8月27日 (月) 朝方の夢のこと
東京にもどってきてから、お嬢さんはどうにも疲れがとれないようになりました。
よく考えてみると、東京は郷里よりも気温が高いようです。また、郷里ではそこらじゅうを開け放って眠ることができましたが、東京では窓を閉めて、エアコンを効かせないと眠ることができません。エアコンの風はどうも身体にしっくりこないようで、夜中によく目をさましてしまいます。
目覚ましを黙殺することが2回、目覚ましの設定を誤ることが1回、地下鉄を乗り過ごすことが1回となるに至り、お嬢さんはついに立ち上がり、すこしお休みしていたよく眠れる薬を服用することに決しました。その結果、夜間の暑さに拮抗しうるほどの効果はないものの、寝付きはよくなったようです。
いっぽう、薬のある種の効能のためか、お嬢さんは明け方にふしぎな夢を見ることが多くなりました。登場人物はみな実在する人たちながら、発生するできごとがなんとなく変な夢です。
日曜日の朝方には、父親がどこからかパンダを譲ってもらって来て、たいへんかもしれないけれど、このパンダをこれから家で飼育することにするから、と宣言する夢をみました。
(夢の中で)お嬢さんが父に、なんてものを貰ってきたのですか、法的な手続きはだいじょうぶですか、と抗議すると、父はお嬢さんに向かい、あなたがむかし飼いたいといっていたのを覚えていたから、廃業する雑伎団から譲ってもらったのです、と譲りません。
そもそも、もうパンダは届いてしまっているので(お嬢さんの家では、むかし、実際に、ごく短期間仔熊が飼われていました。そのおりに仔熊を入れていた丈夫な檻を小屋から出してきて、父はパンダを取りに行ったようです)試しに裏山の竹を伐ってきて与えてみると、ちゃんと喰いつくようです。当座はこれで間に合うものの、冬になったらどうしよう、むかし見たパンダのサーカスでは、たしかパンダはバナナを食べていたので、冬はコストがかさむけれどバナナで乗り切れるかもしれない、などと妙に詳細なことを案じているうちに目が覚めました。
これは、夢うらない的にはどのような深層の表出なのでしょうか。
写真は、郷里の庭の日陰に咲いている蘭の一種です。
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8月26日 (日) ふくろもののこと
郷里に戻っていた2週間のうち、前半の1週間、お嬢さんは家事のあいまにずっと縫い物をしておりました。
お嬢さんには、アメリカで結婚をしてアメリカで暮らしている母方のいとこがおります。昨年の春にアメリカにでかけたのは、そのいとこの夫のコメンスメント(学位授与式)に出席するためでしたが、そのおり、いとこの夫方の親族に手渡せるよう、古布をはぎあわせて袋を縫って持っていったところ、たいへん喜ばれました。一見複雑に見える縫い方と、用いられている布が日本的であることが、パッチワークなどの素養のあるアメリカの方々の共鳴をよんだのかもしれません。
喜びようがたいへんなものだったので、お嬢さんは帰国のおり、そのように喜ばれるのであれば、またいくつか縫って渡しますよといとこに約束しました。この夏、いとこは小さいさんたちと郷里に戻っておりましたので、そのあいだに渡そうと思ったものです。
袋の縫い方は、祖母に教えていただきました。正式な名前はないようですが、主に米を入れるのに用いられていたため、「米袋」、もしくは「昔はよく使っていたあの袋」などと呼ばれています。
袋は、短辺を1とすると長辺が2、5ぐらいになるよう裁った4枚の布と、口縁のための布と、裏袋のための布からできています。なんといいますか、4枚の布を卍型のように組み合わせて縫ったあと、となりあった辺を縫っていくと袋の立ち上がりができ、余った上辺の三角部分を切り落として直方体にととのえて作ります。
せっせと針を動かすことは、心の安定になにか役立つようです。平素はなかなか時間がとれませんが、きょうは午後から針を持っていました。
写真は、猫の山里で見かけた古い看板です。
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8月25日 (土) りすのこと
日記を書くためにまうかめ堂さんのウェブサイトにでかけたところ、巻頭の写真が、以前お嬢さんがワシントンで撮影してきたりすの写真になっているのでたいそうおどろきました。
お嬢さんは、家族で2回、お仕事のために個人で2回、アメリカにでかけています。なんだか多い数字ですが、アメリカの研究所をカウンターパートとするお仕事にはひとつ区切りがついたようなので、当分のあいだアメリカにでかけることはないと思われます。そのようなわけで、たまったマイルも、さっさとギフトチェックに換えてしまいました。
アメリカには、少し木があるとたいていりすがいるように思われます。ハーバード大学には冬でも春でもたくさんのりすがうろうろしており、芝生の広場に木が1本しか植わっていないコロンビア大学の図書館前広場でも、りすが一匹ぽかんとしておりました。これはさすがにめずらしかったようで、案内をして下さった先生がどこからきたのか不思議がっておられました。
アメリカの大学にはなぜりすが多いのですか、と、ハーバード大学で研究所の先生にたずねたところ、大学でなくてもりすはたくさんいますよ、というお返事をいただきました。日本の大学には猫がたくさんいますが、りすはいませんと答えると、なぜ猫が大学に住むのですかと逆にたずねられ、返答に時間がかかりました。
このように書くと、英語で会話が成立しているような印象を与えますが、研究所の先生との会話は、双方が共通して意思疎通ができるところの韓国語でした。
りすは韓国語で「たらむぢ」、ねこは「こやんい」といいます。「たらむ」には、「樹上でくらす生き物」という意味があり、「ぢ(ぢぃ)」には「ねずみ(類)」という意味があります。「きねずみ」といったところでしょうか。
似たような名前のつけかたに、あざらし類を意味する「むるけ」があります。「むる」は「水」のことで、「け(けぇ)」は犬のことです。
写真は、お嬢さんの家の猫です。たいへん器用に後足をそうじしています。目のあたりや微妙な身体のラインがクラナハふうです。
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8月20日 (月) 猫の近況のこと
お嬢さんは、帰郷するとかならず猫の山里につれていっていただきます。この夏は父親と墓参にでかけました。山里では、谷間のお寺の裏に集落すべての墓があつまっており、墓参の日になると集落じゅうの方々が、じぶんの家の墓やゆかりのある方の墓をめぐります。
猫の山里の墓には、お嬢さんの曾祖父母がねむっています。曾祖父は1992年の春に、曾祖母は同じ年の夏にそれぞれ天に帰りました。曾祖母が天に帰ったとき、お嬢さんはじぶんが大きな責任を持つ音楽の練習で泊まりがけになっており、臨終にも葬儀にも帰ることができなかったことが悔やまれます。
猫の山里には、変わらずたくさんの猫があちこちにのびておりました。夏なので、室内にとどまっているのは老猫や子猫ばかりです。おとな猫はみな山に涼みにいっているとのことでした。
写真は、昨年の秋に生まれためずらしい色あいの猫です。「チャミ」というなまえがついており、もしかしたら1月あたりの日記にちいさな時の写真を載せているかもしれません。
チャミはすっかり大きくなりましたが、なにか神経系に不具合があるらしく、まっすぐ歩くことができません。なんとなく寄り目ふうな顔つきもそのためのようです。
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8月19日 (日) 素揚げのこと
帰郷しているあいだ、食事のしたくと昼間の家事はお嬢さんのしごとでした。
この季節はお嬢さんの家の菜園でも、近所の方々の畑や菜園でも野菜が実り放題に実ります。郷里では近隣に農家の方が多く、朝になると野菜を売りに来て下さいます。野菜を売りに来て下さる方はたくさんありますが、それぞれに得意分野の野菜がありますので、じゅんばんに野菜をいただいています。
また、朝食後の涼しいうちや夕食前のいっときになると、玄関前に不意に野菜が置いてあることもときどきありました。これは、農家の方が置いていってくださるものです。お嬢さんが帰っていることを知って、お嬢さんがよく食べる野菜を届けて下さることもありました。
この季節に毎日食卓にのぼるのは、いんげんを素揚げにして、生姜醤油でちゃっとあえたものです。
大きな皿に生姜をおろし、生姜をおろしてある皿にそのまま醤油を注いでおいたものを準備したあと、フライパン(もしくは揚げ鍋)に油を注いで熱し、頭と尻尾をもいだいんげんを入れ、火を通します。
揚げ網で油を切ったりせず、菜箸でいんげんをつかみ、準備しておいた生姜醤油入りの皿に浸すと、素揚げの完成です。暑いままでも、食べ残しを冷やして次のごはんにいただくのも、どちらも夏らしい味です。また、生姜醤油のほか、辛子醤油や大蒜醤油で素揚げをこしらえることもあります。
野菜ばかりいただいていたせいか、夏のあいだ、お嬢さんはよく汗をかき、なんだか代謝がよくなったような気がします。
写真は、郷里の庭で栽培している茄子の花です。
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8月18日 (土) 大盆踊りのこと
きょうは、アーキヴィストの見習いの仕事から帰るとちゅうの大きな公園で、「大盆踊り大会」という名前の大規模な踊りの会が開催されていました。
大噴水近くの広場に大きな櫓がたち、壮大な規模の方々がぐるぐると踊り流しをしていたほか、ふだんは立ち入ることができない大噴水周辺の芝生にはたくさんの縁台がおかれ、たくさんの方々が食事や飲み物を楽しんでおられました。
ふだんは通り道になっている場所には、協賛企業によるたくさんの屋台がならび、暑い野外でいただくのにちょうどよい軽食を売っています。お嬢さんはちょうど空き腹をかかえておりましたので、マレーシア風フライドライスをたちどころにたいらげ、まだ空き腹がおさまらないので、こんどはトルコ風鶏肉のピタサンドをいっしんにたいらげました。おそらく、これで虫はおさまりました。
なにか立ち去りがたく踊りを眺めていると、もうすこしでゲストによる歌謡ショーがありますという案内がありました。ゲストとして招かれているのは、お嬢さんの母親と祖母がともにファンである男性歌謡歌手です。こんどの帰郷のおりの話の材料に、と思い、40分ほどのショーをのんびり見届けてから公園を去り、それから、丸ビルであすの朝食のパンを求めて帰宅しました。
写真は、猫の山里の盆踊りの準備の様子です。猫の山里では、秋季の祭りのほか、盆になって帰郷してくる人々と踊るための盆踊りを祭りとは別に開催しています。
ちいさな櫓ですが、歌も囃子も生演奏によるしっかりした音頭を聴くことができます。
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8月17日 (金) 帰京のこと
8月4日から昨日(16日)まで、すこし長く郷里に戻っておりました。昨夕に東京にもどり、きょうからアーキヴィストの見習いの仕事に戻っております。
まうかめ堂さんの日記がなくなるとのことで、お嬢さんも遠慮して日記を閉じたほうがよいのかどうかまうかめ堂さんにたずねてみたところ、その必要はありませんというお返事をいただきました。日記を書いたあと、日記が更新されましたという告知をまうかめ堂さんのページに出していただくお手数をかけることになりますが、お嬢さんはここでこれからもしばらく日記を書いてみようと思います。
郷里では、春に続いていろいろな写真をとってきました。この写真は猫の山里の庭でとったものです。いっしょうけんめいに茎のふりをしている虫が写りこんでいます。
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8月1日 (水) すいかのこと
きょうは、仕事のあと、東京に仕事にきていた父親と夕食をいただきました。
きょうでかけたのは、父が宿泊しているホテルからすこし歩いたところにあるフランス料理店です。この料理店の本店は平河町にあり、むかしたくさん心身の滋養をいただきました。当時は本店におられたコック長さん(ムッシュー)は、現在では主に分店で料理をこしらえておられます。
料理店を外からみると、なにか貸し切りのような会が行われていましたが、予約のないお客さんのためのテーブルもすこしこしらえてありましたので、店に入ることができました。
テーブルにつくと、となりのテーブルではコックさんの服装をした人がパスタをたべています。おや、と気がつくとムッシューでした。あいさつのあと、ムッシューは、いま、夏に出すパスタの試食をしていたところなんです、と、パスタのお皿を示して下さいました。赤い切り身がパスタにあえてあるようでしたが、これはよく熟したすいかです、とのことです。少しいただけませんかとお願いしようか迷いましたが、そのままテーブルにつきました。
きょうの夜定食は、牛の頬肉をよく煮たものと、鮭の薫製の厚身をごく軽くあぶったものの盛り合わせに、冬瓜や蕪などの野菜を洋出汁でよく煮含めたものを添えたお皿が主で、このほか、野菜の冷羹汁と、オレンジの風味のついた人参の掻きサラダがつきました。
また、食後には、濃い風味のプリンと洋酒入りクリームをつめたシューとすいかのシャーベットがつきました。公共の建物のなかにあるので、これらの定食は夜でも手軽な価格でいただくことができます。
父は3日まで東京に滞在したあと郷里にもどり、会議をひとつしたあと、4日から9日まで、広島と長崎の慰霊祭に出席する長い出張にでかけます。なかなか忙しいようです。
写真は、昨年の郷里の夏の庭をとったものです。蝉のからがいくつもついている大きな葉は栃の木の葉です。
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2007/8 |
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