかなか手に入らなくなっていたので、よく熟したトマトが別箱に入って、それ以外の野菜をつめた箱のなかにちんとのっているのを箱をあけて見つけた時には思わずにまりとしました。熟したトマトほど皮がしっかりしているものなので、さっそく湯むきして皮をとってみじんにし、同じくみじんにした赤たまねぎといっしょに、湯でふやかしたクスクスに混ぜてサラダにしました。
 トマトの箱のなかに、ひときわ真紅のものが入っていると思ったものはパプリカでした。これは母の里からのもので、昨年から作りはじめて、今年はよく売れたものなのだそうです。いっしょに送られてきたなすといっしょにタイカレーの具にしようと、まだとっておいてあります。
 栗は、どうしようか迷っているうちに日がたってしまったので、昨日思いきってすべて茹で、半割りにしてバターナイフで中身をほり出してマッシャーでこまかくし、はちみつを加えてへらでよく練ってみました。これを一口ずつの大きさに丸めて、布巾でぎゅうとしぼると栗茶巾という和菓子になるのですが、そこまではせずに毎日さじですくってはいただいています。これは山に落ちていたものを、猫の山里の家の方が拾っておいてくださったものでした。
 
 むかし、進学先がきまって郷里を離れる算段をたてていたおり、父にたずねられたのは自炊と外食、どちらを主にしますかということでした。自炊にしますと答えて以降、ほぼ毎月、なにかしらの食糧品が届くか、父がハンドキャリーで届けて下さるようになっています。到着の報告とお礼の電話を郷里にしたところ、来月は最晩手のトマトと洋梨と遡江鮭の雌を送るので待っておれということでした。遡江鮭はおそらくかなり大きいので、今から冷蔵庫と冷凍庫をあける算段をしています。
2004年09月24日 00時12分43秒

スペインオムレツと謎のこと
 きのうは、夕食のあと、スペインオムレツをこしらえました。すこし前に10個入りのパックで買ってきて、ぼんやりしているうちに料理に使うのを忘れていた卵の期限が迫っていたからです。
 きのうこしらえたスペインオムレツの中身は以下のようなものでした。

 じゃがいも 大きいもの2個
 ズッキーニ 薄切りにしたものを両手に山盛り
 乾燥トマトの油漬け 大きいもの10枚ほど
 ソーセージ 薄い輪切り8本ぶん
 たまご LLサイズ8個
 パントリークリーム おたま1つ
 
 ズッキーニとソーセージをフライパンに入れ、乾燥トマトを漬けていた油でいためているいっぽう、ゆでておいたじゃがいもを小さく刻み、乾燥トマトの油漬けも細幅にしてそばどんぶりに入れ(あいにくボウルが出払っていました)、用心のために卵を一つずつ小さな器に割って溶いてからそばどんぶりに移してゆきました。10個ぶんの溶き卵がそばどんぶりに入れば、それだけぶんのスペインオムレツにするつもりでいたのですが、8個めの溶き卵をそばどんぶりに入れたところでどんぶりがなみなみとなったので、パントリークリームを入れ、適当な塩胡椒をして、一気にフライパンに流し込みました。

 使っているフライパンの大きさは、たしか32センチだったかと思うのですが、そばどんぶりにはけっこうな容量があるようで、流し込んだじゃがいもと卵とトマトの混合液は、フライパンの8分目弱あたりにまで達しました。火の通りをよくするために少し底から混ぜ、あとは動かさずに待っていると、フライパンの中身は外と下から固まってゆき、かさも6・8分目ほどになり、おいしそうな香りがしてきました。

 スペインオムレツは、このあと返してもう片方を焼かなくてはなりません。ちいさなフライパンで焼く方法ですと、フライパンより大きな皿をフライパンにかぶせ、皿でフライパンをおさえたまま上下を返し、皿にひっくりかえったフライパンの中身をフライパンに戻せば裏表を返すことができます。
 きのうのスペインオムレツは、直径32センチのフライパンいっぱいにこしらえたもので、片手でフライパンを持ち上げることはできても、手首でフライパンを返すことはほぼ不可能でした。また、フライパンより大きな皿(のようなもの)といえば、フライパンのふたしかありませんでした。
 結局、おいしそうな香りが焦げの香りに変わるぎりぎりのところで、乾坤一擲の作戦は行なわれ、そして見事に成功しました(この作戦の詳細はのちに書こうと思います)。結局、裏表とも濃いきつね色によく焼けたスペインオムレツは完成し、冷めるのをまって8分割の切れ目を入れたところでけっこうな時間になり、きのうはベッドに入りました。

 けさ眼をさましてみると、フライパンの中のスペインオムレツの8分の1かけらがなくなっており、流しに皿とナイフと箸がおいてあります。明らかに自分が食べたのでしょうが、憶えがありません。ふしぎだなあと思ってロールキャベツのはいった鍋をあたためて蓋をあけたところ、ロールキャベツもひとつなくなっています。そのようなわけで、きょうは用心して朝食を少なめにしました。
 
2004年09月15日 01時58分33秒

五年の髪のこと
 きょうは、たいへん久しぶりに美容室に出かけました。

 美容室に出かけて髪をととのえてもらうようになったのは、五年ほど前からになります。五年前の春先のころ、勤め先から家に帰る途中、髪を切らせていただけませんかと美容師の卵の方が声をかけてこられました。ふだんは丸くまとめている髪を、その日はおろしていたためであると思われます。たいへん熱心で感じのよい方であったので、それではどうぞといって美容室に出かける約束をしたのでした。
 美容師の卵の方はまだ練習をはじめたばかりで、髪を洗う練習はおわり、こんどはブラシとドライヤーを使って髪をととのえながら乾かす試験を受けるのだといいます。神南のちいさな通りにある美容室に夜になってから出かけ、師匠格の方がまず髪をそろえたあと(これで20センチほど髪が短くなりました)、髪を洗ってブラシをかけてみると、さすがその道の仕事らしい艶が出ました。美容師の卵の方もたいへん飲み込みがよく、わたしの髪を使って行なわれた試験は一度で終わりました。

 髪を乾かす試験のつぎは、ブラシを使って髪にくせをつける試験でしたが、これは難しい試験のようで、七回ほど試験台になった記憶があります。美容師の方の修行は、店をかわっても同じもののようで、さいごの数回のころ、美容師の卵の方の勤め先は神南の美容室から銀座の美容室になっていました。あくまでも私見ですが、より上等な感じの美容室に引っ越したようです。毎週ごとに銀座にでかけ、きれいに髪をととのえていただいて家に帰るのは、なんだか嬉しいものでした。

 大きな仕事を引き受けてわたしが忙しくなっているあいだも、ひと月かふた月に一度、美容師の卵の方は髪をととのえてくださいました。修行が次のステップに進み、まっすぐ切り揃える鋏づかいを練習したいのだそうです。ほうっておくとひと月に3センチほどは延びる髪なので、これはたいへん好都合でした。こんどの勤め先は表参道のほそい道をはいったところで、のんきに出かけたところ、その豪奢な造りにおどろきました。まず模範として髪を切り揃えてくださった師匠格の方によれば、きょうび、髪を切り揃えているだけのおとなは珍しいのだそうで、思わぬところで役に立つのは嬉しいものでした。

 美容師の卵の方は、最後の修行として髪型を考えて髪を切ってもよいことになったようで、二年前の秋ごろ、たいへん嬉しい声でお知らせをいただきました。わたしの髪をデザインして下さるというのでまた出かけ、こちらの希望も入れて髪型をこしらえていただき、これは今でもたいへん気に入っています。そのあとすぐ、美容師の卵の方は一人前の美容師になり、こちらもお客さまとして髪をととのえていただくようになっていました。

 五月に髪を切っていただいてから、髪がちぃと延び、たんと延びしても、これはこれでよかろうとずるずるしていたところ、せんだって日にちのお伺いをいただきました。仕事の時間がおわったあと、試験台として髪をととのえますというので、申しわけなくも出かけたのがきょうです。
 洗った髪を少しかわかし、鋏を入れる準備をしながら、美容師の方は、11月で美容師を辞めますといいます。どうしてもしてみたいものごとができたので、こんどはその勉強をするのだということでした。試験台といっても師匠がつくわけではなく、このお知らせを直接に伝えるために、きょうがあったのでした。こんどから髪をととのえていただく方を紹介していただき、さいごにお伺いする日を予約して帰ってきました。偶然から長く縁をいただいた方だったので、なにかさみしい感じがします。
2004年09月12日 23時27分29秒

銀耳のこと
 銀耳とは、白いきくらげを中国語で表記したものです。黒いきくらげは木耳というのだそうです。木耳は料理に使いますが、銀耳は甘いシロップで煮て、すこし薬効のある箸やすめにすることが多いようです。わたしの家では、カレーを煮るときかならず木耳を入れるのですが、他ではあまり聞きません。黄色と黒のバランスがよいと思うのですが。
 きのう甘煮にするのに使った銀耳は、せんだって父親が上京したおり、おみやげにいただいた野菜や乾物類のなかにありました。山でとれたものを売るところに並んでいたので、これも山から誰かが採ったものだろうと父は言いますが、日本のものではないかもしれません。
 銀耳は、甘煮にする前に水につけてもどしておきます。きのうのシロップは、氷砂糖と、花梨の砂糖煮と、香り付けとしてばら水を使ってこしらえました。ばら水は、紅茶の香り付けや洗顔に使うために取り寄せていつも台所に置いてあるのですが、あろうことか原産国附近で戦争がおこってしまい、当分入ってこない気配です。ほかの国のものを使ってみたこともあるのですが、なにか酸味の成分が添加されているようであまり慣れませんでした。
 銀耳と花梨のきれはしだけでは具のなかみと色あいがさびしいので、きのうの甘煮には紅棗と龍眼肉を入れていっしょに煮ました。紅棗は滋養によいようで、龍眼肉はのどによいようです。どちらも甘味のある乾物なので、シロップの味が深く、よくなりました。
 銀耳の甘煮は、よく冷やしていただくとのどによいようです。おおきなタッパーにひとつこしらえて、少しづついただいています。
2004年09月10日 23時31分52秒

ご来訪のこと
 先週の月曜日に、アーキヴィストの見習いをしているかたほうの研究所に、以前日記でお知らせをしたとおり、外国の研究所の方が史料を見に来られました。遠いところから日本に来られてすぐ、ジェットラグが残っておられるであろう身体で史料を見てゆかれ、たいへん刺激的で圧倒されましたというコメントをいただきました。説明をしたり、棚から史料を出して来るため近くに侍っていたのですが、ファンタスティックとかマーバラスとかアンビリーバブルとか、たくさんの感嘆がきこえてきて、なんだか嬉しい思いをしました。

 外国の研究所からは、ふだんは大学で歴史学を教えておられる方と、その先生のところで研究をしておられる博士課程の方のおふたりが来られました。なにかの拍子に、博士課程の方とわたしが同じ里であることがわかり、ひさしぶりに人前で方言を使う機会がありました。
 先生と博士課程の方は英語で会話をし、先生とわたしは日本語と韓国語で会話をし、博士課程の方とわたしは方言で会話をし、ようすを見に来られた研究所の所長さんは先生にドイツ語で話しかけ、それでもみんなで意思の疎通ができていたのはおもしろいことでした。

 その後は、インタビューにご一緒したり、検索をお手伝いしたり、博士課程の方とちいさな郷土会をしたりと、たいへんあわただしい一週間を過ごしました。日記を少しお休みしていたのはそのためです。きょうはやっとゆっくりすることができ、ばら水を入れて香りをつけた銀耳の甘煮をこしらえて、それをつつきながらこれを書いているところです。
2004年09月09日 21時01分16秒

瓜放題のこと
 盆に祖父の里にでかけたおり、チャルヂョウ瓜というものをみつけて求めてきました。里のはずれにある神社を抜けてすこし行ったところに何年か前にできた温泉宿泊所のロビーで売られていたものです。ラグビーボールを小さくした形をしていて、網目の入った淡緑色のものを1つ、ハンドボールほどの大きさで黄色い皮をしたものを1つ、グレープフルーツほどの大きさで濃緑色の縦縞がはいったものを1つ求め、父親の車に積んでほくほくして家族の家に帰りました。

 帰宅してから少し冷やして切ってみたところ、網目のものは赤肉、黄色のものは白肉、縦縞のものは緑肉の、いずれもちょうどよく熟れたよい香りの瓜でした。縦割りにして種をとり、8つに切って皮を引き、一口大に切って大きな鉢に放り込んで夜のテレビのおともに出したところ、いずれもたいへん甘く歯ざわりのよいもので、あっというまに家族であらかた平らげてしまいました。少しのこしたものをタッパーに移しておいたものも、翌日の昼には平らげました。汁が多く、強い甘味があり、さくさくした歯ざわりのする瓜です。

 瓜に貼り付けてあった説明書を眺めたところ、チャルヂョウ瓜をこしらえて出荷しているのは、都会からやってきて里で暮らしている方なのだそうで、帰京してから数日のうちに、さっそく電話で量目と価格をうかがって送っていただきました。量目だけをお知らせしてみはからいで送ってくださいとおねがいしたところ、いろいろな種類を6つほどと、調理用のトマトをいっしょに詰めてくださいました。それが先週の土曜日のことで、以来毎日が瓜続きです。朝食にいただき、ひとつかかえていって仕事先で皆でいただき、夕食にも少しいただき、明日の朝のぶんを切って冷蔵庫に入れてから寝につき、きょう、ついに最後の瓜を食べ終えてしまいました。しかし悲しむことはありません。ちゃんと、追加しておいたぶんが明日到着します。交雑種もあるということでひとつひとつが異なる風味を持っており(それでも、甘味や風味はみな一定以上に持っています)、当分飽きることはないと思われます。

 チャルヂョウ瓜のチャルヂョウというのは、中央アジアにある地名です。
 チャルヂョウよいとこ瓜のまち。
 チャルヂョウ瓜はたべたいけれど、
 チャルヂョウまではとおすぎる。
ということわざのようなものがロシアにはあるそうです。
2004年08月28日 00時39分42秒

谷あいの墓のこと
 8月14日は祖父の里の墓参りでした。祖父の里のお墓におさめられているのは祖父の父と母です。また、お寺の納骨堂には、ことしの正月はじめに亡くなった祖父の末弟のお骨がおさめられています。
 祖父の里の墓地は、里の入り口にあるお寺のうしろにあります。里に住む方々の墓はみんなここにあります。墓域は山のふもとにずっと広がっており、火葬制が取り入れられてから建てられた大きな墓石と、それ以前の時代の故人ごとに建てられた墓標が、それこそ歩く場所もないほどりょうりょうと広がっています。と書くとすさまじいような感じがあるのですが、実際はこの場所は里でいちばん日当たりがよいところで、線香のけむりがいちめんに西日に広がる墓域を、里じゅうの方々と里に帰ってきた方々とが花とお供えを持って行き来するのは、現在の里ではいちばん賑やかな光景です。足元のわるい墓域を歩くのがおっくうだからと祖母から代参りを頼まれていたので、とりわけ時間をかけてあちこちの墓にもうでました。

 祖父の家に寄ると、以前日記で書いた祖父の長兄は、座敷のとなりのベッドでねむっていました。すっかり透き通った顔をして固く目をつむっているので、結局なにも声をかけずに座敷に戻ってきてしまいました。こんど里に戻るのは年の暮れか正月なので、それまでどうか生きていてほしいと切に思います。

 祖父の家の猫群は、夏なので山に散っているということであまり見かけませんでした。蔵のひさしの下に2匹、座敷に6匹、座敷の縁の下に2匹、縁側から見える池のほとりに2匹、離れになっている手洗いの朝顔便器の下に1匹(近寄ってきたので抱き上げた猫が、ここをねぐらにしていたので何ともきまりの悪い思いをしました)のおとな猫と、生まれて半月ほどのちび猫が3匹です。着実に数は殖えているようで、帰り際にどれでもいいから持っていけと言われたのですが、春と同じく父がお断りしていました。 
2004年08月25日 23時06分45秒

作物のこと
 母の里のことを続けて書きます。

 母の里は、米作を主とする農業をしてくらしています。田畑に出ているのは母の兄夫妻で、その息子の代は種苗店につとめるかたわら、仕事の前後や休日に手伝いをしています。
 種苗店につとめているのと、ものを育てる場所がいろいろあるのとで、母の里ではときどきふしぎな作物を作ります。生産量や栽培の手間や売れる見込みなどの条件がうまくゆけば、育てる面積を増やしてどこかに出荷しているようで、にがうりとそうめんかぼちゃを、郷里で初期から栽培していたのは母の里のようでした。
 「はみうり」という、メロンの味がしてすいかのようにさくさくした歯触りのするウリを育てていたこともあります。これはよく育ったのですが、まみという謎の山の獣が荒らしてしまい、この獣からはみうりを守る費用とのつりあいがとれませんでした。
 昨年は「種を食べるかぼちゃ」というものを育てていました。正確には、種の外皮が退化したようになっているかぼちゃで、フライパンで炒って塩やカレー粉をまぶしていただきます。楽しみにして里に向かったところ、今年は作付けがありませんでした。おそらく、蒔くための種の確保がつかなかったのだと思われます。
 イタリア料理が好きだと伝えたところ、ズッキーニを植えてくださったこともあります。これは自家用に定着していて、今年は緑と黄色が育っていました。来年の種のために採らずにのこしてあるものが、大きなへちまほどに大きくなっているのに驚きました。ズッキーニのなれのはてを見る機会はあまりないと思われます。

 母の里では、東京に出たこどもたちに米や野菜を送るおり、ときどきこちらにも米や野菜を送ってくださいます。たいていは季節の野菜がアソートになっているのですが、大きめのみかん箱の中がすべてアスパラガスだったことが2回ありました。

 おとといあたりの日記で書いた食事について、やはりこれでは食べ物の種類が片寄っているというご指摘をいただきました。あいかわらず火を使う気力はないのですが、こんどからのスープはじゃがいもと根セロリのつめたいスープです。
2004年08月23日 00時51分42秒

のびた蛇のこと
 帰郷しているあいだのことをすこし書きます。

 八月十日は、母親の里の墓参りの日です。ことしは父親が出張していて足がなかったので、母親とわたしと、すこし離れたところに暮らしている母の姉とでバスとタクシーを乗り継いででかけました。
 母の里の母屋の前には、遠くの山を借景にした大きな庭がこしらえてあります。池と、池に流れ込むようにしてある滝と、池の水を流す小さな川が庭の中心になっていて、ちいさな石の橋をわたって向こうに行くことができます。橋をわたった向こうには、石組みと築山があります。ちいさいころには四阿も建っていたのですが、トラクターをおく場所を作るためになくしてしまいました。
 池には、ものごころがつくころから大きな睡蓮がみっしり育っていました。小学校に入る前の墓参りのある日、おそらくオオオニバスの話か親指姫の話を読んだあと、じぶんでも察しがついていながら、それでも睡蓮の葉に乗ろうとして池に足をつっこんだことがあります。そういう「だめもと」な行動に出る時はたいていひとりでいるものですが、ずぶりといったところで足を抜いたのでおおごとにならずに済みました。

 母屋に向かうとちゅう、睡蓮を確かめに池のほとりに立ったところ、立っているところから手が届くところの睡蓮の葉の上に、黒と茶と赤のツイードのような色合いの蛇がいるのを見つけて驚きました。こちらに尾を向け、頭だけを少し水の上に出し、葉の上の胴は水に沈んでいます。母と母の姉を呼んで眺めていると、そのうちぬうぬうと身体を曲げ曲げ向こう岸の薮に入って行きました。この池で蛇を見たのははじめてです。

 母屋で仏壇にお供えをし、少しお茶をいただいてから、親族そろって墓に向かいました。庭で伐った花を持つのが3人、切ったトマトや枝豆を盆に載せたものを持つのが1人、お供え団子と菓子を持つのが1人、お茶と線香を持つのが1人、お寺のお札を持つのが当代の母の兄という列をつくって墓のある森まで行くと、こんどは墓域のめじるしになっている石の上に長い長い縞蛇がのびていました。大声をあげると大義そうに薮の中に入っていったのですが、それぞれの墓に供え物をしているあいだ、まったく気が気でありません。この墓域で蛇を見たのも、やはりはじめてです。
 
 以前「ばあやのこと」、で書いたように、母の里の墓からはときおり、植えていない花が生えてくることがあります。ことしは母の兄(ごく小さなころ、川に落ちて亡くなってしまったのだそうです)の埋まっているあたりから、やさしい感じの桔梗が伸びて花をつけていました。また、祖母の土盛りのあたりには大きなわらびが出ていました。母の兄は、これだけ肥料になるようになったのだろうと言います。蛇のことは、暑いので、蛇も人にかまわずのびているのだろうということでした。動いていないのにのびたままでいるというのはよほどのことなのだそうです。
2004年08月22日 01時37分08秒

トマトの皮のこと
 国会図書館と外交のアーカイヴに続けてでかけたところ、ひさしぶりに緊張した場所にでかけたためか、昨日の朝方になんとも寝覚めのよくない夢をみました。中年の、中背の、なんとなく品のない男の方であるという以外はよくおぼえていないのですが、ともかくその男の方と、おびえながらもけんか腰でやりあっている夢です。やりあいながらも、なんだか憤りとこわさがたまっていくような状況が嵩じたあたりで目がさめたところ、口の中がすっかり乾いて、濃い汗をべたりとかいていました。でかけて調べなければならないことがらはまだ残っているので、なるべく無理はしないようにしようと思います。

 寝覚めがよくなかった理由はまた、おとといあたりから暑さが戻ってきたためであるとも思います。暑さで料理に火を使うのがおっくうで、郷里ですごしていた時と同じく、冷やしたトマトのようなものばかりに手がのびます。そのようなわけで、きょうの夕食は、1、ガスパッチョ(トマトやきゅうりやたまねぎなどに、パンで少しとろみを付けた冷たいスープ。緑のタバスコをすこし落として吸い口にしました)、2、トマトときゅうりとたまねぎと黒オリーブを塩とレモンとオリーブ油で合えて冷やしたもの(チョバン・サラトスというのだそうです)、3、できあいのハムやチーズを切ったもの、4、イタリアパン、でした。1、と2、は形態の違いでしかないようですが、ともあれトマトばんざいです。

 郷里では、祖母がかならずトマトの皮を包丁でひいて出すので、帰京してからも祖母に倣って包丁をといで皮をひくようになりました。皮をひくと、口あたりがよくなって味がよくしみこむ感じがします。
 また、トマトの皮の部分は消化がよくないようでもあります。以前、戦時中のシビアな状況を綴った日記を、すこし前までシビアな状況にいた身で書き起こしていて気分がわるくなったおり、なにか血液でも吐いたかと思ったものはトマトの皮でした。
2004年08月21日 01時47分24秒

クスクスのこと
 きょうは、以前仕事でたいへんお世話になった方がお昼をごちそうしてくださるというので、久しぶりに銀座の近くまで出かけました。いろいろなところにお店を出しているフランス料理のレストランが、お昼のバイキングをはじめるようになったので、ぜひどうぞということでした。このレストランは、夜の時間はフランス料理を出していますが、今月のお昼はギリシャ料理の特集をしているのだそうです。たらのこをほぐしてクリームであえたパンのお伴や、皮と種をとってちょうどよい具合にマリネをしたトマトや、少しずつ形や塩具合のちがうオリーブをタイムの枝といっしょにボウルにあけてあるものや、香辛料を多めに使った詰め物をトマトやズッキーニに詰めてオーブンで焼いた料理など、おいしい料理をたくさんいただきました。
 クスクスという、おそらく小麦粉を小さな粒にしてふかしたものを使ったサラダが並んでいたので、珍しいのと口当たりがよいのとで少し多めにいただいたところ、これは後からお腹の中でふくれるようで、銀座を歩きながらだんだん息苦しくなってきました。そういうわけで、今日は夕食をいただかないままです。

 おやつどき前あたりまでゆっくりしたあと、思い立って銀座から少し足をのばし、六本木にある外交に関するアーカイヴに出かけました。以前、こちらのアーカイヴで、手書きの外国語(おそらく英語)の書翰群を見たことがあったのですが、きょうは思い立ってそれをマイクロ撮影していただくことにしました。書翰群には、同じ方が、おそらく1つのことがらについてくりかえし差し出した複数の書翰があるので、手書きの欧文を読むよい訓練ができると思ったからです。マイクロフィルムは2週間ほどでできてくるとのことなので、届いたら学校で紙焼きをして、ゆっくり読む予定です。

 あちこちに出かける日が続いたので、帰郷のあいだの出来事を書くことがきょうもできませんでした。以前に書いた猫の山里のその後のことや、母の里の墓のことなど、いろいろなことはあるのですが。
2004年08月18日 00時37分35秒

国会図書館のこと
 きのうの夜遅く、東京に戻ってきました。指定席をとっていた列車が東京に着くのは夜8時半の予定だったのですが、途中の駅で遅れが出たのと、線路にどなたかが立ち入ったというのでまた遅れが出たのとで、つごう1時間ほど到着が遅れました。このぐらいの遅れは、この列車を利用するようになってはじめてです。そのため、きのうは帰ってのろのろしているうちに疲れてねむってしまいました。郷里であったことや出かけたところのことは、そのうち書くことにしようと思います。

 きょうは、アーキヴィストのみならいをしている片方の研究所がお盆休みになったのを利用して、国会図書館に調べ物にでかけました。むかしの方が書いたものや、その方について書かれたものがどのぐらい残っていて、どこに出かければそれを見ることができるかをまとめた辞典のなかのいくつかの項目を書くように頼まれていたからです。国会図書館には、本や雑誌のほかに、昔のいろいろな方の手紙や原稿や書類をなまえ順に集めたアーカイヴがあります。辞典で書かなければならない方の資料は、昨年そのアーカイヴに納められ、見ることができるようになりました。

 国会図書館のこのアーカイヴは、卒業論文や、そのすこし先の課程の論文を書くために、学校の休みになるとたくさん通っていた場所でした。この2年ほどは、ほかに忙しいことがあってどうやっても通うことができないでいたのですが、久しぶりに扉を開けたところ、すこしたたずまいは変わっていましたが、やはりなつかしい場所に戻った感じがしました。4人がいっしょに座る大きなテーブルに、さきに資料を見ておられる方がおられたのでちいさく会釈をして座って、目録を書き写したり、日記や手紙を読んでノートをとったりしました。
 お盆のお休みを利用して来られたということで、近くのテーブルでは知人の方が調べ物をしておられました。部屋が閉まる時間まで調べ物をしたあと、いっしょにお茶をいただいて、いろいろなお話をして帰りました。
2004年08月17日 00時29分49秒

ぽちゃりのこと
 帰郷の準備ができたので、ゆるゆるとお湯をつかって、いまあがってきたところです。この夏は暑いので、ここ何週間のあいだは、朝食のうしろでバスタブにぬる湯を張っておき、ぽちゃりとつかってから朝のしたくをしていました。帰宅してからもう一度ぽちゃりをして夕食のしたくをし、ふつうの入浴ももちろんするので、肩までつからないにしてもなんだか水に申しわけないかもしれません。
 買ってきて忘れていた植物香油がでてきたので、ぽちゃりの時にぬる湯にたらしてみたところ、とてもよいぐあいでした。レモンの実とオレンジの実の香油を交代でつかっています。香油を入れたり、浴用塩を入れたりなどして楽しむことができるのはよいことですが、いま住んでいるところのバスタブは少し小さめです。

 郷里の浴室は、身体が少し不自由な祖父のために広く改装してあり、おとなが3人うろうろしてもなんとかなります。といいますか、帰郷してお湯をつかっていると、(もちろん同性の)家族がなぜかいっしょにお湯を使いに入ってきます。ですが、妹とわたしと母の3人で、ボブスレーのように浴槽に縦に嵌ってみたときにはさすがにきゅうくつな思いをしました。最前列に陣取ると、お湯の温度を一定に保つために定期的に湯沸かしの中を循環する熱いお湯が打ち寄せてきてたいへんなことになります。
2004年08月07日 01時34分56秒

均衡のこと
 あさっての朝早くから、来週の日曜の夜遅くまで、墓参りやいろいろのために郷里に戻ることにしています。あすは帰宅が遅くなりそうだったので、きょうの夕方にデパートにまわり、帰郷のおみやげの菓子をいろいろ買い揃えました。年をとった親戚向けに缶入りの飴の詰め合わせを選んだところ、なんだかたいへんな重さになりました。
 ゆきかえりの電車のきっぷは、もう準備してあります。新幹線よりも、新幹線を下りて在来線にのってからのほうが時間がかかるうえに揺れも大きいので、在来線の指定席をまず確保してから時間を組んでいったところ、早朝発のくだりと夜間着ののぼりしかプランがありませんでした。特に、帰郷(くだり)のおりには、在来線の指定席ともっとも接続のよい新幹線がダブルデッカーだったので、その便より一本早い新幹線を予約しているためいっそう早く出発しなければなりません。おそらく新幹線で東京に通勤する方のために、この新幹線には最近ダブルデッカーの編制が増えているのですが、なんとなく天井が低い感じがするのと車内の段差が多いのとでわたしは少し苦手です。むかしのロマンスカーのように、二階前面が展望仕様になっていれば喜んで乗るかもしれませんが。

 帰郷してからは、家族の墓と、母の里と、祖父の里の3つのお墓参りがあります。祖父の里では、ことしの小正月あけに祖父の弟が亡くなった初盆があります。これで、祖父の兄弟で健在であるのは祖父をふくめて4人になってしまいました。また、祖父の里にくらしている祖父の長兄も身体がおとろえ、この夏に逢うのがさいごになるかもしれないようです。わたしがアーキヴィストの見習いをしていることをたいへん喜んで下さり、いつか、この家の文書でこの家とこの里の歴史を書くにちがいないと思っている大叔父であるので、会話が通じるおりがあればできるだけ仕事の話をしようと思います。

 こどものころよくかわいがっていただいた、祖父母や祖父母より上の世代の方々も、ずいぶん帰天してしまいました。
 なにかを指向して考えてみたわけではないのですが、なんといいますか、上で待って下さっている方々と、地上でいっしょにいて下さる方々との人数比のようなものが、だんだん均衡している感じがします。
2004年08月05日 23時21分24秒

送りまちがいのこと
 きのうは、寝るまえに少し長めの日記を書いたのですが、書いたものを送信する手はずをまちがえたようで、書いたものが消えてしまいました。ふてふてと寝について、起きたところです。なにも書かれなかった一日にするのがなんだか惜しかったので、書いておくしだいです。きょうもよい一日でありますように。
2004年08月05日 08時39分30秒

読み合わせのこと
 きょうは、起き忘れもなく、息災に仕事に出かけることができました。きょうはまた、研究室に先生が見えたので、頼まれていた自伝の書き起こしのうち、こちらが読めなかった字や、処理のしかたをうかがったほうがよいものを見ていただくことができました。

 読めなかったところを読んでいただくといっても、先生がその字をピンポイントで埋めてゆくのではありません。会議の受け付けなどでよく使われる長机に隣り合って掛け、少し大きめの漢和辞典と国語辞典を前に積んで、先生が手稿を、こちらが活字稿を持って、それぞれ該当するところに付けてある附箋をたどりながら、読めなかった文字を含む前後の段落を読み合わせてゆきます。先生が、ひとつの熟語を漢和辞典で調べ、国語辞典でも調べ、その熟語がこれまで読んできた部分に使われてきたかどうか、B4版にみっしり詰めて印刷してある活字稿を100枚近くはじめからひっくり返して調べ、それでもペンディングにされるのをとなりで眺めていることは、月並みですがよい修業になりました。「ほんとうは、会議とかではなくて、こういうことをずっとやっていたいんだよなあ」と先生はおっしゃいます。

 この記録は、獄中の、おそらく満足な字引きのないところで短い期間に書きあげられているにもかかわらず、漢語のむずかしい成語がいろいろなところにほぼ書き間違えなく使われています。それでも、こどもの頃の回想として、他のこどものような素読の訓練を受けたことがないことを少し羞じているということが書いてありました。

 只管文字を読むことは、疲れるものではありますがよい疲れのようです。余勢を駆ってといいますか、きのうと同じく少し遠い散歩をして駅まで歩きました。きのうと同じよい風のせいか、外で香箱すわりをして涼んでいるふうの猫にたくさん会いました。
2004年08月04日 00時50分28秒

起き忘れのこと
 きのうは、少し遅くまで根をつめて資料を読んでいたので、よく眠れそうにないことを見越して、用心のために眠れるお薬をいただいてベッドに入りました。
 きょうの朝、少し暑いながらもたいへんぐっすり眠った感じがして眼を覚ましたところ、ベッドのわきの時計は10時をすぎていました。あたりまえですが、机に向かって仕事をしていなくてはならない時間です。助手さんに起き忘れのお知らせをして、午後から仕事にでかけました。

 そういうわけで、きょうは夕方になっても元気が残っており、やっと涼しい風が夕方に吹くようになったこともあって、久しぶりに少し遠回りなほうの散歩をして帰宅しました。ついでに、帰郷の電車のきっぷも買っておきました。
 駅には家族が車を出してくれるので、駅につく時間を知らせがてら郷里に電話をすると、家族はみな息災のようでありました。ただ、猫にノミが発生し、あちこちでかゆそうに体をかりかりしているので、何とか言ってやってくれということでした。いわゆる虫よけを飲ませても効かないのだそうです。

 心苦しくも更新が滞っているために、プロフィールの写真が梅雨仕様のままになっていたのをすっかり忘れてしまっていました。まうかめ堂さんにお願いして、きょう取り替えていただいてあります。だらりと長くなっているのは、いとこの夫君の郷里にいるものです。
2004年08月02日 23時43分22秒


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