7月31日 (月) 合宿のこと
まうかめ堂さんは、きょうから週末まで、勉強のための合宿にでかけております。
合宿先までの行き方を見ると、まず新幹線に乗ってたいへん辺鄙な駅で降り、そこからタクシーなどの交通機関で中継地まで行き(バスなどの定期交通機関はないようです)、そこから先は徒歩しか手段がないということが書いてありました。
中継地から合宿先までの徒歩の道案内を見ると、一部は湿地であり、一部は密林であり、また一部は日ざしを遮るもののない平原のようです。途中には熊が出没しているので注意するように、とも書かれてありました。
合宿に入る前に、まずまうかめ堂さんやまうかめ堂さんの先生たちが合宿地まで無事に到着できたのか、たいへん気がかりです。
お嬢さんの祖父の郷里である猫の山里はたいへん山の中にありますので、よく熊が出ていました。
林業の場所である杉山は、植生を変えて杉だけを植えてあるため、熊にとっての餌になる植物がなく、そのため熊は出ません。熊は、きのこをとったり山菜をとったりするために植生をそのままにしてあるほうの山に出ます。
父親や祖父も、山や道路で数回熊に出逢っています。山で熊に出逢ったら、斜面を登る方向に逃げること、下る方向に逃げると、熊は身体を丸めて転がるように追ってくるからすぐ追い付かれる、ということを教わりました。ですが、これは謬説かもしれませんので、不用意に試してはいけません。
お嬢さんはまだ山で熊に出逢ったことはありませんが、お嬢さんの家にはむかし、ほんのわずかの期間でしたが熊が飼われていました。二匹の子熊で、決して近付いてはいけないと厳しく言われていたことと、たいへんにおいのする動物であったのでそもそも近付こうとは思わなかったことをぼんやり憶えています。
写真は、猫の山里の杉林です。まっすぐな幹に成長させるため、途中の枝を落としてあります。
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7月27日 (木) おきゃくさまのこと
きょうは、アーキヴィストの見習いをさせていただいているかたほうの研究室に、アメリカから史料をさがしにお客さまが来られました。
研究室で史料を閲覧するのに、予約や紹介状は必要ありません。ですが、短い日程の中であちこちの史料をさがさなければならない場合や、外国を含む遠いところからおいでになる場合などは、事前に日程とさがしている史料の領域などを知らせていただくと、研究室に着いてすぐ史料を見ていただくことができるようになっています。
そのために、書棚のあいだをくぐったり這ったりして準備をしておくこともお嬢さんの仕事です。
きょうおいでになられたお客さまは、お嬢さんが昨年ファカルティクラブというところで史料の小さなお話をしたおり、お客さまとして話を聴きにきてくださっていた方でした。お話のあとの懇談会でお嬢さんに話しかけて下さり、いつか日本に伺いますのでよろしくとご挨拶をいただいていた方です。
研究室が開く少し前に研究棟の前を通ると、池のほとりのベンチに腰をおろし、ヘッドホンで音楽を聴いておられる僧服姿の方がおられました。
少し近付くと、彼は昨年お会いしたきょうのお客さまでした。彼は学生でもあり僧でもあるのですが、きょうは初めて伺う場所でもあるし、ということで僧服を来てこられたのだそうです。西洋風にいえばジャケット着用のようなものでしょうか。
3週間ほどの日程で全国を見てまわるとのことでしたので、ご挨拶やお茶はせず、すぐに史料の相談と出納がはじまりました。このようなものですか、と、いくつかの史料を書庫から持ってきて見ていただき、もうすこし新しい時代のもの、とか、ブックレットよりドキュメントをより見てみたい、などのリクエストに応じて別の史料をさがしてきます。
たとえば定期刊行物では、ここにない号は近くのこの大学にあります、とか、復刻がこの出版社から出ています(そうすると、帰国して自分の大学の図書館に購入希望を出すことができます)、とか、ウェブサイトで画像を見ることができます、ということをお知らせすることもあります。
また、それぞれの史料館や図書館の位置と開館時間と休日をつきあわせて、どの日にはどこで何を眺めるのがよいか計画を立てるお手伝いをすることもあります。
お客さまは今日で閲覧を済ませる予定でしたが、たくさんの見るべきものが出てきたため、再びおいでになることになりました。
写真は、ハーバード大学のメモリアルホールの外壁につけてあるなにかの紋章です。
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7月26日 (水) なまずのこと
ここ一月ほど前から、一週間に一度、お嬢さんとまうかめ堂さんは示し合わせて夕食の外食をするようになりました。
お嬢さんがくらしている街にはたくさんの種類のレストラン類があります。お皿の国籍や開店の由来もさまざまですが、昨日は、「なつかしいアメリカ東海岸料理」を名物としているレストランにでかけました。
そのレストランは、むかしコネティカットでレストランをしていたコックさんが、30年ほど前に日本に戻って開いたのだそうです。白髪頭のひょうひょうとしたおじさんが、注文をとって料理をこしらえ、お給仕をするまでをひとりでこなしておられます。
このレストランにでかけてみようと思ったのは、なまずの料理がメニューに載っていたためでした。
なまずは、主に中南部の沼や湖の多い地域で食用とされていますが、ニューヨークでもケイジャン料理としてよく食べられています。ニューヨークにはたくさんの地方の人がくらしていますので、ニューヨークにおけるケイジャン料理は、東京で「てっちり」をいただくようなものでしょうか。
いっぽう、お嬢さんがなまずをいただいたのは中南部のインディアナポリスでのことで、上手に香辛料をきかせたなまずを一口大に切り、フリッターにしたものをコーンブレッドとオクラのスープといっしょにいただきました。
わくわくと写真の付いたメニューを見たところ、こちらで出しているなまずのお皿は、お嬢さんが考えていたフリッター式のものではなく、舌ひらめのようにソテーにしたものでした。
なまず目当てで出かけたものの、ソテーをいただいたことがなかったので、昨日はなまずのかわりにソフトクラブとエッグプラントパルミジャーノをいただきました。どちらも、アメリカでいただいたことのある、なつかしい味でした。
レストランのお皿には、どれもたっぷりの野菜となつかしい風味のドレッシングが付いてきました。まうかめ堂さんも喜んで下さったようで、また参りましょうということになりました。
写真は、郷里の庭で栽培しているきゅうりの花です。
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7月18日 (火) 内臓のこと
きょうは火曜日で、家にいる日になっていましたが、服薬に伴うスクリーニング(そのお薬を飲み続けてよいものか、検査をして、その結果を見て判断すること)のために病院に出かけました。
スクリーニングのための検査には多くの項目がありますが、いくつかは先週済ませていました。きょうは、その日のうちに検査結果がわかる検査と診断です。
先週の検査は、採血(ちっと痛い)であったり細胞診(たんと痛い)であったり圧迫撮影(たんとたんと痛い)であったりと、たいへん消耗するものでした。あまりにも消耗してしまったので、午後からうかがうはずであったアーキヴィストの見習いのお仕事をお休みさせていただいたほどです。
圧迫撮影というのは、なんといいますか、率直にいって、いわゆる乳房に透明な板を押し当ててぎゅうと押し、厚さを薄くかつ均一にしたうえでX線撮影を行うことです。一乳房につき、上下に圧迫した像と左右に圧迫した像の二枚を撮影します。
撮影のために薄くしなければならない加減と、印画紙の必要な範囲にまで「乳」をのせなければならない加減は決まっているようで、技師の方々には手加減がありません。
ぐぅ、と呻きながら、いわゆる「ある」のと「ない」のではどちらが痛いのですかと技師の方にたずねたところ、「ある」場合には圧迫するのがたいへんで、「ない」場合には印画紙の範囲まで引き出すのがたいへんです、と教えて下さいました。ですが、どちらにしても痛いのは苦手です。
きょうの検査は体表エコー検査でしたので、ごろりとなっているだけで終わりました。圧迫撮影の結果とエコー検査の結果を見ていただき、とくに問題はないですという診断をしていただいて病院はおわりました。
お嬢さんの通う病院はお茶の水というところにあります。遠出のついでに、きょうは上野まで出かけてアメ横に立ち寄り、お嬢さんの街では手に入らなかったり、手に入っても高価であったりする食材を求めました。
アメ横を訪れたいちばんの目的は、イタリア風牛胃のトマト煮をこしらえるために必要な牛胃を手に入れることでした。
このお皿はトリッパと呼ばれますが、それが料理の名前なのか、食材の名前なのかは判然としません。トリッパに使うのは牛の第四胃で、内側が網目状になっており、薄切りにすると変わった口当たりになります。
トリッパをこしらえるのには多くの下ごしらえが必要です。きょうは数回の茹でこぼしと香味野菜での下茹でまでを済ませました。明日は本煮です。
写真は、いとこの夫の卒業パーティーの時のものです。飲み終わったジュースのペットボトルをバット代わりに、ジュースコップをボール代わりに三角ベースのようなことをしています。
親戚たちの住んでいるところとジュースの銘柄にちなんで、「シカゴ・ゲータレーズ」対「オンタリオ・ジンジャーズ」と名付けたところ、たいそう喜ばれました。
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7月12日 (水) ピュレのこと
そろそろ夏も近くなったので、朝食を冷やしたポタージュにすることが多くなりました。
冷やしたポタージュをカップにひとつ、クラッカーまたは薄く切ってもらったパンを適量、果物のジュースをコップにひとつ、つめたい水かつめたいお茶を好きなだけ、というのがお嬢さんのここ数日の朝食です。
過去の日記をながめると、お嬢さんは一昨年のこの季節、トマトを大量に用いたガスパチョをこしらえてうまうまといただいていたようです。また、大量のメロンを取り寄せ、食事ごとにいただいてもいたようでした。
トマトとメロンは同じ方が栽培しておられたのですが、その方は昨年の秋、メロン栽培の技術を広めるため、ロシアの近くの小さな国に出かけてゆかれました。
メロンやトマトは、きちんと育てようとすると、実がついてから、その実がよく熟するまでの水の管理や害獣対策がたいへん難しい作物です。そのようなわけで、一昨年のようなうまうまとした思いは、もうすることができません。
そのようなわけで、ことしは生野菜のピュレをオリーブ油とレモン汁でのばしたガスパチョではなく、火を通したピュレをミルクでのばしたポタージュを常食しているしだいです。おそらく後者のほうが滋養に富んでいるので、体重の管理はしっかりとしなくてはなりません。
お嬢さんが好きなのは人参でこしらえるポタージュです。ごく簡単なこしらえ方を書いておきます。
1、洋人参の太いものを2本、皮を引いてごく薄い輪切りにする。
2、玉葱を1つの半分より少し大きめに割り、ごく薄く切る。
3、切った人参と玉葱をフライパンに入れ、多めの塩と、多めのオリーブ油をふってから火にかける。
4、人参と玉葱が焦げず、かつ、じゅうぶんに火が通るよう炒める。
5、炒めている途中で、パン粉をカップに半分ほど振り入れ、フライパンの油分や汁分をすわせる。また、パン粉はポタージュの口あたりをなめらかにします。
6、いためている野菜のひたひたの分量まで出汁を加えて、かきまぜながら少し煮つめる。
7、フライパンがさめたら、フライパンの内容量と同量の牛乳を加えてミキサーに少し長くかける。
8、漉して容器に入れ、冷蔵庫に保管する。
9、いただく時は、同量の牛乳を加え、よくまぜてからカップに入れる。
炒める時に、少量のカレー粉やウイキョウを加えてもよいです。また、牛乳は適度に脂肪分のある牛乳のほうがよい味です。
写真は、アメリカのスーパーマーケットです。並んでいるのは、蕪なのか人参なのか砂糖大根なのかわからない謎の野菜です。
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7月10日 (月) 次郎亀のこと
お嬢さんが通う接骨院に行くには、駅前の大通りをぬけてゆく道と、大きな公園をぬけてゆく道があります。
きょうは少し時間があったので、公園をぬけてゆく道を選びました。公園は大きな池と、池のまわりの遊歩道からできており、池には水鳥や錦鯉や亀がくらしています。
夏が近くなったので、水鳥の多くはどこかに帰りました。また、数週間前から池には病気が発生し、たくさんの錦鯉が死んでしまいました。静かになってしまった池がどのようなものか、ちょっと眺めてみようと思ったのです。
池の生き物を眺めるのには、池にかかった太鼓橋の上と、池の端の柵のない岸の2つのよい場所があります。
太鼓橋の上から見ると、たしかに池には色あいがありません。ですが、よくよく水面を眺めると、なにかの気配がひしひしと感じられます。
眼をこらしてみると、それらの気配は水面に鼻面を突き出した無数の亀であることがわかりました。小さなものは新書ほど、大きなものではB4版ほどの亀が、橋に立ち止まる人の気配を感じて、ゆっくりと、しかし着実に泳ぎ寄って来るのです。じりじりと泳ぎ寄って来る亀を手ぶらで帰すのは申し訳ないので、匆々に橋を下りました。
池の端に立ち寄ってみると、そこにも亀がたくさん群れておりました。数人の方々が餌を投げています。ここなら、手ぶらでも申し訳ない思いはあまりしません。大きな亀も小さな亀も、それぞれの口に合った餌をはぐりはぐりと食べています。
餌を投げていたお年寄りが、「おお」といって指差す先をその場の皆が追うと、たいへん大きな蛇が水面を泳いでいました。この公園で蛇を見たのは初めてです。
「お嬢さん、この池には鼈もいるのだが、見るかい」と、蛇を見つけたお年寄りが仰るので付いていってみると、蛇を見た場所からさほど遠くない岸辺に、脱衣籠ほどもある泥の塊のようなものが見えました。よく見ると塊からは大きな首が突き出て動いており、それはまさに鼈の頭です。
「これは次郎で、いつもこの場所にいる。もっと大きな太郎という鼈もいるのだが、それは夕方にならないと戻ってこない」とお年寄りは仰いました。
「いちど、おもしろそうなので衣装ケースに入れて家に持って帰ったのだが、夜通し暴れたのでまた戻したのだ。だから時々見に来る」とも仰いました。
揉み療治が終わったあと、お嬢さんはまた公園の道を通って家に帰りました。さきほどの鼈がまだいるかどうか見てみると、まだいました。太郎はまだ戻っていませんでした。
これはスープにすると、どのぐらいの分量になるものなのでしょうか。
写真は、メリーランド大学マッケルディン図書館の前の亀の像です。この亀の像の鼻先を撫でるとよいこと(試験に合格するとか、願いが叶うとか)があるのだそうです。
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7月5日 (水) ライチのこと
お嬢さんがむかし仕事をしていた資料館でお世話になった先生が亡くなられたことは、すこし前の日記で書いたことがあります。
その日の日記では、お嬢さんがはじめて仕事についた日に思いがけずおいでになられた、もうひとりの年をとった先生についても少し書きました。
先生は、外国語を学ぶための大学でマライ諸語を学んだあと、日本の海軍の仕事として、いわゆる南方と呼ばれる場所にはどのような資源があり、どのような利用が可能であるかを調査するお仕事についておられ、戦争が終わってから、文書を扱う仕事につかれました。
現在、マライ諸語はアルファベット表記されていますが、当時のマライ諸語は表記法が定まっておらず、先生はアラビア文字による綴字とオランダ式アルファベットによる綴字の両方を学ばれたのだそうです。
そのころ、いわゆる南方と呼ばれる場所では、現地語であるマライ諸語のほか、その地方を統治していた国の言語である英語やオランダ語やドイツ語、また、その地方の交易において大きな影響力を持っていた華人商人の言語など、さまざまな言語が用いられていました。そのようなわけで、先生は、それらの言語も自由に読んだり書いたりすることができました。
また、先生は、戦争の時には台湾で海軍の仕事をしておられました。
先生が与えられた仕事は、台湾の山奥にでかけて地域の人々に信用されるようにふるまい、もし台湾に連合国が上陸してくるようなことがあった時には、地域の人々が日本に協力してくれるような基盤を作ることであったのだそうです。
台湾では、いわゆる普通語と呼ばれる北京官話のほか、文字を持つ言語としては客家語、広東語、上海語など、また、無文字言語としては、現在では「台湾語」と呼ばれているミンナン語、山地住民の話すさまざまな言語などが用いられていました。そのようなわけで、先生は台湾で用いられている言語の多くも自由に用いることができました。
ですが、先生がたったひとつ、話すことができない言葉がありました。東京などで用いられている、いわゆる標準語です。たったそれだけの理由で、先生は戦後、日本の大学で教壇に立たれる機会がなかったのだと、あとになってうかがったこともありました。
先生は河内地方のご出身でしたので、のんびりとした関西の言葉でお話をなさっておられました。
ちょうど今ぐらいの季節、お嬢さんが留守番がてら、オフィスでお昼に家から持ってきたライチをうまうまといただいていると、先生がのんびりと入ってこられたことがありました。
らいちぃ ですかな。
先生がお嬢さんに話しかけて下さいました。
台湾で、な。海岸に穴を掘って待つわけ、ですわ。 らいちぃの木の下を選んで掘ると、な、落ちてくるわけですわ。らいちぃ、が。 ま、らいちぃ、は、うまいですな。 ま、らいちぃ、も、うまいが、もっくゎ、はもっと、うまいですな。あれは、うまい。
らいちぃ、のお話からちょうど一年たった季節に、先生は急に亡くなられました。顧問の先生方も出席されることになっている編集会議の予定をお知らせするために上司の方が電話をかけたところ、その日の朝に息を引き取っておられたのです。
お嬢さんは昼になるまで席で泣き続けていましたが、昼になるとのろりと立ち上がりました。そして、同じく先生の死を悲しむ方々とインドネシア料理をいただき、そのあと近くのスーパーに寄り、ライチを買って席に戻りました。
いまでも、ライチをいただくと、らいちぃ、という、先生ののんびりした言葉を思い出します。
写真は、アメリカのスーパーの棚です。
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7月1日 (土) 揉み療治のこと
アメリカ旅行がお嬢さんにすばらしい減量をもたらしたことは、何度か日記に書きましたが、アメリカ旅行がもたらしたもうひとつの身体的変化には肩凝りがあります。
昨年、ハーバード大学に出かけたおりには、帰国してすぐ強い肩凝りが発生しました。今年の3月にハーバード大学を訪れたおりにも肩凝りは発生しましたが、この肩凝りは昨年ほどのものではありませんでした。これは、往路がビジネスクラスであったためであると思われます。
考えるに、肩凝りの主因はアメリカでの滞在日数ではなく、エコノミークラスの飛行機による長時間の往復にあるように思われます。横にならずに飛び続けるというのは、身体に存外の負担をかけるものであると思いました。
前回の肩凝りのおり、お嬢さんはアーキヴィストの見習いをしている研究所のスタッフのすすめで、研究所の近くの接骨院で生まれてはじめての揉み療治のようなものを受けることになりました。
着替えを貸していただいて、着替えて少し待ってから、治療台に伏せて、肩やら背中やらを手技でほぐしていただいたあと、なにか電極のようなものを患部に貼り、電流のようなものを流しつつ、あたたかな重しのようなものを患部にのせて少しうとうとしていると療治は終了です。治療台に伏せてから下りるまでは40分ほどで、これを週に2回、2月半ほど続けたところで、お嬢さんの体調はずいぶん改善されました。
今回も同じ接骨院に伺おうと、ある日仕事の帰りにまわってみると、接骨院には貼り紙がしてあり、新しいスタッフで再開院するので、いまはお休みですという旨が書かれていました。
再開院までは2週間ほどであったのですが、お嬢さんの肩に待つ余裕はありませんでした。そのようなわけで、現在は、むかしくずし字の読み方を教えあっていた知人がすすめてくれた、お嬢さんの家の近くの接骨院に通っています。
お嬢さんに接骨院をすすめてくれた知人は、研究者であり、くずし字をよく読む人であり、かつ、空手や合気道などの武道をよく嗜んでおられました。
そのためか、治療院に通っておられるのは、体型や格好を拝察する限りアスリートの方々が大半のようです。箱根駅伝のメンバーの寄せ書きや、大きな企業ラグビーチームの寄せ書きが飾ってあるところを見ると、そのような方々も通っておられるのでしょうか。肩凝りなどで通うのが少し申し訳ないような感じです。
接骨院では、妙齢の、隆々とした接骨師の方が、時間をかけて患部を広く揉んで下さいます。なにかのポイントを刺激されると声を立てるほどの力強さですが、おかげで少しづつ症状は緩和されているようです。
写真は、メリーランド大学の体育館のチケット売り場です。メリーランド大学はスポーツの盛んな大学で、特にバスケットボールとアメリカンフットボールは、全米の大学でも屈指の強さであるそうです。
写真に写っている、Mという文字を抱いた亀は、かたわらの字義の通りテラピンといい、メリーランド大学のスポーツ団体すべてに共通するマスコットです。テラピンとは英語(もしくはラテン語)で「沼亀」を意味し、メリーランド州の公式の両生類(ステイト・レプタイル)に定められています。
他の大学スポーツ団が、もう少し強そうな、かつもう少しかっこよい名前を持って活動する中で、「沼亀蹴球団」や「沼亀籠球団」という名前は少しく呑気でもあります。
そのようなわけで、テラピンズ(メリーランド大学学生スポーツ団体の総称)には、「fear the Turtle(亀を虞れよ)」という共通のキャッチフレーズがあります。呑気な図体ではあるが、強いものは強い、といったところでしょうか。
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2006/7 |
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