Diary 2006. 8
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8月30日 (水)  映画のこと

あすは、仕事のあと、まうかめ堂さんと映画館でインド映画を観賞する予定になっています。

思い起こせば、まうかめ堂さんと初めて見た映画はインド映画でした。といいますより、その後もその後も、まうかめ堂さんと見た映画はインド映画ばかりでした。

なんといいますか、お嬢さんは、哲学や思想を表わした作品より、大娯楽に徹している作品が好きなのかもしれません。

映画の感想などは、おそらく、どちらかがそのうち書くことになると思われます。

写真は、お嬢さんの故郷の街の、いわゆる「旧市街」にある洋品店の装飾看板です。このお店では、小中学校の指定運動服や運動靴などを求めていました。

なんといいますか、ニュー・シネマ・パラダイスのような、せつなくひなびた趣きがあるように思われます。

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8月29日 (火)  茄子の日のこと

郷里に滞在しているあいだ、いちばん多くいただいていた野菜は茄子であったと思います。

いちばん多くいただいていたということは、郷里にいちばん多くあった野菜が茄子であったということです。

農家の方が毎日持ってきてくださる野菜の中には、毎日茄子がありました。野菜を持ってきて下さる方は毎日複数おられ、片方からいただいて片方からいただかないわけにはゆきません。そのようなおり、茄子は重複しても少し日持ちがするという理由でよく求めていました。

茄子は、B5ほどの定型のビニル袋にみっしり詰まって売られております。1日に4人の方が野菜を持ってこられ、そのうち2人の方から茄子を求めるとすると、1日に長茄子なら10本、小茄子なら25〜30個が増えてゆく計算になります。

また、お嬢さんの家の庭にも3本の茄子が植えてあります。ここからは、3日に1度、5本ほどの茄子が収穫できます。

また、ときおり、近所の方が自宅の菜園の茄子を下さったり、両親の親戚が茄子を持ってきて下さることもありました。わざわざ届けて下さるということは、それだけ茄子が大量に収穫されたということでもあります。このような日には、大きな買い物袋1つぶんの茄子が一挙にやってくることになりました。

茄子にはいろいろな調理法がありますが(一般的な野菜で、もっとも多くの調理法があるのは茄子であると思います)今年は雨が少ないために茄子の皮が厚く、漬け物用の小茄子が漬け物に適さないことが多くありました。

このような時、小茄子のへたを落とし、尻(へたの反対側)に十字に深い切れ目を入れて油でよく揚げて甘味噌をつけていただくと、ひとつが金柑より少し大きいぐらいになりますので、いくらでもいただくことができました。

このほか、焼き網で黒く焼いて皮を取って生姜醤油でいただいたり、茄子と玉葱と烏賊だけを具にしたカレーをこしらえたり、茗荷といっしょに汁の実にしたり、と、お嬢さんは毎日茄子と格闘を続けました。

帰京のおり、祖母に荷造りをしていただいた食料品の箱の中にも大量の茄子が入っていました。油漬けにして半分を保存したあと、昨日は中華炒めにしていただき、すべてを使い切ることができました。

写真は、母親の郷里で栽培されているズッキーニです。種子用に、どこまで大きくなるか栽培を続けたところ、このようになったということでした。台にしているのはビールケースです。

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8月27日 (日)  交響曲のこと

きょうは、電車にのってすこし先の街の音楽ホールにオーケストラの演奏会を聴きにでかけました。

お嬢さんの所属する合唱団に、ヴァイオリンの演奏家の方がおり、その方がオーケストラの一員として参加するのでお誘いをいただいたためです。

きょうの演奏曲目は、ベートーヴェンのフィデリオという曲と、フルトヴェングラーの第三交響曲という曲でした。

フルトヴェングラーの交響曲は4つの楽章からなっており、それぞれの楽章には作曲者による標題がついています。調性がぼんやりしたように聞こえる楽章や、西洋の民謡のような旋律がテーマになった楽章など、さまざまな要素が含まれる複雑な感じのする交響曲でした。すべて演奏すると70分近くになりました。

フルトヴェングラーの第三交響曲は、きょうの演奏会が日本では初めての演奏になるのだそうです。

長大な曲であるために基本の譜読みに時間がかかったほか、演奏される機会がたいへん少ない曲なので、楽譜は作曲者による総譜の自筆譜のファクシミリ版しかなく、また、実際に鳴らすとどんな音がするのかという音源もなかったため、練習はとてもたいへんであったと演奏のあとで伺いました。

お誘いをいただいたヴァイオリンの方は、来週とその来週にも演奏会があるということで、そのおりにはまた出かけてみようと思います。来週はオペラで、その来週はピアノとの合奏なのだそうです。

演奏会のあとは、友人といっしょに日本茶ときんとんでお茶をし、フランス菓子とフランス惣菜を売っていたお店でパテとキッシュとメレンゲを買って帰宅しました。

写真は、郷里の猫です。猫がいるのは玄関を入ってすぐの板の間で、夏は台所に向けてよい風が吹き抜けるので、猫がよく横たわっています。

夏は、猫が横になっているところを探し、そこにいっしょに横たわるとたいへん気持ちがよいものです(しかし、たんすの上や縁の下には同道できません)。カメラを持ち、気持ちよくなっているところを撮ってみようとしたところ、突如、このような大胆な姿になりました。

猫の下腹部が桃色をしているのは、夏のために毛が薄く地肌の色が透けているためです。白い猫の地肌は概してこのような色をしているようです。

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8月25日 (金)  野菜時間のこと

昨日の日記の雛燕の写真は、小さなサイズで眺めるぶんにはかわいらしいのですが、大きなサイズにすると、なんといいますか、燕の落としものばかりが目立ってしまっていることに気付きました。食事前後の方には申しわけありません。

燕の巣といいますと、目の上の高さの巣に雛燕がみっしり詰まっている姿を見上げたことしかなかったのですが、そんな巣の中も、実はこのように不衛生なありさまになっているのでしょうか。

また、昨日の日記では、郷里での時間のすごし方を書いたのですが、午前中の大半を、朝求めた野菜の保存と下ごしらえに使っていたことが改めてわかりました。

お嬢さんの郷里は、いわゆる郊外の住宅地と農地が混在する地域にあり、晩春から初秋にかけて、近くの農家の方々がリヤカーや自転車や徒歩や自動車で野菜や果物を売りにきて下さいます。

お嬢さんの家とそのまわりの住宅街には複数の方が野菜を持ってきて下さるのですが、ある人から求めてある人をお断りすることは心苦しく、またそのようなことは祖母の好むところではありません。そのようなわけで、お嬢さんは毎日たくさんの野菜を保存し、調理し、加工していました。

夏の野菜としていただいていたのは、トマト、きうり、白うり、金うり、水なす、丸なす、枝豆、いんげん豆、とうもろこし、みょうが、おかひじき、モロヘイヤ、オクラなどでした。

枝豆ととうもろこしは、求めたらすぐ茹でなければなりません。玄関の広くなったところに新聞紙を敷いてまな板と包丁を持ってきて、とうもろこしは皮をむいて先を少し落とし、枝豆は枝からもいで莢の両端を少し切り、ざるに入れて塩でよく揉んでおきます。

枝豆もとうもろこしも、お嬢さんの家では水から茹でます(まうかめ堂さんの家ではお湯からのようです)。加減をみながら茹で、茹であがったら、とうもろこしは一度冷水にとってからざるに並べ、枝豆はざるにあけて塩をふります。

そのように下ごしらえをした枝豆ととうもろこしは、たいていその日の夕食までにはいただいてしまうのですが、残ってしまった場合、枝豆は莢から豆をはじき、おろし生姜と醤油をちっとまわして容器に入れ、冷蔵庫に入れます。枝豆と生姜醤油はよくあうようです。

とうもろこしは、容量の圧縮と食べやすさのために、包丁で実をけずって容器に入れ、冷蔵庫に入れます。とうもろこしを半分に折った上で、まな板の上で立てるようにして持ち、芯と実の境に包丁を当てて下まで下ろすと、実がつながったまま取れます。これは、翌朝ベーコンと炒めたり、ポタージュにしたりします。

なすやいんげんやトマトについても、そのうちそれぞれの調理加工の方法を書いておこうと思います。

写真は、庭の橡の木の葉裏です。橡の葉のむこうには、お嬢さんの家の縁側がちらりと写りこんでいます。

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8月24日 (木)  帰京のこと

おととい、郷里から東京に戻ってまいりました。

この夏の帰郷は、だいぶん年をとった祖父母にかわって、すこしの期間でも家事全般を手伝うことが主目的でした。

郷里では、毎日朝7時前に起き、暑くなる8時前までに庭の草とりと水やりを済ませ、早朝に収穫した野菜を売りに来てくださる近傍の方から野菜を買って下ごしらえや保存をし、朝食のあとは洗濯をして昼食の準備をし、昼食のあとはすこし午睡をとり、郷里に持ち帰った仕事をすこししてから夕食の買い物に行き、夕方を待って庭の水やりをし、夕食をこしらえて祖父母といただき、母親の帰宅を待ってもう一度夕食のしたくをし、すべての夕食のあとは夜にいただく果物を切って冷蔵庫に入れ、あとは入浴や夜のおやつなどに時間を使って就寝、という生活を送っていました。たいへん健康的なものです。

帰郷のあいだはまた、墓参や小さいさんたちのお世話など、夏のいろいろな行事がありました。それらの行事の様子のほか、猫の山里の猫たちやら、庭の草花など、この夏はいろいろ写真をとりましたので、それはおって載せようと思います。
(ですが、帰京の前日、お嬢さんはデジタルカメラを縁側のコンクリート床に勢いよく落とし、カメラはあっけなく逝ってしまいました)

写真は、父親の兄の家の縁側にいた燕です。
父親の兄は、郊外の古い民家を買って手を入れたところにくらしておりますが、いっしょに墓参に出かけるためにお嬢さん一家が立ち寄ったところ、かわいらしくて珍しいのがいるからいらっしゃいと見せて下さいました。

この燕たちは縁側の軒下にあった巣で生まれ育っていたのですが、なにかの拍子に巣が落ち、家をなくしてしまいました。

軒下に巣の代わりになるものを取り付けるまでのあいだ、ざるに雛を入れておいたところ、親燕がざるに餌を運ぶようになってしまったので、軒下に巣の代わりを取り付けるまでもなく、ここが新しい家になってしまったのだと叔父が説明して下さいました。ざるの中に入っている石は、ざるが飛ばないようにするための重しです。

雛燕は、このように一日じゅう等間隔にざるのへりに止まり、人が近くまで寄っても平気なのだそうです。写真を撮った翌日、巣立っていきました。

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8月8日 (火)  帰郷のこと

あすから2週間ほど帰郷いたします。

あすは、アーキヴィストの見習いをさせていただいている研究室で時間まで仕事をして、それから新幹線に乗る予定です。
帰郷先でもすこし仕事をする必要ができたので、それらの道具(くずし字辞典や五体字類など)と、小さいさんたちへのおみやげは、きょう荷造りして発送しました。

小さいさんたちへのおみやげはポップコーンの素です。封をしてある紙袋にポップコーン種のコーン粒と調味料と油脂が入っており、電子レンジにかけるだけでよい具合のポップコーンになります。

アメリカ製らしく、塩分控えめや油脂分控えめという種類もありますが、「トラディショナル・ケトルコーン」という種類が小さいさんたちのお気に入りです。甘味と塩味がじょうずな割合で配合された、後を引く風味です。

小さいさん、こと、妹のこどもたちは、それぞれいつのまにか分別のある年になりました。

いちばん大きな小さいさんは囲碁やチェスなどを覚えたので、遊んでやるのがたいへん楽です。

まんなかの小さいさんは、なんというかおしゃまの盛りです。お嬢さんの道具を使って化粧のまねごとなどをしてあげますと、たいへんな勢いで喜んでおります。

いちばん小さな小さいさんは、もうすぐはじめての誕生日です。お嬢さんの顔を覚えていてくれるでしょうか。

帰郷荷物の中には、デジタルカメラも忘れずに詰めました。外国に連れて行ってもらう運は、ことしの2度のアメリカでもう尽きたと思われますので、日記のための写真をいろいろ撮っておこうと思います。

写真は、いちばん大きな小さいさんとお嬢さんが、昨年の夏に「書きしりとり」をした用紙です。おたがいのふしぎな語彙力がおもしろかったので、撮っておいたしだいでした。
「ん」になってしまったからではなく、用紙がいっぱいになってしまったのでおしまいになっています。

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8月2日 (水)  茄子問答のこと

火曜日は、お嬢さんが家にいて、家事をしたり、肩や腰のマッサージのために外に出る日です。

昨日も、起きて洗濯をすませたあと、マッサージをしてくださる治療院にでかけました。

治療をしていただいたあとは、帰り道にある輸入食料や輸入台所製品を取り扱っているお店に立ち寄りました。夏にともないお嬢さんはもうすぐ帰郷しますので、甥たちがたいへん喜ぶ紙袋入りのポップコーンの素を買っておこうと思ったためです。

輸入食料や台所用品のほか、今年の春から、この店ではお店の方に縁故のあるらしい九州地方の野菜や特産物を店頭に並べて売るようになりました。

見ますと、その日は茄子が非常に安く売られております。写真のような大きさの米茄子が3つ、もしくは、ズッキーニほどの太さ長さの長茄子が5つ、それぞれ袋に入れられ、どちらにも同じ値段が付けられておりました。

ポップコーンは後回しにしてもこれは買わねば、と思い、それでも、長茄子と米茄子のどちらを選ぶか迷っておりますと、小旅行用のちいさなキャリーバッグを引き、夏生地の背広を着てパナマ帽をかぶったおじいさんが、お嬢さんの隣に立ち止まって話しかけてこられました。

「これは何ですかな」

「茄子、です」

「わかっておる」とおじいさんはおっしゃいました。「どういう茄子なのか、だ」

「こちらは大きな茄子で、こちらは長い茄子です」

「それもわかっておる」とおじいさんはおっしゃいました。「どうやって食べるか、だ」

「どちらも、煮たり、焼いたり、炒めたりします。ここまで大きくなる種類はおそらく天麩羅にはしません。また、どちらも漬けるという話は聞きません。この大きさでは、そもそも漬かるのかもわかりません」

「どっちも同じじゃないか」

「ですから迷っているのです。ですが、なんだか大きなほうがしあわせな気がしますので、こちらにします」

と、お嬢さんが米茄子のほうをレジに持って行くと、おじいさんも米茄子の袋を手にとり、お嬢さんのあとからレジに並びました。また、お嬢さんとおじいさんのやりとりを聞いておられたらしい(といいますか、茄子の場所をふさいでお嬢さんたちが問答をしているので手がのばせなかったのかもしれません)おばさまも、米茄子の袋を持っておじいさんのあとからレジに並びました。

おじいさんに、あんたはどうやって食べるのかねと尋ねられたので、お嬢さんはエッグプラントパルミジャーノの作り方を簡単にお知らせしました。もっと簡単なのはないのかねと尋ねられたので、輪切りにして網で焼き、味噌を塗るといくらでも食べられますとお知らせしました。

茄子は保存が効きますので、パルミジャーノは金曜あたりにでも仕込みをし、週末にでもこしらえてみる予定です。おじいさんはどうやって茄子をいただいたのか、気になります。

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