ここではイギリスにおける、単旋律聖歌に一音符対一音符の3声の和声を即興的に付けて歌うポリフォニー唱法であるファバードン faburden について説明したいと思います。 この唱法は1430年頃かそれ以前から、宗教改革の頃まで使われた方法で、これを用いると単旋律から自動的に3声体が得られ、未熟な音楽家でも十分な豊かさで単旋律聖歌に和声付けすることが可能になります。
以下の説明は全て New Grove によります。
●How to 'faburden'
さて、単刀直入に、いかにして単旋律聖歌から3声体のポリフォニーを生成するのか、まずその手順を書きます。
- まず単旋律聖歌自体をミーン声部(中間声部)に置きます。
- トレブル声部(上声部)はミーン声部の完全4度上を歌います。
- ここからがちょっとややこしい。最低声部(ファバードン)は、ミーン声部から「サイト sight 声部」なるものを作り、そのサイト声部の5度下を歌うことになります。
- 「サイト声部」の作りかたですが、ミーン声部と同音で始め、次の音からミーン声部の3度上を取り、それを続け、詞の各単語の末尾でミーン声部と同音にもどす、というやり方をします。
- 「単語の末尾でミーン声部と同音にもどす」規則には例外があります。ミーン声部の音がEまたはBのときは3度上のままにしておきます。
- したがって最低声部(ファバードン)はミーン声部の5度下から始まり、続いて3度下を進み、単語の末尾で再び5度下に戻る(または3度下のまま)、ということになります。
結果出来上がる音響は、現代の表記で 8-5 和音で始まり、その後 6-3 和音が続き、語の終わりで 8-5 和音にもどる(または 6-3 和音のまま)、というものになります。
「何故、サイト声部なるものを作りそれの5度下を歌うという面倒な手続きをするのか?」「何故、単語の末尾でミーン声部の音がEまたはBのときは3度上のままにしておくのか?」は実例を見ると理解できます。
というわけで実例を挙げます。
次はソールズベリー聖歌の聖体拝領唱の Vos qui secuti estis me (「私に従って来たあなたがたは」)という曲を上の規則によって3声にしたものです。(これも New Grove 。楽譜をクリックすると別窓で楽譜が開きます。)
※Sound files: [mp3],
[MIDI]
※こういう演奏で本当に良いのかはよくわかりません。
上の楽譜で、下段の小さな音符で示された声部が「サイト声部」で、いわば仮想的な声部であり実際に歌われることはありません。 また、ミーン声部と最低声部(ファバードン)が5度をなすところには '*' を付けてあります。 それ以外は3度ですが、単語の末尾にもかかわらず3度になってるところには '○' を付けています。
さて、ここで行われていることを少し振り返ってみましょう。
まずトレブル声部に着目します。 この声部はもともとの聖歌が置かれたミーン声部の完全4度上を歌っています。別の言い方をするなら5度下のオクターブ上を歌うことになります。 すなわち、旋法としては、自然なヘクサコードは柔らかいヘクサコードに化け、堅いヘクサコードは自然なヘクサコードに化けます。この言いかたがわかりにくければ、現代の言葉で「下属調に移調されてる」と言ってもよいでしょう。 そのためこの声部には B-fa すなわちBのフラットがしばしばあらわれます。
さて次にサイト声部ですが、トレブル声部のB♭のあおりを受けてGの3度上を取るときにB♭を取ることになります。 したがって最低声部(ファバードン)にはE♭までもが現われることになります。 結果として全体の和声はフラット方向に大きく傾いた柔和なものになります。 これはきわめてイングランド風であると言えるかもしれません。
ミーン声部のEナチュラルとファバードン声部のE♭の間にはしばしば対斜が生じますが、これはダンスタブルやレオネル・パワーなどにも見かける響きです。
さて前述の疑問に答えることを試みてみましょう。
「何故、サイト声部なるものを作りそれの5度下を歌うという面倒な手続きをするのか?」
もし仮に、単にミーン声部の5度あるいは3度下を歌うという規則にしたならば、BやEにフラットが付くことの筋の通った説明が困難になると思われます。
フラットは、5度下を取るという操作により自然に生じるものだからです。
また、そもそもBやEにフラットが付かないとすると、主にトレブル声部との関係で奇妙な響きになります。
今、だいぶ理屈っぽい説明をしましたが、「サイト声部を作りそれの5度下を歌う」ということは実践においてそれほど不自然なことではないようです。 単旋律聖歌の楽譜が与えられたときに最低声部(ファバードン)を歌うにはどうすれば良いかを想像してみましょう。
まずすべきなのはその楽譜をF管の楽譜とみなすことでしょう。 つまり実音より5度高く書かれた楽譜と思うことです。 さらに別の言いかたをするなら、楽譜に書かれた音の5度下から歌いはじめ、後は楽譜にしたがって相対的に音程を取っていけば良いということです。 しかし、楽譜そのまま歌ってしまっては5度の平行になってしまうので、上のルールに従って、必要に応じて3度上を歌うようにすれば自然とファバードン声部が歌えることになります。
しかし「必要に応じて3度上を歌う」というのは実際すこし難しいことかもしれません。 それは当時の人もそうだったようで、当時の聖歌の楽譜にはしばしばサイト声部の手書きの書き込みがされているようです。 このような書き込みさえあれば、ファバードン声部を歌うことは全く難しくないでしょう。
「何故、単語の末尾でミーン声部の音がEまたはBのときは3度上のままにしておくのか?」
上の曲で、二段目の"judicantes"のところに注目してください。
ミーン声部は G-G-G-E と動きます。この最後のEに対してサイト声部を3度上Gでなく同音のEととったとすると、このときのファバードン声部は Eb-Eb-Eb-A となり、減5度の下降という許容しがたい進行が生ずることになります。
この曲には現われませんが、Bについても同様です。
以上がファバードンの説明でした。
さて、このことを念頭に置いて、「セルデン写本」のキャロル Alleluya: A nywe werke を見て頂くならば、この曲の3声の部分のポリフォニーの枠組みが、まさにこのファバードンによって組み立てられていることがわかると思います。
楽譜と音声ファイル。
- Transcription: [PDF file], [PS file]
- Sound files: [mp3], [MIDI]
尚この部分では、(あるいは別の部分でも)BとEの禁則が守られていないことに注意しても良いかもしれません。 旋法上の、あるいは調的な動きに注意すると、禁則を守る必要が無い、むしろ適用しない方が良好であることが理解できるのではないかと思います。 (この曲に調号は付されていませんが、潜在的にFには#が付く「ト調」の曲です。 したがってトレブル声部に B-fa は現われません。)
さて以下は補足の説明です。
●faburden という語について
faburden という語はもともと、この唱法における最低声部を指す言葉だったそうです。 それが後になって(1462年までにと書かれていますが)、唱法それ自体、あるいは出来あがった3声体を示す用語になったとのことです。
さらに語源を遡るなら、「セルデン写本」のページにも少し書きましたが、14世紀の始めごろから「最低声部」を表す言葉として burdon, bordoun, burdon, burdowne がありました。 faburden はこれに fa がくっついたものと想像できますが、ではこの fa は何でしょうか?
これはジラルドゥス・カンブレンシスという人の言ですが、上記のソールズベリー聖歌の例でわかるように、しばしばファバードン歌手は「B-fa の快感」を漂うことになります。
また、ファバードン歌手はB♭を歌うのみならず、E♭を歌うために、目の前に置かれた聖歌楽譜に書かれていないB♭を加えなければなりません。
このようなことから、「B-fa の使用を特徴とする最低声部」ということで、faburden という語が生まれたと考えることができます。
●faburden vs fauxbourdon
主に15世紀のフランスにおいて、教会音楽で用いられた即興的演奏法、あるいは楽譜上でこの奏法を指示する用語としてフォブルドン fauxbourdon というものがあります。 faburden よりもこちらの方が有名で、デュファイやバンショワなどブルゴーニュ出身の作曲家によって多く用いられたものです。
どのような演奏法だったかというと、おおむね、ディスカントゥス声部とテノール声部の2声が記された曲において、コントラテノール声部としてディスカントゥス声部の4度下を歌いなさい、というもののようです。 ある意味ファバードンとは逆です。
faburden と fauxbourdon 名前も手法の中身も似通っていますが、その関連性を具体的に説明することは未だ出来ていないそうです。 Besseler は27年ごろデュファイがフォブルドンを考案したことを主張しているようですが、これが30年ごろまでに聖歌を和声付きで朗唱する図式的な方法にまで変質したと考えるのは無理があるようです。 むしろファバードンがフォブルドンに先立って存在したと考える方が自然のようです。 それを例えばデュファイとバンショワは別々に解釈し個別に取り入れたために、二者のフォブルドンは性質上異なるのだ、とも考えられるそうです。 (この辺、非常に面白そうなのですが、私も全く調べられてません。)
また、ファバードンとフォブルドンはともに宗教的な場面で用いられたものですが、それを歌った人はだいぶ違います。 フォブルドンは即興で歌われたにせよしっかりと計量記譜法で記された、職業的音楽家のための「高級な」ポリフォニー音楽です。 一方、ファバードンは聖歌に機械的に和声を付ける heuristic で ad hoc な方法であって、必ずしも計量譜を読めない(技巧的ポリフォニー音楽を歌うことのできない)修道士や聖歌隊員により歌われたものです。
●"The Sight of Faburdon"
ファバードンについて具体的に記された当時の文献が TME(Texts on Music in English) で見られます。
それは "The Sight of Faburdon" という文書で、British Library, Lansdowne 763, ff. 113v-116v の作者不詳の "A little treatise on discant" という論文の最後の部分にあたります。1430年から1450年頃写されたもので、 TME では Fifteenth-Century Sources のところから入ると "A little treatise on discant" の四つぐらいの校訂版に行きあたります。これは「ディスカントゥスのサイト」、「カウンターのサイト」など様々な "sight" について書かれたものですが、それほど長いものではありません。 (ちなみに当然これは中英語で書かれているものなので "sight" を「サイト」とは発音しませんね。)
"The Sight of Faburdon" も20行ほどの文章です。 つらつらと読もうとしてみると、このページの始めの方に書いたファバードンの具体的手順にあたるものがほぼ書かれていることがわかります。
トレブル声部をミーン声部の4度上に取りなさい、ということは明示的には書かれていません。「サイトが聖歌の3度上になるとき、ファバードン声部はトレブルの6度下に、サイトが聖歌と同音になるとき、ファバードン声部はトレブルのオクターブ下になる」、のように間接的に書かれています。 この文書の後ろの方には、聖歌が低い gravis の音域に入るとき、ファバードン声部は scale out してしまいますが、そのときの処方が書いてあるようです。が、私には正確に解読することができません。
この論文の上の方のいろいろな "sight" について記述も、興味あるのですが解読できません。 誰か読んで下さい。