まうかめ堂日記

スタイルシートの導入その他
日頃使ってる HTML syntax checker の htmllint が「スタイルシートを使え」と毎回うるさいので、とうとう導入いたしました。 不具合等ありましたらおしらせ下さい。
本当はもっと劇的に色づかいを変える予定だったのですが、あれこれいじっているうちに緑系のパステルカラーの体系に収束していき、それで Codex Calixtinus の解説とか読んでると笑ってしまうのでそれは没になりました。(そのうち短期間だけ使うかもしれません。)

トップページも drastic に改造するつもりがタイトルロゴを作った段階で力尽きました(笑)。

そのタイトルロゴも、さんざん GIMP (GNU Image Manipulation Program)をいじりまわして無数のロゴを作ったけれどどれもしっくりこなくて、煮詰まったのでツールで遊んでいたら球面を描けることを思いだし、ためしに置いてみたらなんかツボにはまってしまったので使うことにしたというものです。 このロゴの欠点は、サイズがでかいというのもありますが、最大の欠点は、「これでは中世音楽のサイトに見えない」ということです。
なんか「高校講座・数学」かなんかが始まりそうなノリです。
いや、はじめてもいいんですけどね、「高校数学のまうかめ堂」。
とりあえずしばらくこれで行ってなんかアイデアが浮かんだらまた作りなおすことにします。

ロゴ作りで少しノウハウが蓄積できたので、新バナーをいくつか作りました
その過程で、欧文のサイト名を "Atrium Maucamedi" というのに決めました。 この辺のことについては What's new のページへ。
「でも今の時点のサイトの状況では "Atrium Maucamedi" という名称は、英語のページの名前に見えるよね」とか細かいことを気にしてたりします。
2004年08月17日 02時17分51秒

「アキタニア」の MIDI
「アキテーヌのポリフォニー」の2声のメリスマ・オルガヌム Laude jocunda を up しました。→[MIDI gallery].
以前は「アキタニア」の MIDI なんてほとんど無理じゃないかと思ってたのですが、やればそれなりにできるもんですね。 しかし、人の声に近づけようとするといつも結局 English horn と Fagotto になってしまいます。 しかも、なるべくなめらかにしようとしてたら、やたらと柔らかいオルガヌムになってしまいました。(Modulation はもう少しおさえても良かったかもしれません。) 本当は、もうちょっとゴツゴツした音楽だと思います。

この曲は、Anthology of Medieval Music (Richard H. Hoppin 編)の現代譜から作りました。 Hoppin の transcription はちょっと独特なところがあるので、Ensemble Organum の演奏をまねようかとも思いましたが、音がだいぶ違ってるので結局 Hoppin にしたがいました。 こういうとき写本のファクシミリが欲しいですね。

なかなか面白いので「初期ポリフォニー」の MIDI はもう少し続けようと思います。
2004年08月08日 00時50分55秒

Congaudeant catholici & Verbum Patris humanatur
先週 'Congaudeant catholici' 関係のファイルをまとめて up しました。 geocities 備え付けのアンケートシステム geogong というのをちょっと使ってみたかったので、こんなこと尋かれても困るかなと思いつつ 'Congaudeant catholici' の六つのヴァージョン(←そんなに作るなよ)でどれがいいと思うか尋いてみました。 「本当に誰も答える人がいなかったらどうしよう」と思っていたのですが、幸い、答えてくださった方が若干名いらっしゃったので一安心ですが、もう一声数字が伸びてほしいところです。 (回答人数が10名程度にはなって欲しいと…。)

実際「そんなこと尋かれても選びようがない」というのも理解できます。 初めて聞く人は「まうかめ堂」の MIDI の演奏だけでは「よくわからない」ということは十分ありうると思います。 しかも音は全部同じでリズムの配分が少しずつ違うものの中から一つを選ぶというのはしにくいかもしれません。 いやそれ以前に、全てが1分ちょっとの MIDI ではあるけれども、聴いてもあまりピンとこないものを六つも聞くか、というのもあります。 それに、なんでこんなことをしてるのかという意図も理解しにくいかもしれません。 写本のファクシミリなんかを前にして、「本当はこれはどんな音楽だったんだろう?」と思い悩んだりしたことが無いとなかなか理解してもらいにくいのかもしれません。 (ま、きっともっと MIDI に説得力があればいいんでしょうけどね…。)

そういうわけなので、まあ、よかったら投票してみて下さい。 投票所はこちら(終了)です。

ノートルダム楽派より前の初期ポリフォニーは他の中世音楽と同じくものすごい内容を持っていますが、その魅力はなんといいますか音程に対する異様なまでに研ぎ澄まされた感覚だと思います。

まあ、中世の音楽は一般に「音程」という点で非常に原色でカラフルな印象があるのですが、というのは15世紀にフランドル楽派の初期の人達がイングランド起源の「3度の甘美な響き」を発見して以来、19世紀の終わりごろになるまで、西洋音楽の響きは3度の積み重ね(とその転回形)を基調としてきました。 特に、3度を協和音程とみなすようになったことが非常に大きくて、詳しく説明はできませんが、これにより響きが二色にすっきり整理されてしまった印象があります。 二色というのは協和と不協和です。
もちろん中世にも協和と不協和の区別はありますが、協和音程は完全8度5度4度と非常に限られたものであり、一方で不協和音はそれが均質に一色というわけでなくて、ある種のグレードがあります。つまり3度と2度では不協和の度合が違い、中世の音楽では、それらがそれぞれの色彩で鳴り響くのです。 したがって聞こえてくる音響は原色の絵の具で塗り分けたようなカラフルさがあると思うのです。

中世の音楽全般にその「音程のカラフルさ」はあるのですが、それが最も精妙だったのが(主に2声の)初期ポリフォニーだったと思います。
ノートルダム楽派以降、リズムに関心が注がれるようになると、「色彩の豊かさ」はしっかりと受け継がれるものの、色彩に対する繊細な感覚は若干弱まる印象があります。
Congaudeant catholici も、今回 up した Verbum Patris humanatur も3声の曲ですが、2声で存分に培われた繊細な色彩感覚を3声に拡大したものという感じがします。 特に Verbum Patris humanatur はリズム的にはほとんど一音対一音の単純なものですが、時としてかなり鋭い不協和音を含む響きは豊かというか heterogeneous で、この曲以降この種の響きが聞かれるようになるのは20世紀に入ってからようやく、ストラヴィンスキーの音楽においてではないかと思えるくらい興味深いものだと思います。
(Verbum Patris humanatur の MIDI data はこちら。)

まあ、そんな「初期ポリフォニー」ですが、MIDI でその魅力を伝えるのは難しいのかもしれません。 しかし、もう少し材料はあるので MIDI 化していきたいと思います。
2004年08月03日 02時02分25秒

やたら面白いと思った話
やたら面白い「中東の昔話」を聞いたので、紹介いたします。


 昔、年老いたアラブ人が、自分の死期をさとり、三人の息子を枕元に呼んで言った。

「私が死んだら、私のラクダの半分は長男に、三分の一は次男に、そして、九分の一を三男にゆずる。」

それから間もなく、父親は亡くなった。ところが、父親の所有していたラクダは十七頭だったので、どう考えても十七頭のラクダを、二分の一、三分の一、九分の一に分けることができない。
とうとう、どのように分配するか、三人の兄弟で言い争いが始まった。

そこへ、一人の旅人がラクダに乗ってやってきた。旅人は、兄弟のケンカの理由を聞いて、

「そうか、それなら私のラクダを差し上げましょう。そうすれば分けることができるでしょう。」

と言った。

 なるほど、旅人のラクダを足すと十八頭となり、長男は半分の九頭、次男は三分の一の六頭、三男は九分の一の二頭をもらい、みごとにケンカは丸くおさまった。 旅人は、

「よしよし。では、最後に残った一頭は、わしがもらって行こう。」

と、自分の乗ってきたラクダに乗って、去っていったという。


トリッキーに感じる源は足しても1にちょっと足りない遺言にあるわけですね。 「こういう遺言残してみたい」とか思いました。
2004年07月26日 01時05分36秒

ちょっと近況を
ここのところすこし忙しくて、なかなか更新ができてませんが、それというのも、先週は地方で行われた研究集会で英語で研究発表をしなくてはならなくて、日本語ならそれなりに適当で大丈夫なのですが、英語となるとちょっと真面目に準備をしなければならなかったので、すこし大変でした。

(HPに関しては、後は体裁を整えれば良いだけの材料が一つ二つあるのでなるべく今月中に up したいと思います。)

それから、今日、わけあって目の手術をしました。 これについては、ちょっと面白かったのだけど、ここでは何も言わないことにします。

岡部真一郎という人の「ヴェーベルン--西洋音楽史のプリズム」という本を買いました。
前からちょっと気にはなっていたのだけど買うとこまでいかなくて、18日の読売新聞の書評でちょっと褒めてあったので買ってみました。
おそらくこの書物の新しいところは、(1)ハンス・モルデンハウアーによって日の目を見ることになった、作品1「パッサカリア」以前の初期作品、とくにシェーンベルクに弟子入りする前の作品にもページを割き論じていること、(2)第二次大戦直後のセリエリストによって持ち上げられたみたいな「透明で純粋な12音主義者」という「既成のウェーベルン像」からの解放を目指し、「ドイツ後期ロマン主義の後継者」という側面を強く打ち出そうとしてるようであること、(3)指揮者としてのウェーベルンに光を当てている、特にマーラー振りとしてのウェーベルンを描き出そうとしてるらしいこと、などが挙げられそうです。
まだ最初の方ちょこちょことしか読んでませんが、「事実」は丁寧に記述してくれてるものの、あまり深いことを書いてくれてない感じがするのがちょっと残念な気がします。 12音技法に入る章では、21世紀に入ってもなおこのような弁護を書きつらねねばならないのか、と思ってしまう文章をひとしきり読まされてちょっと哀しくなります。
一般的に言って、人類はいまだ無調音楽の美しさを発見することができないでいるようです。(それは中世の音楽についても同様です。)
先日、別の、音楽史に関するちょっとトンデモ入ってるかなという本を立ち読みしてたら(書名も著者も忘れてしまいました)、「『12音音楽は音楽でない』というドラスティックな提言があってもよい。」と書かれていて、思わず吹き出してしまいました。
一瞬、著者がどういうつもりで言ってるのか計りかねましたが、どうもそのままの意味で言ってるらしい…。
(まあ、別にいいといえばいいのですが…。)
また、動脈硬化的な「アカデミズム」を揶揄しつつ「これはアカデミズムでは認められないだろうけども」とも付け加えてありましたが…。
この著者は人類の90%以上が理解しない音楽が、そういう「アカデミズムの現場」なんかでありがたがられてるのが気にいらないのかもしれません。
面白いのはその著者が20世紀の最高のオペラとしてガーシュウィンの「ポーギーとベス」を挙げていることで、確かに19世紀的な価値観からするとそれは正しいと言えるかもしれないですね。 つまり、この著者は19世紀から先に進めていないかのようなのです。それはそれで当人にとっては幸福なことかもしれませんが、実際に進んでしまった時計の針を戻すことは出来ません。われわれは既に20世紀を通り越してしまったわけで、それが良かったのか悪かったのかは別として、この世紀の経験から目をそらすわけにはいけないと思うのですが…。
あ、それからこの本は序章、1〜9章、終章、そして註の「12章」から成り、各章のタイトルページには一つの音符が示されていて、それをつなげると「9楽器のための協奏曲」の有名な音列が出来上がる、という趣向があったりします。

Amazon jp からブツが届きました。
一つは Ensemble Musica Nova という団体のマショーのモテト集。なんと Integrale des Motets というのが泣かせます。 でも、まとまった時間が取れてないのでまだ聞いてません(泣)。

もうひとつは Source readings in music history, volume 2, Early christian period and the latin middle age です。 これは、TML なんかにあるような中世の文献の英訳集で、アウグスティヌスの「告白」あたりから始まり、Boethius の音楽論の抄訳、Hildegard von Bingen の書簡なんかが続きます。
まうかめ堂的に興味があるのは後半で、中世の音楽理論書が英訳されています。 Musica Enchiriadis の抄訳で始まり(面白いことに前半のみ。有名な2声のオルガヌムの部分は訳されてません。)、Guido d'Arezzo の Micrologus でない著作、Johannes de Garlandia の De musica mensurabili の抄訳、ケルンのフランコの Ars cantus mensurabilis(これは皆川達夫先生の和訳がありますね)なんかが訳されていて、最後は Jacques de Liege の大著 Speculum musicae の抄訳(有名なアルス・ノヴァ批判の部分を含む)で終わっています。

TML の文献を一から読むのは大変ですが、抄訳でもわかる言語の訳があると助かりますね。
2004年07月22日 01時24分41秒

「フィネガンズ・ウェイク」の新しい邦訳
書店に行ったら、「フィネガンズ・ウェイク」の新しい邦訳(抄訳)が出ててちょっとびっくりしました。 柳瀬訳の後でこんなの出して勇気あるな、とか思いながら開いてみると、あれあれ、これって大丈夫なの、という感想を持ってしまいました。 訳者の人はジョイス関連の翻訳や著作で名の知れた人なので、そういう人の仕事に向かって、全くのシロウトの私が「世界の周円でなんか呟いてる」ようなサイトでこのように物申すのもどうかとは思いますが、少しだけ…。

いや何、訳文がフツーに読んでフツーに意味が通る文章になってるのが最大のウソだと思うのです。

知ってる人は知ってるのだと思いますが、原文は、多数というよりは無数の意味を生成するのに、ジョイスの知りえたあらゆる言語から言葉を引っぱってきて組み合わせ、造語を成し、「ジョイス語」あるいは「フィネガン語」というべきものによって書かれたものでした。例えばこんな風に。
Sandhyas!Sandhyas!Sandhyas!
Calling all downs. Calling all downs to dayne. Array!Surrec-
tion. Eireweeker to the wohld bludyn world. O rally, O rally, O
rally! Phlenxty, O rally! To what lifelike thyne of the bird can
be. Seek you somany matters. Haze sea east to Osseania. Here!
Here! Tass, patt, Staff, Woff, Havv, Bluv and Rutter. The smog
is lofting. And already the olduman's olduman has godden up on
othertimes to litanate the bonnamours. Sonne feine, somme
feehn avaunt! Guld modning, have yous viewsed Piers' aube?
私の記憶が正しければ、例えば冒頭の Sandhyas という語は Sanctus と確かサンスクリット語か何かの Sandhi という言葉から(少なくとも)成っているようです。 (私は Sandhi の意味を忘れてしまいました。Roland McHugh の注釈本をどこかにしまい込んでしまっていて見当たりません。)

このようにこの書物は通常の意味で「読む」ことが出来ません。 したがって通常の意味で「翻訳」は出来ないはずです。

先に、「ジョイス語」あるいは「フィネガン語」で書かれている、と言いましたが、それはおそらく正確ではありません。 それが新しい一つの言語であったらなら、人はそれを理解することが出来るでしょう。 また Sandhyas という語が Sanctus + Sandhi に還元できて、(あるいは、作品の最初の語 riverrun が river + run に還元できて)この不可解なセンテンスの群れが、並列の複数の意味に還元できるなら、人はこれを読み解くことができるかもしれません。

しかし実際はそうではない。集められ繋ぎ合わされ合成され変成させられた言葉たちは、乱反射しつつ無数の意味を生成しているのです。
唐突にデリダの用語を使うなら、「多義」でなくて「散種」です。
そのデリダは「フィネガンズ・ウェイク」を、「第千世代コンピュータ」と評してました。 それは、現在のコンピュータなど足元にも及ばない速度で情報を結びつけている回路です。
だから、フツーに意味が通る訳文で「複数の意味」を持つ語には註を付ける、というのでは、本質を失なってしまうほどに reduce してしまったものにしかならないと思うのです。

とは言うものの、あまりにこの作品の特異性に目を眩まされてしまうばかりで、一向にその深い森の中に分け入ることができないで、指をくわえて見てるだけであるよりは、一度はこのくらいばっさりと切り分けてしまった方が良いのだ、ということはあるのかもしれません。 でないと本当に先に進めませんから。 そしてそのような意図でこの翻訳は作られたのかもしれません。

でもね。

無責任ついでに、買いもせず読みもせずに私の直感を申し述べるなら、これがちゃんと「入り口」になってるかどうかはわからない、という気がしてます。 これは本当に無責任な直感です。
ちょっと「フィネガン」関係のサイトをうろうろしてたら、すごいページに行きあたりました。 このアニメーションは本当に面白く、秀逸です。
2004年06月30日 02時26分16秒

Boulez conducts ....
またまたタワレコに行ってきました。
なんかこんなネタばっかり…。 本当にオタクに見えてしまいますね。でも、真のオタクの人たちのような消費行動は私には取れません。
「デッカ・中世&ルネサンス文庫」から出てるスコラ・アンティクヮのグレゴリオ聖歌集を買って帰るつもりだったのですが、とんでもないものを見つけてしまいました。 その話は後にすることにして、まずは試聴の感想から。

1.古楽器によるアルヴォ・ペルト
「ありそうでなかった古楽器によるペルト」みたいなことが書いてあって、まあ、確かにそうですね。 でも聞いてみるとペルトはペルトですね。 正しく演奏さえすれば、どんな楽器でも(たとえシンセサイザーでやっても)ペルトはペルトになるはずです。
ペルトというと中世的語法を現代に蘇らせたような人で、確かに個々の音に対する感性は中世のものにとても近い気がしますが、本当の中世音楽とはもちろんだいぶ違います。 中世音楽はもっとたくましく力強く vivid です。っていうかペルトは枯れすぎです。 「戦争と大量虐殺の世紀の祈りの音楽」という表現がぴったりきてしまいます。 これってペルトだけかと思ったらそうでもなくて、クロノスなんかが紹介するような冷戦終結後のバルト三国や他の東欧系のマイナーな作曲家の作品を聞いたりすると、この人たちなんか凄く重たいもの背負ってるなあ、という感じがします。 良くも悪くも、西ヨーロッパの人とか日本人とか(アメリカ人は論外として)には決して書けない響きというのがあるようです。
でも、ペルトが若いころに「前衛」を一生懸命やってた時の作品も私は結構好きです。 今みたいな様式でブレイクしてしまった後の視線から見ると、身の丈に合わないことやってるような感もありますが、なかなか面白いです。 (私のイチオシは「B.A.C.H. によるコラージュ」という曲です。そういえば、この曲のディスクを貸してくれたのはスタンコお嬢さんでした。なんでこんなもの持ってるの、という脈絡のなさでCDを持ってる人ですが、ときどき私的にヒットだったりします。)
そのスタンコお嬢さんは、現在あまり調子がよろしくないようですが、まあ、あせらず気長に元気になってください。
2.「プロムス」のCD
「プロムス」というのは「プロムナード・コンサート」の略称で、7月〜9月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行なわれる、有名なクラシックのコンサートのシリーズのことです。 昔これの最終日の様子をBSでやっているのを見たことがありますが、クラシックのコンサートというよりは、ステージも客席も一緒になった一種のお祭りですね。 合唱入りの「威風堂々」なんかやたら盛り上がってるし、一番びっくりしたのが、会場も一緒になって歌うヒューバート・パリーの「エルサレム」。 これはまじで楽しそうでした。
パリーの「エルサレム」と言ってもあまりピンとこないかもしれませんが、 ELP が「恐怖の頭脳改革」というアルバムの中で取り上げた曲、というとわかる人がいるかもしれません。 随分長い間この「エルサレム」は ELP の曲だと思っていたのですが、エルガーなんかと同時代の人の作と知ったときはちょっとびっくりしました。 だっていかにもキース・エマーソンなんかが作りそうな旋律なんだもん…。 しかし、イギリス人って、万人受けする名旋律作るの得意ですね。 (しかも中世のころからそう。) そのくせ、(いやそれゆえにか?)現世的に大成功する人は多いのに、音楽史的には重要視される人が極端に少なくて、「イギリスにはバードとパーセルとビートルズしかいない」とか言われたりしてるのがなかなかです。(ちなみに、この言葉には強く反対です。第一ダンスタブルが入ってないじゃないですか。)
それでこのディスクですが、ちゃんと「威風堂々」も「エルサレム」も入っていて、「エルサレム」のエルガーによるオーケストレーションの華麗さ見事さに感動しました。(パリーの元曲のオルガン伴奏はだいぶ弱いです。)
でも、日本版3000円弱は買う気になりませんでした。

さて、それでようやく本題です。

最近は古楽の棚のまわりをうろうろすることが多いわけですが、以前からの習慣で現代音楽の棚も一通り見て行くことが多いです。 といってもメジャーな「前衛」の人達(Boulez, Berio, Ligeti, Stockhausen, Xenakis etc.)をちょこちょこ見るぐらいですが、この日は Boulez のところに見慣れないディスクを発見しました。
それは、"DIALOGO DELLA MUSICA ANTIQUA ET DELLA MODERNA" と題された二枚組のCDで、Boulez 指揮の1960年、1964年の古い録音でした。 "MUSICA ANTIQUA" とあるのが気になりながら曲目を見ると、ストラビの「洪水」、メシアンの「異国の鳥たち」、バルトークの「カンタータ・プロファーナ」にまじって、anonymous: La messe de Tournai[14th cent.] とあるではないですか! これには本当にびっくりでした。 1960年というと大体、デラーコンソートのノートル・ダム・ミサの歴史的録音と同じころです。

そのころに Boulez が20世紀音楽と並べて、よりにもよって「トゥルネーのミサ」を取り上げていただなんて…。

ただ、見つけてしまったのはいいのですが、どうすればいいのかちょっと困ってしまいました。 何しろデラーと同じころです。 デラーの歴史的録音は、「当時としては珍しい音楽的な演奏」「当時はこれらの曲の最も模範的な演奏とされた」なんて言われているのですが、私がそれを初めて聞いたときの感想は「これが本当にそんなに偉い演奏だったのか?」というものでした。 そして、もしそうなら他の演奏って一体どれほどのものだったのかとも思いました。 金澤正剛先生の「中世音楽の精神史」の始めの方には、初めて聞いたペロタンに驚き、「こんな音楽が実際に過去に存在したのかと、疑ってもみた」という話が書かれていて、それの半分はエキゾチックな面をやたらに誇張した演奏のせいであり、またそのような曲の解釈が当時一般的だったとおっしゃっています。 この話も時期的にそれほど変わらないのではないかと思います。 だとすると、いくら Boulez といえども現在から見ると「ちょっと変」という演奏になってる可能性は大きいのではないかと思いました。
でも、一方でそのことを確かめずには立ち去りがたいという感覚があって、さんざん迷った末、「この演奏がダメダメであることを確認するために消費をしている」という嫌な感覚とともにこのディスクを買いました。

で、家に帰っていて恐る恐る聞いてみました。 バイエルン放送交響楽団&合唱団の演奏です。 混声合唱で管楽器の伴奏が付いています。 (オーケストレーションは Boulez の手によるものかもしれません。) 早めのテンポでさくさく進みます。 合唱はそれほどうまくありませんが、全然変な演奏ではありませんでした。 むしろデラーのマショーよりもずっと良い演奏ではないかと思えるほどでした。 特にグローリアは素晴しい。 これはアンサンブル・オルガヌムに張り合えるのではないかと思いました。 (ちと、これは言いすぎか。 でも Sanctus, Benedictus, Agnus Dei はノートルダム楽派の音楽で言うところの第3、第4モードのリズムが強調されるだけの単調なものに終わっています。) それで、聞いているうちに何か中世でない感じがしてきました。 何だろうと思ってたのですが、あるとき、気がつきました。

これはもしかすると、ストラビの新古典主義の合唱曲なんか(「詩篇交響曲」とか)をやるときと視点なりアプローチなりが同じなのではないか……。

はじめから14世紀の音楽などやる気はなかったのではないか…。

そう思うと現代楽器と合唱による「トゥルネーのミサ」が20世紀音楽のように聴こえてきます。 やはり Boulez はただものではなかったみたいです。 1960年、デラーがくだんの歴史的演奏を録音する前の年にそれよりも2、3歩先を行くようなことを平然とやっていたのだから。
Boulez が指揮者として大ブレイクするのはこの後ですね。 1964年、フランス国立放送交響楽団との「春の祭典」、「ストラヴィンスキーは生きている」という自身の非常に有名な論文を音にしたような演奏で、「はるさい」演奏に革命を起こしたものでした。
その後、デラーの演奏をかなり久しぶりに聞いてみましたが、昔思ったみたいに時代遅れな演奏では必ずしもない、ということになりました。 しかもこれはなかなか面白い、「歴史的」というだけでなく現代でも十分通用する演奏だと思います。(別に無理にフォローしてるわけではないです。) 確かに例えばピッチなんかかなりぐちゃぐちゃに聴こえますが、ある意味フツーの合唱団はこうなわけで、むしろ現代の声楽の演奏団体の機械のような正確さが異常なことかもしれません。
それと、こういう演奏が60年代にあったから、70年代のマンロウやビンクリーの演奏が可能になったのではないか、とも思いました。
非常に長くなりました、もし全部読んで下さった方がいたなら、ありがとうございます。
2004年06月27日 02時48分01秒

Bloomsday
今日は Bloomsday でした。 しかも100回目の…。

この日に、この日までに、私はあることを実現することを公言というか約束していた気がするのですが、とうとう果たせませんでした。 (人生、予定通りにはいかないものです。) 申し訳ない…。
2004年06月16日 20時31分10秒

我無人さんの "Ma fin..."
「フランドル楽派の音楽家たち」の我無人さんがまたしてもやってくれました。 当方でマショーの Ma fin est mon commencement を up してから10時間程度の間に、同曲を Bodleian の写本から作ってしまわれました。 しかも完全なロンドーの形式で、まうかめ堂よりはるかに音楽的におもしろい。

参りました。

早めのテンポで中世の曲とは思えない流麗さはちょっと無いタイプの演奏です。 聴いてみてください。
2004年06月14日 01時31分34秒

Ma fin est mon commencement
マショーのロンドー Ma fin est mon commencement (我が終わりは我が始まり)を up しました。 これは正確な逆行カノンの最初期の例として有名です。 (う〜む、いよいよマショーのページを作らなければなりませんね。ちょっとしんどいかな。) 私はこの曲、技法を優先させた、どちらかというと駄作にあたるもので、逆行カノンであるから有名であり良く演奏されるものと思っていました。 だけど、実際に MIDI なんかを作ってみると案外良く出来てる感じがするな、と思います。 決して駄作ではないですね。 これだけの計算はかなり非自明です。

それから…。

前からやろうやろうと思っていたピタゴラス音律の計算をようやく実行しました。 C を基準にしたピタゴラス音階のデータはこんな感じになりました。 表の説明は、きっと見ればあらかたわかるだろうということで、とりあえず省略。 そのうち音律のページも作らなくてはならないかもしれません。 一応、これを計算するのに作った perl のプラグラム(の zip archive file )も置いときます。 (まあ、たいしたものではないですが…。)

あらためて自分でいじってみると面白いですね。半音は狭いし、全音は広い、長三度も広い、なんかやたらテンションの高い音律ですね。 GS の SysEx を使った平均律との比較 MIDI もちょっと作ってみました。これです。 (対応してる GS 音源ならちゃんと聴けます。右から聴こえるのが平均律で左から聴こえるのがピタゴラス音律です。) さすがにこの音律では三度を協和音程と呼べないのが良くわかりますね。

ついでに Ma fin est mon commencement もピタゴラス音律版を作りました。 これはなるほどという感じです。 生硬さは強調されますが、この方が美しいですね。 F# の高さがいいです。
2004年06月13日 02時08分01秒

「キューティーハニー」その他
別にここに書くようなことではないですが、昨日「キューティーハニー」を見に行ってきました。 いや別に私はサトエリのファンでも何でもなくて、ただ、庵野秀明が久し振りに映画を撮ったというのでいってみたのでした。 しかも「キューティーハニー」実写版。 (CASSHERN といいこれといい、さらに今秋公開という「デビルマン」といい、何故70年代アニメが立て続けに実写化されるのでしょうか。) 庵野版ハニーということで DAICON FILM の「帰ってきたウルトラマン」のようなものを期待して行きました。 その期待はまずまず裏切られることはありませんでした。

でもね…。

まずは良くなかったと思うところから。
  • キャラがちょっと浅すぎです。いくらなんでも。
  • 脚本もちょっと。 「愛と友情、そして勇気のベタな話」というのはいいのですが、DAICON FILM の頃や GAINAX の初期作品なんかにはそういうベタなものをベタに真似することによる批評性があってそれが面白かったと思うのですが、そういうのはこの作品には感じられなかった。 (ちょっと期待してたのに。) チープなだけに見えてしまいます。これではフツーのお客さん飽きちゃうじゃないかな。
  • 30年前の「子供向けマンガ、アニメ」のアレアレな設定を中途半端に補完すると余計アレアレになってしまいます。 ナノマシンとかクオークとか無闇に言わない方がいいです。
  • この人の作る映像は本当はもっと先鋭的なはずです。 特撮とかいわゆるハニメーションの部分は別として、普通の部分は「ラブ&ポップ」なんかの方がずっと面白いです。
  • モノに対する異様なこだわりが無くなってしまったのか。 アニメでも実写でも、そこらの物体(電柱とか信号機とか水道の蛇口とか下水の排水管とか)を描くあるいは撮ることで独自の表現をしていたのにそれが影をひそめてしまいました。 (結婚して「人間」に目覚めたか?)なんかこれだと「空を飛ばない宮崎アニメ」みたいなんですけど。
で良かったと思うところは
  • なによりも特撮です。 特に冒頭のウミホタルでのアクションシーンは特撮史に残る出色の出来栄えでしょう。 仮面ライダーや戦隊もののアクションシーンで培われたものの全てを吸収したのちそれらを軽々と凌駕するものです。(ま、予算も火薬の量も格段に多いわけですが。)
  • 庵野秀明の偏執狂的な過剰さは随所に出ててよかったです。 ファミマのオニギリの撮り方とか、ウミホタルに集まるパトカーの尋常でない多さとか、ジルタワーの無意味な巨大さとか、しかもそれが東京タワーの下から生えてくる可笑しさとか、そう、スカーレット・クローの放つ粒子ビームが高層ビル四つを貫通してみせるのは心意気というものでしょうか。
  • いわゆるハニメーションもそうですが、ちょっと実写畑の監督には発想できないだろうな、というアイデアが沢山見られるのは良いです。
  • 及川光博。ブラック・クローとの戦闘シーンはきっと誰もが面白いと思うでしょう。
  • シスター・ジルとの戦いの最後の方は力技です。 庵野作品では使い古されたかに見える「水のイメージ」が未だ威力を発揮しているのにすこし驚きました。 何の感動を呼ぶ要素はないのに映像の力だけでちょっと感動させられてしまうのは力技です。
それから、
  • 巨大化した京本政樹を見て、メフィラス星人に巨大化させられてしまったフジ・アキコ隊員を連想するのは私だけでしょうか?
「キューティーハニー」についてはこんな感じでしたが、家に帰ってから夜中に観た「恋風」がいよいよ大変なことになってました。 とうとう越えてはいけない一線を越えてました。 (私がこんなところでこんなことを言うのも何ですが、男と女の関係というのは、研究と同じで、進まないときは全く進まないけど進むときは一気に進むようです。) 来週が最終回とのことですが、この兄妹、このあとどうするのでしょう。
2004年06月12日 01時59分26秒

Jacob de Senleches の改訂
2日ほど前に「フランドル楽派の音楽家たち」の我無人さんからメールを頂いて、なんと Senleches (サンレーシュ)の「鳥の歌」を作られたとのこと。 慌てて行って聞いてみると、これがやんなるぐらい面白い、「まうかめ堂」のほとんど何もしてない旧作の1024倍ぐらい面白いです。

我無人さんの看板領域の曲なら、「面白いですね!」で終われるのですが、これが Ars Subtilior の曲となるとちょっと私としても立つ瀬が無いかな、ということで、大慌てで新版を作りました。(MIDI gallery はこちら。)

結構努力しました。up してから改めて聞いてみるとまうかめ堂的にイケてないところはいろいろありますが、SC-88限定の data という点では「まうかめ堂」においてこれまでにない水準のものとなったと思います。 ただ、多分 SC-88系の音源でないと意図した通りに鳴らないので、mp3 data も合わせてご利用下さい。
早急に直さなくてはならない点はヴィブラートを多用しすぎた所でしょうか。 終止とかで変にうなって気にしだすと気持ち悪いです。 しかも mp3 にまで音質を落とすと余計強調されてます(汗)。
これで我無人さんの作品との比は 4 bit から 5 bit ぐらいに収まるのではないかとも思います。

まうかめ堂新版の最大の欠点は SC-88 限定であることです。 この点、我無人さんの MIDI はいつもテンポの緩急とヴェロシティの変化で全てを表現しているので、どんな音源でも美しく響くと思います。

また我無人さんの MIDI はプランがはっきりしていて、特に後半二回の繰り返しの A パートは、繰り返しの多い曲でどのような演出がありうるかのお手本のようなものです。 これに比してまうかめ堂新版は、(我無人さんのエコーにならないために、)ゆっくり目のテンポでかなりおとなしく単調です。 ただ、最後のA パートはちょっと壊れてます。これはもう少し冷静になったらもっと穏当なものに変えるつもりです。
2004年06月02日 02時22分03秒

ゲルギエフその他
今日またタワレコに行きました。(最近行き過ぎです。) ちょっと前から DHM の古楽が箱に入って安くなって並んでるのですが、中世ではセクエンツィアが二枚、ビンゲンとトルバドールが出てたので前に get していました。 ところが思わぬところに伏兵が…。 特設の棚でなくセクエンツィアの棚の方に Philippe le Chancelier がやはり箱入りになってあるではないですか。 というわけで今日はこれを買ってかえることになりました。 後でちょっと聞いてみましたが、かなり良いですね。 ノートルダム楽派のディスクの中でもかなり良いのではないでしょうか。 もっともそこらのぽっと出の団体とはキャリアが違うセクエンツィアですから、外すことはもとより無いのですが…。

ま、それはさておき、フロアー内で試聴した CD がかなり面白かったのでその話を少々。

1.ファジル・サイ:ブラック・アース
ファジル・サイがとうとう自作自演のディスクを出したというもの。 ファジル・サイというと何年か前に二台ピアノ版の「春の祭典」を多重録音して出したのでみんなびっくりしたということがありましたが、私はこの「はるさい」を一つの致命的な欠点を除けば非常に高く評価する人です。
註1:致命的欠点とは音の間違いがやたらと多いことです。 後でわかったことですが、この人はそもそも正確に弾くことが苦手というか出来ない人らしいですね。 かなり惜しいです。
註2:昔、これを初めて耳にしたときにこれについてある人に向けて書いたものをちょっと引用します。
さて、ファジル・サイの『はるさい』に被爆したと伺いました。 私も早々に被爆しました。

うん、確かに凄い。

なんと言うかぶっとんでる演奏で、すんげー迫力とか指の回転のはやさとか内部奏法とかてのひらプリペアードとか鼻息の荒さとかにとにかく圧倒されますが、あのように際物になりかねない試みでありながら、きっちりポイントを押えていて堅実な仕事をしているように聴こえているところが私としてもなかなかいい感じだと思っています。 (註:音の間違いはけっこうたくさんあるようです。 はるさいオタク歴15年以上の私としてはもっと正確にやってほしいところもあります。 でも、こんだけおもしろければなんでもいいという気もします。 しかも、『はるさい』のみ30分1本勝負で一枚のディスクを作ったってのもかなりイケてると思います。)

さらに言うなら、面白いと思うのは、
  • 多重録音で一人ですべてをやっていて、
  • 内部奏法ありーのプリペアードありーのピアノによるオーケストレーションを積極的にやっている
  • にもかかわらず、ストラビ自身の書いた2台ピアノ4手の枠組を本質的に越え出ることはしていないことです。
(註:ライナーノーツによると、4手で弾ける限界を越えて声部を足してるというのはあります。 上の3番目で言いたいのは、なんというか、現実問題として reduce せざるを得なかったであろう部分を補完し、こうあってほしかったと作曲者が思うかも知れないありうべき『はるさい』ピアノ版の姿(それが存在するものとして)の枠内にとどまっている、という意味です。 もともとこの2台ピアノ(4手)版はバレーの稽古のために condensed score として書かれたものらしいというのがあって、だとすると、これをまともに演奏会などで取り上げるよりも、このように modify した形で提示するほうがむしろ良心的かもしれないという気もします。)
これを聞いた私はおもむろにピエール・ブーレーズの第2ピアノソナタの第1楽章の MIDI (4声体版なるもの)を作りはじめました。 これは JASRAC 管理下の曲なのでお金を払わないと公開できませんが。
(「はるさい」に関してはそうなのですが、まあ、はっきり言ってこの人がバッハやモーツァルトを弾くのには全く興味がありません。 だから来日したと言っても、コンサートに行こうとはあまり思いません。)
で、このディスクですが、表題のブラック・アースという曲は必ずコンサートのアンコールで演奏される定番の曲らしく、しかもかなりウケてる、とのことでした。 で、聞いてみたら、うん、基本的に民族的なテイスト(ファジル・サイはトルコ人)で何というか手癖で書いてるような曲だと思いますが、burst した時の迫力とかテンションの高さとかは確かに並ではないと思いました。
この人、無理して窮屈そうに「古典」を演奏するよりこの線で売った方がずっといいんじゃないかと思います。ま、大きなお世話ですが…。

2.名前を忘れてしまった日本人女性ピアニスト et al. の「タルカス」!
ピアノと幾つかの楽器(violin,cello,vibraphone,perc.あたりだったか)で何とELPの名盤「タルカス」を演奏したというもの! (ELPと言ってもあまり知らないか)
これもの凄く期待大でした。 ピアノで「タルカス」というのは着眼点が秀逸です。 (もしピアノでELPをやるのなら、例えば Karn Evil なんかよりまず第一に「タルカス」だと思います。 いや、そもそも「ピアノでELPをやる」という発想自体が非常に良いと思います。) というわけで、期待に胸を膨らませて聞いてみました。 その結果……ううむ、惜しいなあ、ということになりました。 二つ残念な点がありました。 一つは、編曲がちょっと…、というもの。 特に vibraphone の導入が全てを安っぽくしてる気がものすごくします。 もう一つは Violin が、ぶっちゃけ下手すぎです。 (日本で人を集めればポップス系のスタジオミュージシャンでももっとずっとうまい人が起用できたのではないでしょうか。)
この人のピアノ自体は全く下手でないです。 実際キース・エマーソン本人が演奏するよりずっと上手いでしょう。 それだけにすごく惜しい気がします。
この手のもの、もっといっぱいいろんな人がやって欲しいし、いいものが出てくるといいなと思います。 それにしてもあまり成功例が無いですね。 一番の成功例はクロノスカルテットの Purple Haze ですか。 バラネスクカルテットの YMO も良かった。(なんか弦楽四重奏ばっかり。) そうそう、古楽器によるフランク・ザッパなんてのもありましたが、あれは買っておけばよかったかなと思います。
誰かピアノ+打楽器+αでキング・クリムゾンの「21世紀のスキツォイドマン」とかやってくれないかな。
このディスクの後半はムソルグスキーの「展覧会の絵」を独りで弾いているのですが、こっちもちょっと。 「帯に短し襷に長し」という感じでした。 真面目に弾くのならもっと真面目に弾いた方がいいんじゃないかと思うし、そうでないのなら、それこそELP版の「賢人」とか「ブルースヴァリエーション」とか「バーバ・ヤーガの呪い」とか入れた方が面白いのではないかと思いました。

何か異様に長くなってしまいました。 というわけなので、表題のゲルギエフは次回ということで。おやすみなさい。
2004年05月28日 01時56分07秒

Transcription(楽譜)のページ
少しずつ transcription(楽譜)が増えてきたので、一つのページにまとめることにしました。 ここです。 「中世音楽のまうかめ堂」の中で、実は、このページが最も(いや唯一?)意味のあるページになる可能性があるのではないかと思います。 実際、例えば MIDI gallery に並んでる MIDI data の群れは、ほとんど「価値」が無いもので、まあ、ゴミの山みたいなものです。 (しかし、そういうものでもさらしておかなければならないモチベーションは存在するのですが…。)

しかし楽譜となると少し話が違ってきます。 一般に、中世の音楽の楽譜は入手がかなり困難です。 この曲いいな、と思っても近所の楽器屋さんとか本屋さんとかに行って楽譜が買えるようなものはまずありません。 ネットで入手できるものもかなり限られています。 (音楽史の本の名曲アンソロジーかなんかで最初の方にのってるとか、そういう感じです。) あとは全集クラスの結構値のはるものをそろえるか、音大の図書館を渡り歩くとか、しなければならないでしょう。

一方で、最近は free sheet music のサイトというのが結構あちこちに出来てて、世界中の(アマチュアの)音楽ファンが楽譜作成ソフトを使って作った古い音楽の楽譜を up して、ネットの誰もがそれにアクセスできるという、良い状況が出来つつあります。 しかし、これもルネサンスはかなりの量がやられているけど、中世はまだまだといった感じです。 (でも、結構集まりますよ。運が良ければ "曲名 & PDF" で検索をかけると楽譜そのものに行きあたります。) というわけなので、中世の音楽の現代譜を作ることは、場合によっては世界の古楽ファンにとって多少有益な情報になるかもしれないと思うわけです。

でも「中世の音楽の現代譜を作る」なんて素人がやるものではないと二重の意味で思ったりもします。

一つには写本からの transcription は本来、音楽学者と呼ばれる人たちがやるものです。 やはりやってると専門的知識なり経験なり音楽理解なりだいぶ必要だな、と思います。 まるで見当違いなものを公開してしまう可能性は本当にありますね。

もう一つは、技術的なことですが「美しく読みやすい楽譜」というものを作るのは一つの職業であってやはりプロの仕事です。 ま、こっちはあまり気にしないことにしてますが…。 (「楽譜 DTP 」なんて雑誌は見かけても絶対に開かない。 この領域の「美意識」に変に目覚めてしまうと、ちょっと大変かなと。) ほとんど MusiXTeX のデフォルトの設定でやってよっぽどおかしい部分だけ直すということにしてます。 でも後で見なおすと結構見づらいなとか思うことはよくあります。 一番ひどいのは「モンセラート」の9曲目 "Imperayritz de la ciutat ioyosa" ですね。 これは詞と音符が平気でかぶってたりします。これは直さないと…。
2004年05月20日 00時27分39秒

謎のランキング
Yahoo!ジオシティーズの上の方をうろうろしてたら「ミュージックホール大通り」のコミュニティランキングの下の方(46位)になぜか「中世音楽のまうかめ堂」がランクインしているのを見つけました。(2004年5月20日0時現在。)

これはちょっと解せない…。

これが不可解なのは、「まうかめ堂」はランキングに参加していないはずだからです。 ジオシティーズではデフォールトでお客さんから5段階評価のアンケートが取れる仕組みを提供してくれています。 これはランキングの cgi のページにリンクすることで機能してるはずなんだけど、「まうかめ堂」は最初からそのリンクを外していて、投票を行うページには誰も入って来ないはずでした。 ところがちょっとそのページを見てみたら、259人が評価したことになってて、しかもその平均値が 5.0、つまり全員が5段階評価で5を入れたことになってます。

一体何なのでしょうか。(ま、いいけど。) ジオシティーズ、変です。
2004年05月20日 00時49分49秒

Works in progress
今やりかけてることをメモります。 ("Works in progress" と言っても、Finnegans wake のことでも、Pierre Boulez の(一生「未完」の)作品群のことでもありません。)
  • Baude Cordier: Tout pas compas の楽譜。 歌詞ののせかたがわからないで困っています。 いや、そもそも何が正しい歌詞なのかが問題です。 写本の左上に書かれた円形の歌詞はおそらくカノンで歌われるためのものと思われますが、これを某研究者のように無理にロンドーの形式に当てはめるのはどうかと思うのです。 かといって韻律の関係上これをそのまま歌うわけにいかないのが苦しいところです。(一行足らないんだよねぇ。)
  • Guillaume de Machaut: Ma fin est mon commencement の MIDI と楽譜。 思うところあって始めました。 この曲 Bodleian にもあります。 14th century, Italy のところ、ここです。 (ただし歌詞が完全に書かれているわけではないです。) 楽譜はほぼ出来てます。 MIDI は素の打ち込みは出来てるのですが、まあ Ars subtilior ならこれで up しちゃうんですが、マショーはできるだけちゃんとしたいのでもう少し努力するつもりです。
  • Bodleian Library MS. Arch. Selden B. 26, 通称 'The Selden Carol Book'。 これ前から気になってたのだけど、目録とか無いので一曲(17v 'The Agincourt Song')を除いてどんな曲が入ってるのかよくわかりませんでした。 何となく思い立って、楽譜だけ全部拾ってきました。 (親切にも画像サイズがかなりでかいので 3r から 33v まで 180 メガもありました。) ぱらぱらと見てたら私でも知ってる曲がちらほらありました。 特に 21v の Alleluia: A nywe werke は大好きな曲なので、こんなの見付けたらちょっと火が点いてしまいます。 この曲と 17v: Deo gracias Anglia('The Agincourt Song'), 15v: What tidings bringest thou あたりをぼちぼち始めてます。 ここでネックになるのはやはり言葉ですね。(中英語どうすんだぁ?)
なんかこのところ脱線ばかりしてますね。 一体モンセラートはいつ完成するのでしょうか。
2004年05月17日 01時58分10秒

今日見た、私的にちょっと珍しいもの
今日、猫に噛まれている人を見ました。 世の中に「噛み猫」というのが存在するらしいことは知っていましたが、「うわ〜ねこだ〜」と近づきなでようとしたその手に絶妙の間合でカプッと、生まれて初めて見ました。ちょっと可笑しかったです。ま、どうでもいいんですけどね。
2004年05月14日 02時51分12秒

クセナキス
エオンタ、メタスタシス、ピソプラクタのディスクを、ある種の懐しさとともに聞いてます。 クセナキスのディスクとしてはアルファでありオメガであるものですが、これが CD 化された折には自分では買わずに(買えよって)友達に借りてカセットテープに録って聞いてました。

大量の音の群れを時には統計的に扱い、しばしばそれを完璧に正確に演奏することが不可能であり、実演の際には音を間引かなければならないにせよ、それで失なわれるものがあまり無い音楽、というと、なんかとても大雑把な音楽のようにも聞こえるかもしれませんが、実際にスコアに向き合って見ると、実はこれは非常に精緻な音楽なのではないかと思えてくるので不思議なものです。 でも、実際に鳴る音響を前にすると、その激しく強靭な響きに、これを作り上げるのに為されたであろう注意深い思考のことなどすっかり忘れてしまうのも事実です。

生活のためにル・コルビュジェの工房で建築の構造計算をやっていました。 そのため音楽の勉強は進まず、絶望的に思えたこともあるそうです。 あるときメシアンに会ったときに、これから何年も対位法の勉強をしなければならないのか、と尋ねたら、
「あなたは数学を知っている。なぜそれを使わないのか。」
とメシアンは答えたといいます。

「数学」という一般の人々に馴染みの薄いもののために、目を眩まされてるということが多いのではないでしょうか。 統計学にせよ集合論にせよ群論にせよ、それぞれの講座の始めの数回の講義の中で出てくるような非常に初歩的で基本的な概念しか実は使われていない、ということは、一般に知られているのでしょうか。

「線的対位法はまさにその複雑さによって自滅した。」 "La crise de la musique serielle" という論文でセリー音楽を攻撃したのが1955年。 61楽器61パート譜の尋常でなく細分化されたオケ曲「メタスタシス」がドナウエッシンゲンで初演されたのが同年1955年。 正確な意味で、あるいは狭い意味で、最初の "stochastic music" である「ピソプラクタ」が完成されたのが1956年。 ペンデレツキの「広島の犠牲への哀歌」が1960年。リゲティの「アトモスフェール」が1961年。

クラスターは、極限操作を行なった後の物、という印象があります。 それは滑らかであり、お行儀が良い。 クセナキスは極限を取る手前にいつもいるのだと思います。 極限へ移行してしまう前の大きな大きな有限の世界は、時として非常に複雑であり、多様であり、そして何よりもリアルです。 「自然は非常に大きな有限である」にも拘わらず、ニュートン以来科学者は均一な無限の中に自然を還元してきました。 クセナキスは多分複雑系を実践してみせた作曲家です。

中学生のころ近くの川で釣ってきた鮒(たち)に、何を思ったか私は「クセナキス」という名前を付けていました。 「クセナキス」は10年以上も我が家で飼われていましたが、いつまでも家に置いとくわけにはいかないだろうということで、ある時、釣ってきた川に放流しました。 長い期間人に飼われていたので自分でエサを取ることが出来るだろうかとか、心無い釣り人に釣られてはいないだろうかとか、時々心配になることがあります。

(なんかこの終わり方は「すたんこ日記」みたい。)
2004年05月11日 02時27分06秒

アーノンクールのバルトーク
一つ前の日記、あわてて書いたので文章いつも以上に変ですね。 「ピソプラクタ」を「ピソクラプタ」と書いてるし…。

それはさておき。

いざ蓋を開けてしまって、私的に納得してしまうと、わざわざ文章にまとめるようなことが面倒になるのですが、一応おとといの日記で言及したのでちょっと感想を書くことにします。 (あ、ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管の「弦チェレ」と「ディヴェルティメント」の話しをしてます。 ここでバルトークの話なんかしてないで古楽のCDレビューを書くことにエネルギーを振り向けた方が理にかなってるという説はあります。)

でも、やっぱりまとめるのが面倒なので箇条書き風に書きます。
  • 案外フツーのバルトークでした、というか以外と違和感ないものだなと思いました。
  • とてもスコアに忠実だと思いました。 なんか、作曲者が書きこんだ記号を全て音にしようという心意気のようなものを感じます。 実際、スタッカート、テヌート、スラー、場合によっては変拍子における連桁の様子までしっかり分節されています。 アーノンクールなので当然アインザッツはしっかり強調されます。
  • ショルティとかドラティとか◯◯ティ系の指揮者(マジャールの血)なら流れとか勢いとかで行ってしまうようなところを、抑えて抑えてくどいぐらい楽譜をなぞるように進んで行ったりします。 (とりわけ「弦チェレ」の第1楽章。まあだいぶゆっくり目のテンポではあるのですが、56小節目のフォルテ三つに到達するのってこんなに大変だったのかと思いました。 でも◯◯ティ系の指揮者(マジャールの血)みたいな演出をしないかというとそんなことはなくて、それぞれの曲の終楽章はアーノンクール流の大胆さが発揮されてると思います。)
  • それで、時々、「あれあれここってこんなんだったっけ」と思ってスコアを見直すと「あ、ほんとだ、これが正しいんだ」という体験、私としてはとても嬉しい体験をします。 これ、全盛期のブーレーズの演奏を聞くときと同じですね。 ブーレーズとアーノンクール、もちろん、出発点もちがえば出来てくる結果も全くちがいますが、各々が求めるものを追求する過程で作品それ自体にゼロから向き合い、スコアを徹底的に読み、時には手稿にまで立ち戻り、既存の演奏の慣習など全て忘れて、一から作りなおす、というところは共通しています。 だから出来てきたものに接するときにはどちらも驚きがあるので私は好きです。 ブーレーズの20世紀音楽は概ね成功しますが、アーノンクールは露骨にはずすこともあるようです。 バルトークに関しては、「最良」ではないかもしれないけども決して悪くない、だいぶ良い(結局どっちやねん!)と思います。
    ブーレーズは透明にする人でアーノンクールはなんというか際立たせる人だと思います。 Boulez clarifies, Harnoncourt enhances. ???(うむ enhance というのはちょっと違うかな?) ブーレーズは作曲者の思い描いたプランや構造を極めて明晰に可視化(可聴化)する人です。 一方アーノンクールは、高いものはより高く、低いものはより低く、とがっているものはより鋭く、たいらなものはよりたいらにする人です。
  • 良く言われるように、バルトークの音楽には二つの大きな柱があります。 一つはハンガリー的なもの、民族的なもの、もう一つは構造的、構築的、組織的、機能的側面です。 この二つは対立するものとして捉えられることも多く、この二つの緊張関係がバルトークの音楽のインテンシティーの源だ、みたいな言いかたをされることもあるようです。 (私はこの二つは必ずしも対立する要素というわけではないと思います。 バルトークにおける民族的、ハンガリー的なものは、作品の深い層にあるもので、背景であり素材であり、音楽のすみずみまで浸透している体臭のようなもの、あるいは無意識のようなものだと思います。 構造的、機能的側面はより「浅い」層で、作品の外形に関わる、作品が形を得るときのその形態そのもの、あるいは形態を支配する法則です。) とにかく、そういう二つの柱があるので、演奏も、そのどちらを強調するかという視点で分類することが出来る??かもしれません。(註:これは方便です。純粋に民族的、ハンガリー的な演奏はひとりよがりであって、ありえないと思います。) アーノンクールの演奏は完全に構造的、機能的観点からの演奏だと思われます。
  • 「弦チェレ」の第1楽章、徹底したノンビブラートでそれぞれのフレーズのアルシスとテーシス、変拍子における強拍、丁寧に書きこまれたテヌートやレガートを強調しながら淡々と進んで行くこのフーガには、多くの演奏に見られるような「おどろおどろしさ」がありません。 演奏法が効を奏していて、大抵もわもわしている中間声部までかなりはっきり聞こえます。 遅めのテンポは脅威と言うか、大きな歯車で動く大時計の鋼鉄の針が、抗しがたい力でじりじりと進んで行くような印象を受けます。 あるいは黄金分割を用いて組織したかもしれないこの曲を、静的に建造物として組み上げて行こうとしているのではないか、とも思えます。
  • 続く第2楽章も、多くの演奏に見られるようなバーバリズム臭は無く、アーノンクール流のコンフィギュレーションが心地良い気がします。 たとえば、普通の演奏なら流してしまうような弦の16分音符のパッセージを、スラーのかかったひとまとまりごとがはっきり見えるようにするところはアーノンクールならではという感じです。
  • 第3楽章も、バルトークの「夜の音楽」を決して過度に歌いに行くことなく、楽譜に定着されたものをアーノンクール流のやりかたで音に変換していきます。 これは独特な効果を生み、この楽章の持つ「神秘のヴェール」を剥がしてみせた、という感じがします。
  • 第4楽章もこの調子で進みますが、後半のある時点で突如キレます。 それは練習記号Fの Molto moderato、 第1楽章の主題がダイアトニックになって回帰する場面です。 ここに至るまで全く演出的な意図が感じられることが無かったのですが、ここでそのタガが外れます。 この弦の波打つようなレガートは、グッと来ます。 (とは言うものの、実はここも molto espressivo をやってみせただけのことかもしれません。)
  • 面倒なので詳細は述べませんが「ディヴェルティメント」も同様の方法論で進んで行きます。 総合的に見ると、「弦チェレ」よりも「ディヴェルティメント」の方がアーノンクール臭が強く、また演奏も優れていると思います。「弦チェレ」はこういう演奏もありですね、という感じですが、(先に録音された)「ディヴェルティメント」の方はもっと強く、一聴に値する演奏だと思います。
    「弦チェレ」「ディヴェルティメント」など、この時期の作品はとりわけ構造的・機能的傾向が強く、例えばバッハが高度な対位法を駆使して書いた器楽曲に比肩しうるものだと思いますが、これらの作品はその構造的・機能的観点から演奏するのが良いのではないか、と思います。 そう思うようになったのは、ヴェーグ四重奏団のバルトークの弦楽四重奏曲の演奏を聞いてからです。 ヴェーグ四重奏団はバルトークの直接指導を受けた団だとのことですが、それがどれほど演奏に反映されているかはわかりませんが、この団の弦楽四重奏曲の4番の演奏を聞いたときは、ちょっと目から鱗が落ちた感じがしました。 というのは、例えばアルバン・ベルクSQなどなら弓を激しくこすりつけて「これがバルトークだぞー」という演奏をしますが、ヴェーグは全くそうでなく、楽譜に書かれた音符を一つ一つ置いていくような演奏をします。 最初一瞬あれとか思うのですが、聞いていくうちに、実はこの方が音楽の本質が見える、というか、バルトークの響きが明瞭に見えるのだという気になってきます。 多くの演奏はノイズが多すぎるのです。 アーノンクールの演奏もヴェーグに通じるものがあります。 ただアーノンクールなので結果はずいぶん違いますが…。
なんか随分書いてしまいました。まだもう少し言いたいことはあるのですが、この辺でやめときます。 CDレビューが始められない理由がこのあたりにありますね。 始めると長大化するというか、フットワークを軽くできないというか、なんかあれもこれも言いたいことが出てきてしまって、収斂させられない…。 まあ、いずれ読む人のことなど考えずにマンロウのことなど書きなぐるかもしれません。
2004年05月09日 03時26分02秒

今日のこと
ちょっと今日のことについて書きます。

今日は某大学の某研究科の図書館に用があって出掛けたのですが、行きのバスの中で、携帯に取っているあるメルマガを読んでてびっくりでした。 そのメルマガには不定期でクラッシックの CD レビューがのることがあるのですが、今日取りあげられていたディスクはバルトークの「弦チェレ」と「ディヴェルティメント」のディスクで、演奏者はだれだろ、と思って画面をスクロールしていったら、ニコラウス・アーノンクールと出るではないですか!一瞬目を疑いましたが、どうもほんとにやったらしい、2000年、2001年のライヴ録音とのことでした。この時点で帰りにタワレコあたりに寄ることが決まったのですが、念のためレビューを読んでみると、(評者がアーノンクールの演奏を聞くのはこれが初めてという強者の方でしたが)まずまずイケてるらしい、ということで、今日はこれを get して帰ることが目標となりました。

それで駅について、ちょっと時間があるので、◯◯堂書店に寄ることにして、とりあえず6階のコミック売り場まで上がったら、なんか意識して揃えてるわけではないけどなんとなく買ってる話しの新刊が3冊も出てました。 それは「彼氏彼女の事情」第18巻、「よつばと」(あずまきよひこ)第2巻、「ウルトラQ」第2巻ですが、見付けてしまうと無視できないわけで、荷物だなあと思いつつ結局全部買ってしまいました。

それで、電車にのって「カレカノ」を読んで読み終えて「よつばと」を読んでたら、途中不覚にも公衆の面前で声をたてて笑うという失態をおかしたすえ、二駅も乗り過ごしてしまうという、さらなる過失をしてしまいました。(時間的に余裕のあるときで良かった。) そんなこんなで目的地に到着、今日のお仕事をしました。

夜になって用が済んだので、朝、決めたとおりタワレコに向かいました。 ホントに久し振りにバルトークの棚に行くと、ほんとにあるじゃないですか、アーノンクールの「弦チェレ」。 ここで真っ直ぐ帰ればよいのですが、来てしまうと見て行きたくなるもので、一回りするうちにいろいろ見付かってほんとにこまります。 結局迷った末3枚のディスクを手にしていました。 それは、くだんのアーノンクール、そしてクセナキスのエオンタ、メタスタシス、ピソクラプタの有名なディスク、最後はイザークの世俗歌曲集です。(後ろの二つはどちらも1200円ぐらいと、安くなってたんです。) 家を出るときはこんなつもりじゃなかったんだけどな、と思いつつその3枚を購入、家路につきました。

大部夜も更けてきましたが、とりあえず気になるので「弦チェレ」だけ聴いて寝ます。 その報告は気が向いたら明日にでも…。
2004年05月07日 01時24分16秒

Alle, psallite cum luya
モンペリエ写本のモテト Alle, psallite cum luya の MIDI を作り直しました。 またまた、ある超有名な演奏を真似ました。 打楽器を入れるとなんかそれだけで聞き映えが変わりますね。 (ちょっと反則な気がいつもします。) いろんなアンソロジーに収録されてる有名曲ですが一応 transcription も作りました。 (MIDI gallery はこちら。)

Huic ut/Huic ut/tenor の最後2小節が間違っているらしいことがわかりました。 とりあえず直しましたが、最後の10小節はほぼ耳コピなので、(公開しててこういうのもなんですが)あまり信用しないでください。 (機会を見付けて確かめにいきます。) もし、お持ち帰りになってプリントアウトまでしてしまった方がいらっしゃったらごめんなさい。
2004年05月05日 20時32分26秒

Amor potest/Ad amorem/tenor
モンペリエ写本のモテト Amor potest/Ad amorem/tenor の transcription を作りました。 これは Carl Parrish: The Notation of Medieval Music にのっています。 この本を読んでるだけだと曲の終わりの部分のリガトゥラのリズムがわからないのですが、Apel の教科書をつきあわせてみると正確に読みとれることが今になってわかりました。 (つまり、今までの MIDI data のリズムは、違っていたということです(汗)。)

そういうわけなので MIDI data も作りなおしました。 お聞きになってわかる通り、ある超有名な演奏を真似ております。 (MIDI gallery はこちらです。)

何だか、GWは楽譜作りと MIDI いじりで終わってしまいそうです。 予定では明日もう一曲 up する気でいたりします。

あ、それから、昨日 up した、Huic/Huic/tenor の transcription ですが、実際に印刷してみたら段がつまりすぎでえらく見づらいですね(^^;)。直さなければいけません。 早速お持ち帰りになった方には申しわけないですが、近いうちに改訂いたします。
2004年05月04日 17時09分41秒

Huic ut/Huic ut/tenor
モンペリエ写本のモテト Huic ut/Huic ut/tenor を作り直しました。 これはもともと Apel の教科書にのっていたものなのですが、ちゃんと全部載せといてくれれば良いものを、最後のページのファクシミリだけ無くて、でも、とても良い曲なのでその途中までを MIDI 化して up していました。 まあ、構造が明確なので欠落部分を補完することは可能だったんですが、勝手にそうするのもどうかと思うので、未完のままにしておきました。

それで、最近 Theatre Of Voices の "Hoquetus" (名盤です)を久しぶりに聴いていたら、なんとこの曲、歌ってるじゃないですか! Huic ut/Huic ut/tenor はとても面白いホケトゥスなので、この CD に入ってそうだと思って昔「見てみた」ことはありましたが、トラック名に無かったので無いのだと思っていました。ところが、このディスクのトラック19が Epiphany の sequenz で、その第4節と第5節がモンペリエ写本で多声化されていて、その第5節がこの曲というわけだったのです。 (多声化している部分以外は聖歌として単旋律で歌われています。)

というわけで正解がわかったので MIDI を最後まで作り、やっぱりとても面白い曲なので transcription を作ることにしました。できたものはこちらからです。

最近だいぶ m-tx/pmx/musixtex の扱いにも慣れてきたので楽譜作りもはやくできるようになってきました。 現在、Baude Cordier の Tout par compas suy compose を作っていますが、歌詞をどうのせたらいいかでちょっと困っています。
2004年05月03日 15時57分01秒

O virgo splendens
みなさん御無沙汰しております。 「モンセラートの朱い本」の一曲目の O virgo splendens の MIDI data と Transcription と期間限定で mp3 data を up しました。 超久し振りの新曲です。 (かなりさぼっていました。 なんというか新しい音源をいじくるのにもたついていたという感じでしょうか。まあこれは言い訳ですが…。定期的に覗いて下さっている「常連さん」には、更新にかなりムラがあって申しわけないです。) というわけで MIDI gallery はこちらです。

今回はかなり細部を気にして作りました。 一音一音気を使って打ちこみました。 (音源がちゃんとしてる分、いい加減なことができない…。) しかしながら、労力に見合った結果が出たかというと、残念ながらそうではないです。 (まあ、物事そういうものでしょうか。) で、以下その言い訳です。

一声のバージョン、あるいは三声のバージョンの一声の部分は当初作る気はありませんでした。そうなのですが、あるときメールを頂いたフランス人の方からのリクエストのような形で作ってみました。 (彼は「 O virgo splendens の only one voice の MIDI file を楽しみにしている」と書いてきました。)

はっきり言って単旋律の曲の MIDI 作りは逃げ場が無いので難度が高いです。 テンポとヴェロシティをいじくりまわし、うんざりするぐらい調整しました。 困るのは一旦こんなもんかなと思っても、翌日聞き直してみるとまた直したくなることです。本当に際限が無いです。 しかも結果的に音源を選ぶ MIDI data になってしまったようで、SC88 系でないときびしいかもしれません。 (仕方ないので mp3 data を作りました。う〜ん、いまひとつきれいじゃないですね。 男声の音域の Choir Aahs で全体にもったりしてるし…。)

3声のカノンの部分も大部苦戦しました。 なにしろリズム的に非常に単調な曲なので、ほっとくと混沌としたミニマルになってしまいます。
いや、いま「リズム的に単調」と言いましたが、それは正確ではありません。 楽譜を見て頂ければわかるように、八分音符がみっつづつのかたまりで並んでいるわけではありません。 ヘミオラを成したり、さらに自由なグルーピングを形成したりと、カノンという枠を取り払って見てみると単旋聖歌そのものの精妙な構造をしていることがわかります。 カノンとして縦の線を合わせつつ、その精妙なリズム構造をいかに聞かせるかが難しいです。 (まあ、リズムのかたまりの始めの音に強勢を置くのが結局いちばん効果的だったみたいですが。)

結果はお聞きになった通りで、「混沌としたミニマル」にちゃんとなってます(泣)。 (音色を Choir Aahs にしたから余計ですね。気が向いたらもっと線のはっきりした楽器の版を作るかもしれません。) でも、独特のトランス効果はあるのでまあそれも良いかと…。

あ、そうそう、少し前ですが、ちょっとした携帯サイトを作りました。ここです。あまり役に立つものはないかもしれませんが覗いて見て下さい。

それに関連して、これまたちょっとした(怪)文書をここにひっそり置いときます。(zip archive です。) これを良く見るとある地点に到達できるかもしれません。ですが、その地点に到達したからといって何がどうということにはなりませんが…。
2004年04月27日 01時34分51秒

電子古楽始めました
みなさん御無沙汰しております。ここ一月ほど内向きの生活を送っておりました。 (家のパソコンを HDD ビデオレコーダ化する、なんてことにエネルギーを注いでおりました。)

それから SoundBlaster Audigy 2 を手に入れました。 高々 Live! の改良版だろうと思っていたら全然そんなことなくて、格段に音がいいのでちょっとびっくりでした。(S/N比106dBは伊達ではないです。今、店頭に並んでいる Audigy 2 ZS は 108dB まで上がってるようです。) Live! では Capture 音声が汚くて、ちょっと録音など出来るものではなかったのですが、Audigy ではこれも綺麗になってて良いです。 それで、昔 soundfont を組み合わせて作った Descendit de celis を録音してみたらなかなかいい感じだったので mp3 化して公開することにしました。→ Descendit de celis [mp3 version].

音色は基本的に Chorus と Strings と Tubular-bell ですがちょっとそこらの音源モジュールには入ってないようなものを使っています。 こういう風に音色を作るところからやった方が単に MIDI data を作るより満足感が得られたりします。

大体 GM/GS/XG 音源は古楽を演奏するために作られてはいないわけで、MIDI data を作るときにはイメージになるたけ近い音を探して使うことになるわけです。 例えばリュートの音が欲しいときに Nylon Guitar で代用するとか…。

一方、では古楽器の音色データがあれば良いか?探して見るとなんと古楽器の soundfont が売られてたりしますが、(これ、かなりそそられたりしますが、)ここの Music Demo を聴いたり、サンプルの soundfont を拾ってきてそれで作ってみたりしても、それほど面白くなかったりします。 古楽器の音色を使っているのだから古楽の響きがするわけですが、なんというかそれだけなんですよね。 結局イージーなものにしかならない感じがします。

まうかめ堂の結論といたしましては、DTM で古楽の響きをエミュレートすることに腐心するよりは、新しい独自の響きを目指した方が実りが多いのではないかと思っています。

先程の Descendit de celis は、 Apel の記譜法の教科書に載っていたものの transcription を作ったときに、響きを確認するために作ったのがおおもとで、当初はいつもどおり木管楽器を使っていました。 それは、まうかめ堂に置いてある多くの MIDI data と同様、ぶっちゃけあまり面白くないものでした。 また、当時、色々なサイトから soundfont を拾ってきたりしてたのですが、あるとき、これでオルガヌム作ったら面白いんじゃないのという音源に出会います。 そうして出来たのが mp3 版として up した Descendit de celis で、今聞くとそれほどでもないけど、作ったときはなかなか面白いものが出来たと思いました。 (というか、DTM のようなことをやっていて、初めて音楽的に意味のあるものが出来た感じがしました。今聞くとそんな大層なものではないですが…。 また、この曲の MIDI 版は mp3 版として up したものを目指して何度も改訂して出来たものです。)

そういうわけでこういう方向性が実はまうかめ堂で一番やりたかったことかもしれません。 昔懐しのアナログシンセサイザーの音で Ars subtilior の曲を、とか面白いのではないかと思っています。 geocities では容量の制約であまり mp3 data は置けませんが、また ADSL が普及したとはいえメガバイトのオーダーのデータはやはり重いですが、まあ少しだけ作っていきたいなと思います。

というわけで、electric medieval music 電子古楽始めました。
2004年03月15日 02時01分06秒


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