教会旋法について4

●テノールと詩篇唱定式

まず、前のページの冒頭に載せた譜例をもう一度引きます。

正格旋法変格旋法
1.ドリア2.ヒポドリア
3.フリギア4.ヒポフリギア
5.リディア6.ヒポリディア
7.ミクソリディア8.ヒポミクソリディア

前にも言いましたが、この譜例で、各旋法のフィナリスは二本の縦棒で挟まれた白符で示しています。 各音階にフィナリスの他にもうひとつ白符がありますが、これはテノール tenor または朗唱音と呼ばれる音です。 ここでは、このテノールについて説明します。

※このページの参考文献として、ニューグローヴの「旋法」の項目の他、グラウト/パリスカ著「新西洋音楽史」上巻第2章です。

さて、教会旋法は聖歌についてのものですが、聖歌と言ってもいろいろあります。 様々な種類の聖歌の中でおそらく最も単純なものは、祈祷文や聖書の朗読のための朗唱定式と呼ばれる聖歌でしょう。 今、朗唱定式を聖歌と言いましたが、これは歌と言ってよいものか、半分ぐらいは語りのようなもので、朗唱音あるいはテノールと呼ばれる一定の音(通常 a または c)に乗せて詞を急速に歌い上げる、というか読み上げる聖歌です。 時として言葉の強調のために近接した隣の音に上がったり下がったりしますが、基本的に一定の音程で歌います。 但し始めにはイニツィウム initium と呼ばれる2、3音の導入部が付くこともあり、また行や段落の終わりでは短かい旋律の終止形がつきます。

この朗唱定式と形の上では似ているけど、少し特殊な用いられかたをするものとして詩篇唱定式があります。 これはその名の表す通り、詩篇の朗唱のための聖歌ですが、聖務日課での詩篇唱では、その前後に暦の日に応じて決められたアンティフォナ(交唱) Antiphona が歌われました。 つまりアンティフォナをリフレインとして、アンティフォナ-詩篇唱-アンティフォナという風に続けて歌われました。

※これと同様のリフレイン-詩篇唱-リフレインという形式を持つものとして、ミサの入祭唱 Introitus や 拝領唱 Communio があります。 またミサにもアンティフォナがあります。

詩篇唱の旋律的な構成は、詩篇の第一詩句に用いられるイニツィウム initium で始まり、テノールの上で詞を歌いあげ、そして中間終止にはメディアツィオ mediatio, 全体の終止にはテルミナツィオ terminatio という旋律的な終止形が付くという形をしています。 (下の例参照。)

一方、詩篇唱に比べて、アンティフォナは普通に旋律的な聖歌で、8旋法のどれかに分類される旋律です。(下の例参照。) アンティフォナ-詩篇唱-アンティフォナと歌う際に、詩篇唱は、アンティフォナとのつながりがちぐはぐにならないようにしなくてはいけません。

そこで、それぞれのアンティフォナの旋律に応じて歌われる詩篇唱定式が決まっていたのですが、ここに教会旋法の理論が使われました。 すなわち、アンティフォナに対して用いられる詩篇唱定式は、アンティフォナの属する旋法によって決まっていたのです。 どのように決まるかというと、アンティフォナの旋法に対応する朗唱音(上の譜例参照)をテノールとして持つような詩篇唱定式が用いられたのです。 逆に言えば、上の譜例にある各旋法のテノールとは、その旋法のアンティフォナとセットで歌われる詩篇唱定式のテノールだということになります。

ここで、一つの旋法に対し、対応する詩篇唱定式がただ一通りだったというわけではありません。 8つの旋法それぞれについて対応する朗唱音をテノールとして持つ詩篇唱定式で、テルミナツィオの異なるものが何パターンかあって、その中からアンティフォナの旋律と合うもの、特に詩篇唱からアンティフォナに戻るときにスムーズに流れるような詩篇唱定式が用いられます。

詩篇唱からアンティフォナに戻るときにうまくつながるためには、詩篇唱のテルミナツィオ=終止とアンティフォナの冒頭がうまく合っていなければなりません。 一方アンティフォナの8つの旋法への分類はアンティフォナのフィナリス=終止音とアンビトゥス(音域)によるものだったので、アンティフォナの冒頭部分は分類に関与していませんでした。 そこで、それぞれのアンティフォナは8つの旋法へ分類された後、そのアンティフォナの冒頭に合う詩篇唱の終止形に応じて、さらに下位のグループへと分類されました。 この下位区分はディフェレンツィア differentia などと呼ばれました。

さらに言うと、アンティフォナを8旋法とその下位区分であるディフェレンツィアによって分類し配列した書物、トナリウム tonarium が、グレオリオ聖歌の歴史の比較的早い段階から編まれました。 このトナリウムは聖職者にとって必携の聖歌便覧でした。 なぜなら、それぞれのアンティフォナにそれに適した詩篇唱定式を組み合わせるということを声のみで口伝でやるというのは至難の技だったからです。 まさにここで教会旋法の理論が実際上の目的のために役立てられたわけです。

※各旋法に対応する詩篇唱定式のパターンの数は多くとも10程度です。 一方アンティフォナは日替わりなので数がずっと多く、今日のアンティフォナ集(アンティフォナーレ)には約1250曲収められているそうです。 また、8つの旋法に属さない例外的な詩篇唱定式があって、それはトヌス・ペレグリーヌス tonus peregrinus (圏外旋法)と呼ばれています。 8つの旋法の詩篇唱定式はそれぞれ一つのテノール=朗唱音を持つわけですが、トヌス・ペレグリーヌスは二つの朗唱音を持ちます。

※※トナリウムの最初期のものは8世紀後半に現れるようです。 トナリウムも長い歴史を持ち16世紀まで転写されつづけたそうですが、後の方の時代になると実践的な目的のための便覧というよりも、旋法理論の教育のための手引書という色彩が強くなってくるようです。

さて、一つ実例を挙げましょう。

聖三位一体の祝日の晩課 第1アンティフォナ
詩篇109番
[楽譜の画像]

上に挙げたのは聖三位一体の祝日の晩課の第1アンティフォナ+詩篇109番です。 このアンティフォナは第一旋法(正格プロトゥス)の聖歌です。 なので詩篇唱のテノールは a です。 詩篇は全部で8節あるのですが楽譜では4〜8節は省略しました。

※Tenor のところの角音符は、詞のあるかぎり同じ音(a)で繰り返すという意味で書いています。 また Mediatio の小さな音符は詞の音節の数によって歌ったり歌わなかったりします。

詩篇の譜の9.10.に書かれている Groria Patri... は、小栄唱 Doxologia と呼ばれる定番の詞で、詩篇の詞を歌った後に同じ旋律で必ず歌われるものです。

アンティフォナの譜の最後には Euouae という呪文みたいな言葉が付いた旋律が書かれていますが、この言葉は、小栄唱の最後の6音節 saeculorum Amen から saEcUlOrUm AmEn と母音だけを抜きだしたものです。 この Euouae の旋律は詩篇唱の後半の Tenor+Terminatio の旋律を示しています。 つまりこのアンティフォナは第一旋法ですが、その下位区分であるディフェレンツィアが何であるかを示すのがこの Euouae の旋律で、これを見るとどの定式を使えばいいのかわかるというからくりになっています。

さて、最後に各旋法のテノールの位置について一言説明しておきたいと思います。 それぞれの旋法でテノールがどこに置かれるかを知るには次の法則を覚えておくとよいです。 (1)正格旋法ではテノールはフィナリスの五度上、(2)変格旋法でのテノールは対応する正格旋法のテノールの三度下、ただし(3)テノールがbに来てしまうような場合はcに移される。(グラウト/パリスカより。)

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