教会旋法について3

●オクターブ種と旋法のギリシャ語名について

これまで教会旋法についてけっこうな量の文章を書き連ねてきましたが、これを読まれている方の中には音楽史の本や音楽辞典などに必ずと言ってよいほど出てくる次のような音階が登場しないことを不思議に思われた方もいるかもしれません。

正格旋法変格旋法
1.ドリア2.ヒポドリア
3.フリギア4.ヒポフリギア
5.リディア6.ヒポリディア
7.ミクソリディア8.ヒポミクソリディア

※上の譜例で、各旋法のフィナリスは二本の縦棒で挟まれた白符で示しています。 各音階にフィナリスの他にもうひとつ白符がありますが、これはテノール tenor または朗唱音と呼ばれる音です。 このテノールについては次のページで説明します。

上のような音階をいきなりお見せしたところで、教会旋法について何かがわかるというわけでは無いと思うので今まで出してこなかったのですが、この項では、それぞれの旋法に伴う上のような音階について、特にその起源について少し説明したいと思います。 起源は古代ギリシャに遡ります。

古代ギリシャ(ヘレニズム)の音楽理論に「オクターヴ種の分類」というのがあります。 ここでヘレニズムの理論に深入りすると大変なので、粗い説明で済ませたいと思いますが、それは「全音階の中のオクターヴに見られる音程関係はどんな風になりますか、その音程関係の種類を分類しましょう」という理論です。

例えば、上の第二旋法の音階のように、下のAから始まるABCDEFGaというオクターヴの音階の音程関係は、全音をT、半音をSで表すことにすると下からT-S-T-T-S-T-Tとなります。

一方、第三旋法の音階のようなEからオクターヴ上のeまでの音階ではS-T-T-T-S-T-Tとなります。

では、このようなTとSの音程関係の組合せはどれだけあるかというと、7種類あることがわかります。 そして、その7種類は、A,B,C,D,E,F,G 七つの音それぞれから始まるオクターヴの音階として実現することができます。

古代ギリシャの著述家クレオネイデース(生没年不明、紀元後2〜4世紀)はこれらのオクターヴ種たちにドーリオスとかプリュギオスとかの種族の名前を与えました。

※7種の名前は、ドーリオス、プリュギオス、リューディオス、ミクソリューディオス、ヒュポドーリオス、ヒュポプリュギオス、ヒュポリューディオスの7つです。 ちなみにヒュポ hypo は under の意味です。

この古代ギリシャの7つのオクターヴ種はボエティウスの『音楽教程』でも論じられているのですが、後の中世の理論家により教会旋法と結びつけられ、その名称が教会旋法に流用されたのがドリアとかフリギアとかのギリシャ語の旋法名だということになります。

実は、ここで一つ少し厄介な事態が生じます。 古代ギリシャの7つのオクターヴ種を上の譜例のように教会旋法と結びつける際に、中世の理論家はボエティウスを誤読してしまったらしく、それぞれの音階に古代ギリシャとはずれた名前の付け方をしてしまったのです。 なので例えば上の譜例のドリア旋法の音階は古代ギリシャのドーリオスの音階とは全く別の音階ということになってしまいました。

※ちなみに古代ギリシャのドーリオスの音階は上のeから下のEに下がってくる下行音階です。

さて、上でオクターヴ種は7つあると言いました。 一方教会旋法は8つです。 「あれあれ教会旋法の方が一つ多いけど、どうなっているの?」と思って再び上の譜例を見ていただきますと、ドリア(第一旋法)とヒポミクソリディア(第八旋法)は音階自体は全く同じであることがわかります。

※実際、古代ギリシャの旋法理論にはヒポミクソリディアに相当するヒュポミクソリューディオスという名のオクターヴ種は存在しません。

では何が異なるのかというと、フィナリスの位置が違います。 ドリア(第一旋法)では音階の最低音のDがフィナリスですが、ヒポミクソリディア(第八旋法)ではオクターヴを下から完全四度と完全五度に分割するGがフィナリスになります。

他の旋法の音階にも同様の関係が見られます。 すなわち、正格の旋法ではフィナリスが音階の最低音に来ていて、変格ではフィナリスはオクターヴを下から完全四度と完全五度に分割する点にあります。

もともとオクターヴ種というのは上で説明したようにオクターヴ内の音程関係の分類であって、フィナリスがどうこうという旋法的な性質とは無関係なものでした。 これを教会旋法の理論に輸入する際に、単なるオクターヴ種というだけでなくフィナリスの位置とセットで考えることにより、7種のオクターヴ種から教会旋法の8つのフィナリス付きの音階が得られたということになります。

しかもこれらの音階、何度も言うようにフィナリスの位置が正格では一番下に、変格では音階の真ん中にあって、各旋法のアンビトゥスを、十分にとは言えないまでも近似的に、あるいは象徴的に示している点も注目しておいて良いでしょう。

さて、この旋法のギリシャ名ですが、実は中世の理論書や聖歌集などの典礼書にはほとんど用いられていませんでした。 ほとんどの場合、正格プロトゥス等の呼び名か、第一旋法等の番号による呼び名を使っています。

※現代の方がはるかに旋法のギリシャ名を用いています。

ではこのギリシャ名は一体どこから出てきたのかということになりますが、7つのオクターヴ種を8つの教会旋法に結び付けている文献で、われわれの知る最古の資料は『音楽論別記 Alia musica』という著者不詳の9世紀の論文です。 この文書はもとから一つの論文だったというわけではなく、著者不詳の3つの文書がつなぎ合わされたものらしいです。

※題名の Alia というラテン語は、普通は「もう一つの」という意味で、そのような意味に取った日本語訳を採用していますが、「編集」の意味の古代ギリシャ語 halia の字訳であるという説もあるそうです。

この文書の面白いところは、7つのオクターヴ種を8つの教会旋法に適合させるという難題に対する悪戦苦闘の様子の一端が見てとれるところです。

オクターヴ種と教会旋法を結びつける最初の記述は二番目の文書の中に現れます。 そこでは A,B,C,D,E,F,G それぞれの音の上の音階に、上の譜例のようにA→2.ヒポドリア、B→4.ヒポフリギア、C→6.ヒポリディア、D→1.ドリア、E→3.フリギア、F→5.リディア、G→7.ミクソリディアというふうに7つの旋法を対応させています。

ここで7つのオクターヴ種の全てを使いきってしまい第八旋法が余ってしまいましたが、二番目の文書の著者は、第八旋法(ヒポミクソリディア)は第七旋法(ミクソリディア)の附属物で、音階としては第二旋法のA-aの音階の一オクターヴ上の音階である a-aa の音階が対応するというちょっと苦しい説明をします。

※ここではこの a-aa の音階を、(これはオクターヴ種としては新しいものではないのですが、)ミクソリディアを超えていることからヒペルミクソリディアと呼んでいます。 ギリシャ語のヒペル(ヒュペル) hyper は英語でいうと(同じ綴りの)ハイパー hyper になりますね。

この第八旋法の問題を解決したのは、三番目の著者でした。 そこでどういう議論が展開されたかについては、あまりにも話が細かくなるのでニューグローヴの「旋法」の項目の「オクターヴ種とヘレニズムの名称」というセクションを見ていただきたいと思いますが、結論としては概ね上で述べたようです。 すなわち、正格の音階では一番下の音にフィナリスを置き、変格の音階では下からオクターヴを完全4度と完全5度にわける音にフィナリスを置き、D-d の音階についてだけはフィナリスが最低音にくるもの(第一旋法)と中間に来るもの(第八旋法)というように二通りに使うというものでした。

このように、第八旋法の問題は、D-d のオクターヴ種をフィナリスの位置を変えて二通りに使うという処方箋で対処したわけですが、一つのオクターヴ種をフィナリスの位置で二通りにわけるということ自体は、D-d 以外の他のオクターヴ種についても考えることができます。 教会旋法では既に旋法の数は8つということが確立していたので D-d 以外の他のオクターヴ種を二通りに使うなどという余計なことを考える必要はなかったわけですが、かなり後の時代に、他のオクターヴ種も二通りに使うというやり方で、旋法の数を増やした人が現れました。

16世紀のスイスの理論家グラレアーヌス(1488-1563)です。 彼は理論書『ドデカコルドン(12弦) Dodekachordon』(1547年)において、8つの旋法にさらに4つを加えた、12旋法制を提唱しました。

グラレアーヌスの理論は完全に中世の教会旋法の話から逸脱しますが、ついでなので簡単にまとめておきます。

教会旋法では正規のフィナリスは D,E,F,G の4つのみということになりますが、グラレアーヌスは A と C も D,E,F,G とは独立な正規なフィナリスと見做し、A をフィナリスとする正格・変格旋法を第9、第10旋法と呼び、C をフィナリスとする正格・変格旋法を第11、第12旋法と呼びました。

そして、これらの第9から第12旋法は第二、三、六、七旋法の音階のフィナリスの位置を変えたものとして得られます。

第9旋法の音階は A-a で、ギリシャ名はエオリア旋法とされました。 また、第10旋法の音階は E-e でギリシャ名はヒポエオリア旋法、第11旋法の音階は C-c でギリシャ名はイオニア旋法、第12旋法の音階は G-g でギリシャ名はヒポイオニア旋法とされました。

グラレアーヌスも B だけはフィナリスと見做しませんでした。 B は全音階内に完全5度上の音も完全4度下の音も持たないからです。

※少し補足します。 前のページで、11世紀の旋法理論では A と C はそれぞれ D と F と「同種の」フィナリスと見做され、アッフィナリスと呼ばれていたということを説明しました。 そして A は D と同じくプロトゥス旋法のフィナリスと、また、C は F と同じくトリトゥス旋法のフィナリスと見做されるのでした。 さて、例えば D と A が同じ旋法のフィナリスと見做されるのは CDEFGa という6度の並びと ΓABCDE という6度の並びが同じ音程関係を持っているからでした。 (このようなアフィニタスで共通する6度の音程関係のことを音楽学者 Dolores Pesce は「旋法の核 modal nucleus」と呼んでいます。) しかしながら全音階の中で C から始まる音の並びと G から始まる音の並びで音程関係が同じになるようにできるのは6度までが限度で、それより広げることはできません。 実は、グラレアーヌスはこのことを問題にしました。

このページで説明した9世紀の『音楽論別記 Alia musica』以来、教会旋法がオクターヴ種や、もっと小さな単位の4度種、5度種等の音度種と関連付けて論じられることはままあったのですが、16世紀以前にはこのような音度種が旋法の理解に最も基本的なものとは考えられていませんでした。 あくまで旋法の理解の基本は前のページまでに説明したようなものであり、もっと言うと旋法にとって本質的なのは上で言及した6度の「旋法の核 modal nucleus」だと考えられていたようです。

一方グラレアーヌスをはじめとする16世紀の理論家たちは、むしろ、このページで説明したような(フィナリス付きの)オクターヴ種こそが旋法にとって最も本質的なものであるという理解に傾いていました。 すると D で始まるオクターヴ DEFGabcd と A で始まるオクターヴ ABCDEFGa は異なるオクターヴ種なので、D と A が同じ旋法のフィナリスとなることは彼らにとっては受け入れがたいことだったのです。 そしてグラレアーヌスは A や C を D や F とは独立なフィナリスと見做し、新たに4つの旋法を導入したのです。 この辺りのことはまた「教会旋法について5」で少し説明をします。

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