Diary 2006. 11
メニューに戻る
11月26日 (日)  酉の市のこと

東京では、歳末の風物詩として酉の市という縁日が11月になると各所に立ちます。土用丑が、年によって1回だったり2回だったりするように、酉の市も年によって2回の年と3回の年があります。

ことしの酉の市は3回あり、そのうち2回はおわりました。三の酉は、あすが宵の日、あさってが本縁日になります。東京における酉の市のうち、もっともにぎわうのは浅草や千住ですが、東京の中心部であれば、渋谷の宮益坂と新宿の花園神社が大きな催しになります。

二の酉の本縁日の日である11月16日、お嬢さんはアーキヴィストの見習いをさせていただいている研究室が主催する研究会に参加したあと、新宿のイタリア風居酒屋に移動し、ことし最後の研究会の忘年会もかねた夕食会に参加していました。

夕食会の参加者のうち、いちばん年若なのはお嬢さんでした。主催者の先生から、きみを食卓上の幹事に任ずるので、なんとなくの予算は念頭においた上で、なんでも好きなお皿を注文しなさいと言われたお嬢さんは、とりあえずのアルコールを注文したのち、5皿のティラミスと5皿のジェラート盛り合わせ、2皿のパンナコッタを注文し、皆の度胆を抜くことに成功しました。

ピザをいただき、ハムをいただき、ムール貝を山のようにいただくと(お嬢さんのふがいなさを見かねたどなたかの先生が、気をきかせてムール貝を注文してくださったのですが、お嬢さんも同じものを多めに注文していたのでした)、時計は10時を過ぎていました。

ふだんであればここで帰宅するお嬢さんでしたが、その日はワインをいただいていたせいか、ゴールデン街に連れて行ってあげるからいっしょにどうぞ、という九州から来られた先生のお言葉に、ほいほいと付いて行きました。

はじめてのゴールデン街で焼酎をいただいたあたりから、お嬢さんの記憶はよろよろとしてきます。花園神社の酉の市を見ますのでお先に失礼いたします、といってゴールデン街を出たのがおそらく12時前で、午前1時に帰宅した時、お嬢さんはおかめの書かれた切山椒の袋と大きな熊手を持っていました。

しかし、お嬢さんのお財布からはなにも出ていっていません。これはどうしたことでしょうか。

写真は、板門店の展望台から、一帯を警備しておられる各国の兵隊の方をとったものです。これはお嬢さんが撮った写真ですが、このころはデジタルカメラが現在ほど普及しておりませんでしたので、この画像は写真をスキャナでおこしたものです。

20061126-1.jpg



11月14日 (火)  ミント茶のこと

昨日の午後、お嬢さんはかかりつけのお医者さんが開くのを待っていちばんに予約をとり、診察を受けました。

熱はさほどありませんし、食欲もまったくおとろえないのですが、ひたすら鼻に症状が出るのですとうったえたところ、お医者さんはヒスタミン剤と総合感冒薬と、だんだん残りが少なくなってきた発作止めの吸入を処方してくださいました。このうち、ヒスタミン剤は鼻の症状に著しい効果を示し、きょうのお嬢さんはたいへん軽快です。これで、あすからはアーキヴィストの見習いのお仕事にでかけることができます。

きょうは、家で小さな仕事をするあいまに、近くの生鮮食料品店に買い出しにでかけました。

この食料品店は農協がモデル店として直営しているもので、とりわけ野菜と精肉が良質で安価です。きょうは当面の野菜と精肉のほか(農協の直営店なので、この食料品店には魚や魚製品はありません)、スペアミントを買って家に戻りました。

紅茶を煮出すガラスポットに湯をわかし、湯がわいたら適量の氷糖とミントの葉を放り込み、すっとする香りが出たら紅茶葉を入れて火から下ろし、冷蔵庫用のガラスポットに漉し入れるとミント紅茶ができあがります。

中国緑茶とミントで同様のお茶を煎れ、すこし甘味を強くして熱いままいただくのが、アラビア風ミント茶です。中近東一帯では、お茶を「シャイ」、ミントを「ナァナァ」と呼ぶようで、このお茶は「シャイ・ナァナァ」と呼ばれています。

お嬢さんは、いぜんお仕事をしていた史料館の館長さんに、このお茶を教えていただきました。

この史料館でのお仕事はやはりアーキヴィストの見習いで、二年の期限がついたものでしたが、一年目がもうすぐ過ぎそうになったころ、お嬢さんは思いがけず強いストレスを受ける機会があり、お医者さんに通ったりすこし休暇をいただいたりしながら一月ほどを過ごしました。

休暇を終え、そろりそろりと仕事に戻ると、館長さんから館長室に来るようにという伝言が届いていました。もう来ていただかなくても結構です、を言い渡されるのではないかと怖れながら館長室に向かうと、館長さんはお嬢さんにティーバッグの詰め合わせを下さり、こうおっしゃいました。

「ぼくからの命令です。あなたは生きなさい。死んではいけません。これはミントティーで、アラブではシャイ・ナァナァといいます。ものごと、なあなあでいいときもあるんです。だから生きなさい。あと、これは砂糖を入れて飲むのですよ」

席に戻ったお嬢さんは、ティーバッグの詰め合わせのビニールをはがし、紙製のティーバッグをひとつ出してマグに入れ、お湯を注いで砂糖を入れていただきました。そして、そのようにして、お嬢さんはその後の一年間を終えることができました。

いただいたティーバッグの詰め合わせは、なにかあるたびにお守りのように飲んでゆき、いまは一つだけ残してあります。

写真は、いとこの義母の妹夫妻のバニーとガース(のシルエット)です。バニーとガースはモントリオールに住んでおり、料理の本を書いたり、息子たちがレストランで出している料理の監修や、そこで売られている「バニーおばさんのジャム」のような製品の監修をつとめたりしています。

20061114-1.jpg



11月12日 (日)  ゆずのこと

木曜日あたりからなんとなく鼻風邪をひいた予感はありましたが、それから週末にかけて、お嬢さんの風邪はますますひどくなってゆきました。

金曜日はアーキヴィストの見習いのお仕事があり、燻蒸のために別室に移した史料や機材を、燻蒸のすんだ書庫に戻す続きをしていたのですが、お昼を過ぎたあたりから、これはどうも変かもしれないという予感がもそもそやってきました。

そのようなわけで、残りはあとまわしにして早退しようかと思ったのですが、その日はちょうど韓国からお客さまが史料の閲覧に来ておられました。韓国語を解する助手さんが研究日でお休みであったため、お嬢さんが帰ってしまうとなにか支障が出そうな予感があります。

予感はあたったようで、午後になってマイクロリーダーのトナーがなくなりました。マイクロリーダーのトナーはめったに消耗しないため、研究所にはスペアがありません。取り扱い店に電話をしていただいたところ、届くのは来週になってしまうようです。

マイクロフィルムで史料を閲覧しながら複写をしていた韓国からのお客さまがこの研究所に来ることができるのは今日までのようです。いろいろ考えたすえ、1、オリジナルを出してみて、それがゼロックスコピーに耐えられそうであれば、お嬢さんがかわりにゼロックスコピーをとり(二部とって、一部を研究所で持つことにします)、2、ゼロックスコピーに耐えられないようであれば、研究所備え付けのデジタルカメラで画像を撮り、3、マイクロフィルムのスキャンが終わっている史料については、CDから画像を読み出してプリントアウトする、という手はずをとることになりました。

不手際のおわびと、こういう手はずを取ることにしましたという経過と、それでも複写料金は変わりませんということを韓国語で説明していると、風邪がのどにも下りてきたような予感がしてきました。それでも、これらの作業が終わるまで早退はできません。

帰宅してからすぐ床につくと、夜中に呼吸器の発作がやってきました。この季節のお天気の変わり目にはよくこのような症状がでます。夜中に起き出して服薬と吸入をし、バッハなどを聴いているとおさまってきましたので、その日は土曜の昼近くまで眠ることができました。

ですが、眼がさめたお嬢さんに、土曜の午後からの演奏会に出かける体力は残っていないようでした。この演奏会では、オリヴィエ・メシアンの「鳥のカタログ」が全曲通して演奏されることになっていたのでとても残念です。

きょう(日曜日)になっても、お嬢さんの風邪は抜けません。このぶんでは、月曜日の夕方に予約していた美容室に出かけるのもひかえたほうがよさそうです。

美容室に電話をかけて予約の延期を伝える段になって初めて、お嬢さんはずいぶん声がかすれてしまっているのに気付きました。ひとりでくらしていると声を交わす機会がないので、このようなことに気付く機会もないのだなあとしみじみしました。

今は、ことしのはじめにまうかめ堂さんの家からいただいたゆずを砂糖漬けにしたものに湯を注いで、ひとくちづつゆっくりいただいています。火を通さずにこしらえるので、これはたいへんよい香りがします。以下に作り方を書いておきます。

1、ゆずを2つに割り、果肉と種子を取り除きます。果肉と種子はここでは使いませんが、なにか用途がある場合にはとっておきます。

2、ゆずの果皮をできるだけ薄く切ります。果皮の内側の白い部分は取り除く必要はありませんが、果皮の傷の部分や変色した部分は、いただく時に目立つので加えません。

3、清潔なガラス製広口瓶を用意し、瓶の底に1センチほどグラニュー糖を敷きます。グラニュー糖とゆずの果皮を交互に、同じ厚さの層になるよう重ねてゆきます。グラニュー糖はゆずの水分にあうと溶けますし、ゆずもグラニュー糖によって脱水されて高さが減りますので、それぞれじゅうぶんな厚さに詰めてゆくのがよいようです。結果的には、ゆずの容積と同じぐらいのグラニュー糖が入ることになります。

4、さいごに、びんの口いっぱいまでグラニュー糖をつめ、ふたをして冷蔵庫に保管します。

いただく時には、柚子の果皮と、ゆずの風味を吸ったグラニュー糖の両方をガラスのコップに入れ、湯を注いで甘味のついた湯だけをいただきます。なお、お嬢さんはせっけんシャンプーを愛用しておりますので、果汁はリンスとして使っておりました。

写真は、いとこの夫の指導教官とその夫君です。

20061112-1.jpg



11月9日 (木)  燻蒸などのこと

11月のはじめの1週間を家ですごしたのち、お嬢さんは水曜日から、アーキヴィストの見習いのお仕事にもどりました。

大学に設置されているかたほうの研究所では、学園祭で研究所の業務を閉めているあいだ、書庫を燻蒸(虫退治)していただいておりました。

燻蒸はガスを使って行うため、ガスの影響がないことが証明されていないもの、たとえば湿式複写された史料、青写真、オリジナルプリントの古写真、マイクロフィルム、オープンリールテープとオープンリールを媒体換えしたさまざまのメディアとその再生機器、パソコンなどすべての電子機器を燻蒸を行わない部屋に移動させる必要があります。また、ねんのため、すべての修復資材と保存資材も運び出しました。

燻蒸は11月2日に行われたため、お嬢さんがお仕事にでかけると、書庫からガスの気配はほぼ消えておりました。お天気のよい日でもあったので、きょうは燻蒸のために移動させた史料や機材をもとに戻す作業を一日じゅう行っていました。

大きな配架カートに史料やフィルムを積んで、書庫と避難室のあいだを何度もことこと往復すると、まさにお仕事をしている感じがあります。

そのあいまに、外国からおいでになられたお客さまのレファレンスをしたり、新しく作ってみた出納用の簡便な目録をためしてみたりと、きょうはよく汗をかきました。

そのせいか、お嬢さんは夕方から鼻風邪のようです。土曜日には楽しみにしている演奏会があるので、なんとかなればよいのですが。

写真は、お嬢さんが父と小さいさんの動物園見学につきそうため、カメラをかばんに入れて家を出たところ、玄関先の集合ポストにかたつむりが通っているのを見つけて撮ったものです。自分のポストにこのような来客があれば、お嬢さんはその日一日上機嫌なのですが、このポストの持ち主がそのような心持ちであるかどうか少し心配です。



20061109-1.jpg



11月7日 (火)  トリッパのこと

アーキヴィストの見習いをしている研究所が所属する大学の学園祭のために、研究所もお休みになりました。そのようなわけで、お嬢さんは11月1日からきょうまで家におりました。

歯が暴れ出すといけませんので、ソプラノの歌手の演奏会にでかけた日を除いて、お嬢さんは家にこもっておとなしく何やらやっておりました。

もっとも時間をかけて行っていたのは、かつてワードプロセッサーで作成した文書をテキストファイルに変換し、パソコンで保存できるようにする作業でした。これらのデータには修士論文の原稿や、そのなかで引用するために書き起こした多くの史料があります。

合計の容量はさほどでもないのですが、ファイルの件数がたいへんに多く、根を詰めて2日と半分ほどすすめてみたところでお嬢さんは力尽きました。

ですが、どれだけ稿数があるのかわからない修士論文の草稿などはともかく、これからだれかに使っていただけそうなもの、たとえばマイクロフィルムのないむかしの新聞を手書きでうつしてきて入力したものや、たいへん難読な書翰の書き起こしなどのデータを救い出すことができたことはよいことでした。

上記のような根をつめる作業の際には、料理をすると心身の転換を図ることができるように思われます。そのようなわけで、すこし前に買った牛胃が冷凍庫にあったことを思い出し、おとといから昨日にかけてトリッパのトマト煮をこしらえました。これはお嬢さんがひそかに得意を自負している料理です。

1、牛胃(はちのすと呼ばれている部位)はぬるま湯でよくもみ洗いをし、水から火にかけ、茹だったら茹でこぼすことを二回くりかえします。

2、断熱鍋の内鍋に牛胃とレモン皮とにんにくを入れて火にかけ、茹だったらレモン皮をとりだして外鍋に入れ、一晩おきます。
レモン皮には牛胃のくせのある油気をとる効果があるように思われます。また、断熱鍋による調理は、牛胃の調理時に出るくせのあるにおいを部屋に出しません。

3、火が通ってやわらかくなった牛胃は、水でよく洗って油気をとったあと、大きさをそろえて細切りにします。なんといいますか、まゆ毛ぐらいの長さと太さでしょうか。

4、ごく薄く輪切りにしたセロリ、縦4つに切ってからごく薄く切ったにんじん、オニオンサラダにするぐらい薄く切った玉葱をフライパンに入れ、多めのオリーブ油と塩でよく炒めます。にんじんをすりおろして加える方法もありますが、こうすると若干甘味の多い風味になります。

5、野菜からよい香りがしてきたら切っておいた牛胃とトマトの缶詰めを加え、水分が引くまで煮つめます。牛胃はじゅうぶん柔らかくなっていますので、煮込むというより煮詰めるという感じです。今回は、郷里から送られてきた大量のトマトジュースがあったので、それも加えました。

トリッパは、いただく時にはチーズをおろし、好みでパセリやケイパーを添えます。そのまま前菜にするほか、パスタにあえていただくと具だくさんでよいものです。

写真は、ケンブリッジ市から北のほうに20分ほど行ったところにあるウォールデン沼というところです。この沼には昔、ソロウという詩人のような批評家のような方が住んでおり、魚や虫をとらえながら執筆をしておられました。


20061107-1.jpg



11月3日 (金)  名曲の花束のこと

きょうは、街の音楽ホールにソプラノの演奏会を聴きにでかけました。

お嬢さんがくらしている街の音楽ホールでは、ほぼ毎週のようにクラシック音楽の演奏会が企画されています。

この演奏会は街の文化活動によるもので、席料がたいへん低く設定されています。同じ演奏家による演奏会の席料が、有名なコンサートホールの半分になることもめずらしくありません。その恩恵にあずかり、ことしはヒリヤードアンサンブルを聴くことができました(ヒリヤードアンサンブルの入場券を買い求めた際にはたいへんおもしろい出来事がありました。そのうち書こうと思います)。

また、音楽ホールでは、これから音楽世界に出ようとする若い音楽家を欧米から招いて行われる演奏会もあります。きょうお嬢さんがでかけてきたのはそのような演奏会でした。

きょうの演奏会の演目は、当初、「オペラ珠玉の名曲の花束」のようなもので、いくつかの歌曲を交えながら、さまざまなオペラの有名なアリアが歌われることになっていました。

きょう、実際に演奏されたものは、ワーグナーの歌曲、マデトーヤとラウタヴァーラの歌曲、シベリウスの歌曲と2曲のオペラアリアでした。アリアは「おかあさまも知るとおり」と「歌に生き、恋に生き」でした。「名曲の花束」というより、「東欧、北欧の知られざるリート音楽の午後」のようです。

演奏して下さったのは、メゾソプラノからソプラノまでを歌うことができる方でした。たいへん豊かな声量で、まっすぐに届く声を聴くことができました。

お天気のよい昼下がりでしたので、お嬢さんは行きも帰りも歩いてゆきました。よい運動になったように思われます。

写真は、郷里のお祭りの様子です。写真を撮ったのはお嬢さんで、画面にはお嬢さんの妹がちらりと写っています。

20061103-1.jpg



11月1日 (水)  やぎのこと

昨日は、上野動物園における動物の配置と、西園にある「こどもどうぶつえん」について書きました(ちょうど月が変わりましたので、きのうの日記を読むには、もうしわけありませんがいちど戻らなければなりません)。

「こどもどうぶつえん」において、入園者が自由に触れることができるのは実際にはやぎとひつじのみです。そのほかの動物、たとえば牛やろばなどは、係員が手綱をおさえているところをちょっとさわらせてもらう程度であり、かつ、参加資格は小学生以下に限られています。

こうしてみると、やぎとひつじは、こどもにとって安全な動物のように思われますが、お嬢さんにはどちらの動物にもあまりおもしろくない幼少のころの思い出があります。

お嬢さんの家では、むかしやぎを飼っていました。はじめの目的はお嬢さんの栄養補給であったらしいのですが、記憶にあるころにはもう目的はなくなっていたと思われます。

小屋の柵越しに餌を与えたり(やぎは枝豆のさやをよく食べます)、緑地の草を食べているやぎを見るのは楽しいものでしたが、もう少し親密になろうと近付いたある時、やぎはお嬢さんを角にひっかけて飛ばし、やぎの排泄物と泥水が混じった「すてきな」場所めがけて落としました。

汚辱にまみれた身体的な感覚と、起き上がろうとするお嬢さんを何度も飛ばしながらまったく変わらなかった表情、とりわけやさしそうな眼の記憶は、相俟って強い不条理感となって残っています。

いっぽう、お嬢さんの家から少し歩いた先にはひつじを飼っている家がありました。

品種によりますが、ひつじはやぎよりずっと大きくなりますので、飼育施設も本格的なものになります。その飼育小屋は二階建てになっており、冬の飼料となる乾燥牧草を二階にたくわえ、時間ごとに二階の床(一階の天井)の扉を上げて給餌ができるようになっていました。

ある日、もう少しひつじと親密になろうとしたお嬢さんは、乾燥牧草を外から運び込む搬入口から飼育小屋の二階に入り込みました。給餌口を上げて下に見えるひつじの背中にねらいを定め、そこからじょうずに下りればひつじに乗れると思ったのです。

うまくゆくかと思いましたが、ひつじは気配を察してじょうずにお嬢さんを避け、お嬢さんは小屋の中の羊の群れの中に落ちました。無断で小屋の中に入り込んだ手前、気付かれたり、助けてもらったりするわけにはゆきません。洋服を汚しながら柵を乗り越えた切迫感と、そんな時でもまったく変わらなかったひつじの表情、とりわけやぎと同じやさしそうな眼の記憶は、やはり強烈な不条理感として残っています。

やぎやひつじの四角い瞳には、不条理感を呼び起こすなにかの作用があるのかもしれません。

写真は、こどもどうぶつえんのやぎです。このやぎはまだこどもです。

20061101-1.jpg



2006/11
SuMoTuWeThFrSa
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

前月     翌月