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1月30日 (火) 山里の温泉のこと
郷里に戻ると、お嬢さんはときどき温泉につかります。
猫の山里には、村はずれに山からの温泉をひいてこしらえた温泉施設があります。
猫の山里のはずれには金を採掘していた鉱山があり、その山の付近には冬でも雪の積もらない場所があることが知られていました。すこし前に、いわゆるふるさとおこしとして掘ってみたところ、深いところから熱いお湯が出てきたので、この施設が建てられたものです。
猫の山里の温泉の源泉はたいへん熱く、多量の塩分と鉄分を含んでいます。温泉が出たばかりで、だれでも湯が涌いている場所の近くに出かけることができた当時は、生卵を蜜柑の網に入れ、名札をつけて温泉だまりに浸しておき、殻が黒く塩味のきいたゆで卵をこしらえるのがたいへん流行しました。
温泉が出てきた年の夏に猫の山里に出かけたおりには、どこの家でもお茶請けにゆで卵をすすめるので、曲がった山道を自動車で帰る途中で気分がわるくなったこともあります。
現在、猫の山里の温泉施設では、涌いたままの温泉と、フィルターにかけて色素を取り除いた温泉の二種類が提供されています。温泉は男女別の湯と、家族や友人などがいっしょに入るための、とくに男女別を設けていない湯の3種類があり、男女別の湯にはそれぞれ屋外浴場も設けられています(しかし、屋外浴場には、山里特有の強い毒を持った羽虫を避けるための蚊帳がかけてあるため、あまり眺めはよくありません)。
お嬢さんは一族で温泉につかることが多いので、つかるのはだいたいの場合混合湯です。混合湯は涌いたままの温泉をひいているので、お湯は赤出汁ぐらいの色合いでまったく透明度がありません。そのようなわけで、入る時と出る時にだけ眼をくばれば、あとは特に気兼ねなく温泉を楽しむことができます。
お嬢さんがまだ大学生だったころ、ゆるゆると混合湯につかっていると、お嬢さんの祖母のなまえを呼ぶ声が聞こえてきました。祖母は山里で留守居をしているはずだと思っていると、声の主はお湯に入っていたお嬢さんの肩をぺたりと叩きました。
声の主は祖母の同級生でした。湯につかっているお嬢さんの身体つきや肉づきがたいへん祖母(の若いころ)に似ていたため、これは孫にちがいないと声を掛けたのだそうです。
写真は、帰京のおりに電車(やっと電化されました)の窓から撮影したとちゅうの駅の構内のようすです。
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1月29日 (月) 再観光のこと
きょうから1月31日まで、まうかめ堂さんは用事があってすこし遠いところに出張にでかけております。
ことしのお正月は、コロンビア大学でお世話になったれとさんが、お嬢さんの郷里にご夫婦で遊びにきて下さいました。
お嬢さんは、昨年ニューヨークでたいへんな風邪をひき、そのおり、れとさんから心あたたまるおたよりをいただきました。
れとさんが郷里に来て下さることが決まったあと、お嬢さんは家族にこれまでの経過とニューヨークでお世話になったことを説明し、なにかおもてなしをしたいのですが、と家族にたのみました。その結果、父親が1日観光案内を、母親が勤務先のホテルへの招待を、祖母が滞在中の交通費を出して下さることになり、帰郷の数日前からメールでスケジュールのやりとりを交わしておりました。
れとさんご夫妻は1月3日のお昼に郷里に到着し、その日は父親の車で広い範囲をめぐって過ごしました。古い寺院や蔵づくりの集落、のんびり雪のつもった自然の風景などに興味を持っておられたようです。
父親が仕事にでかけたため、翌日からはお嬢さんが公共交通を使ってご夫妻を案内しました。活動範囲は狭くなりましたが、大名庭園や峠の餅屋などを見てまわったり、茶室でお茶をいただいたりしました。夕食は蔵づくりの居酒屋で地酒をいただきながら楽しみました。
その翌日は、昼ごはんをいただいたあと、お嬢さんの家でお茶を一服のんでいただき、母の勤務先のリゾート風ホテルにチェックインしました。れとさんの奥様は建築家なので、母といっしょにホテルの内部をいろいろ見学したあと、温泉につかり、お嬢さんもお相伴していっしょに会席をいただきました。
夕食前に温泉に入り、湯上がりを過ごすラウンジでうろうろしていると、れとさんがお嬢さんを呼び止めました。奥様に結婚一周年のサプライズをしたいので、もう一泊できるかどうか、母に問い合わせてくださいとのことです。母親にたずねたところ大丈夫ということで、おふたりはホテルに2泊してゆかれました。
れとさんからは、ご実家からのおみやげとして、たいへんめずらしい野草の蜂蜜をたくさんいただきました。いっぽう、れとさんは、お嬢さんの郷里の特産である柿をたいへん気に入られたようでした。
れとさんは9月まで日本で研究を続けられ、10月からはローマで研究と史料収集をされる予定です。こんどはローマでお会いしましょうと約束をしました。
写真は、れとさんご夫妻と訪れた大名庭園の様子です。格子から見えているのは茶室で、写真を撮った場所は池のほとりにある御殿です。御殿では本格的なお茶をいただくことができます。
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1月28日 (日) 柚子胡椒のこと
少し間隔が開いてしまいましたが、柚子のさまざまな加工法のしめくくりとして、柚子胡椒のこしらえ方を書いておきます。
1、柚子は、柿やりんごの皮をむく時のように薄く皮をむきます。むいた皮は料理鋏などで適当に小さく切っておきます。
2、皮をむいた柚子は半分に割り、果汁をしぼっておきます。
3、生の赤唐辛子は、へたを切り落し、ねぎの小口切り程度に刻んでおきます。種は抜かないままにしておきます。唐辛子はたいへん刺激が強いので、切り口になるべく肌がふれないように注意します。コップにいれて、料理鋏で適当に細かくすると、肌に汁がつく危険が少なくなります。
4、柚子の皮と、柚子の皮と同じか少し少ない容量の唐辛子をミキサーにかけ、適量の果汁を加えてペーストにします。固形物の分量が多いので、何度か回転を止めて片寄りを直す必要があります。
5、ペースト状になった柚子の皮と唐辛子の混合物をボウルにあけ、好みの分量の塩をよく混ぜながら加えてゆきます。すこしきつめの塩かげんのほうが、すこし置いたあとの味のなじみがよいようです。
今回はピンポン玉ほどの柚子を20ほどむき、大きなサイズの唐辛子を15本ほど使い、瓶入りマヨネーズの空き瓶に八分目ほどの柚子胡椒をこしらえました。のんびり使えば、これで1年はもつのではないかと思います。
写真は、昨年ワシントンでいただいた謎の寿司です。
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1月23日 (火) 続・成仏系調理法のこと(柚子の加工法)
昨日は美容院にでかけて帰宅が遅くなったり、朝来からおなかが怪しくなったりして、日記を書かずにおりました。
きょうは、前回の日記でふれた柚子のさまざまな加工法を書いておきます。この日記を書いている現在、八百屋さんや果物屋さんにもう柚子はあまり並んでおりませんが(冬至における大量消費をもって出荷を終えてしまうのでしょうか)、観賞樹などとして花柚子を植えておられる方にお願いすると、今の季節でもわけていただけるのではないかと思われます。
以下、作り方を箇条書きに書いておきます。
1、柚子茶(再掲および改訂)
1、柚子は蔕(へた)を取って横に2つ割りにし、房の部分と皮とをわけます。
2、皮の部分は、じょうずに中身を抜くことができれば半球状になっていると思いますが、さらに半分にし、できるだけ細く刻みます。変色した部分や傷の部分は、できあがりをきれいにするために除きます。
3、刻みおわった皮の容積とほぼ同じ容積のグラニュー糖を用意し、皮とよく混ぜ合わせます。刻んだ皮がボウルに一杯あれば、グラニュー糖もほぼおなじ分量用意します。
4、柚子茶を仕込む容器に、2センチほどの高さになるようグラニュー糖を敷き詰め(容器の底に柚子の皮が直接触れないようにするためです。このグラニュー糖はさきほどの分量とはべつに用意します)、柚子の皮とグラニュー糖を混ぜ合わせたものを詰めてゆきます。すきまがあると変質の原因になりますので、少し詰めたら菜箸などでよくつつき、みっしりと詰めてゆきます。
5、容器の口元近くまで柚子の皮を詰めたら、柚子の皮がみえないぐらいのグラニュー糖を振り入れ、ふたをして冷蔵庫で保管します。柚子の皮からすこし汁があがりますので、上部にはすこし空間があるほうがよいようです。
6、すこし置くと、柚子の皮がグラニュー糖で脱水されて容量が減ってきますので、いただく分だけをちいさな容器に小分けにして用います。
2、柚子酢
1、柚子茶を仕込む際に皮から剥がした中身の部分は、まず手でくずしたのち、清潔なふきんでよくしぼります。柚子は種が非常に多いため、さほど果汁はでません。また、すこし粘度のある果汁があとになると出てきますが、そちらもふきんをこそげるようにして加えます。
2、しぼった果汁に、同じ容積のおしょうゆと、おしょうゆの半分ほどの容積のみりんを加えます。3つの液体がよく合わさったら、切った出汁昆布とひとつかみほどの鰹節を加え、一晩置きます。これが柚子酢のもとになります。
3、翌日、柚子酢のもとを清潔なふきんで漉し、液体のみをガラス瓶に詰めて冷蔵庫で保管します。酸味が強いものなので、ペット容器は保管に適しません。ふきんで漉す際にはしぼったりせず、滴った液体だけを保管するようにします。ふきんに残った柚子酢を含んだ鰹節は、ごく薄切りにした玉葱にまぶすとよいサラダになります。
3、柚子の種のリカー漬け
1、柚子の種がちょっともったいないと思った場合は、柚子の中身をしぼり終わったのち、実を切るときにいっしょに切れてしまったものを除いて拾い出しておきます。
2、無色のリカー類(果実酒用など)を用意し、種を浸します。
3、少しするとリカーに粘度がついてきますので、種は取り出しておきます。この粘度のある液体は、お嬢さんの場合、洗髪後の髪の毛艶を増すのに効果があるように思われます。
きょうは残っていた柚子を使って柚子胡椒をこしらえました。長くなってしまいましたので、柚子胡椒のこしらえ方はおって書くことにいたします。
写真は、昨年の3月に撮影したボストンかニューヨークの上空(おそらくボストン)です。この時期になって、昨年訪れたアメリカでの非常な寒さを思い出すようになりました。
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1月21日 (日) 成仏系調理法のこと
まうかめ堂さんの料理のカテゴリの中に、「成仏系」というものがあることに気付いたのは少し前のことで、その定義がお嬢さんの中で得心できるようになったのは最近のことです。
お嬢さんが理解するかぎり、まうかめ堂さんが定義する「成仏系」の料理とは、素材をなるべく無駄なく利用し、かつ、その利用がお皿においてよい効果を生み出し、結果として、美味と合理と満足とが止揚された形で顕われている料理を指します。
まうかめ堂さんによれば、そのもっともよい例は鰻であるのだそうです。身は焼き物にして皮までおいしくいただくことができ、肝は吸物や焼き物に、骨は煎餅にしていただくことができます。
鰻がそうであるならば、唐揚げにして骨までいただくことができるワカサギや、わたまでいただくことができる鮎なども成仏系に含まれるのではないですか、とお嬢さんがたずねたところ、それらは小魚であり、まるごといただくのがデフォルトであるのであえて成仏系に区分する必要はなく、成仏系の素材となりうるのはある程度以上の大きさのものである、という答えがかえってきました。
鰻のほかに、まうかめ堂さんが成仏系であると認めた料理には、シンガポール式鶏飯(鶏肉の茹で汁でごはんを炊き、茹でた鶏肉を添えてたれを付けていただく料理です)と、何日か前に紹介した烏賊のプルピートス(にパンを添えたもの)があります。
また、まうかめ堂さんにおいて、成仏ということばは、「素材から最大限の風味を引き出してある状態」を賞賛するものとして用いられることもあります。非常に上手に煎れてあるコーヒーを賞賛するおりに、この言葉がよく用いられます。
きょうは、数日前に入手したたくさんの柚子を使い、柚子茶と柚子酢と柚子種のリカー漬けをこしらえました。皮は柚子茶に、果汁は柚子酢に、種はリカー漬けにしたので、使わずに残ったのは柚子の蔕と房を包む袋だけです。このような料理も、やはり「成仏系」の一種であるように思います。
柚子茶のこしらえ方は昨年あたりに書いたおぼえがありますが、そのうち再掲いたします。柚子酢はたいへんおいしくできましたので、こちらもそのうち紹介する予定です。
写真は、ワシントン郊外のB&Bの朝食です。向かいのテーブルに座った方が選んだお皿を、席を外しているあいだに撮ったものなので、フォークの並び方やジャムの向きが逆になっています。
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1月20日 (土) 猫の統治のこと
昨日は、猫の山里にいる毛色の変わった猫の写真を日記に載せました。
初出から時間がたっておりますので再び紹介いたしますと、「猫の山里」とは、お嬢さんの郷里から自動車で一時間ちょっと山奥に入ったちいさな村にある祖父の実家です。祖父は「お婿さん」でしたので実家があるのです。
お嬢さんの家族は、父親が結婚するまでこの山里で暮らしておりましたので、この山里が故郷ということになります。たいへん古い時代に建てられた屋敷には、3年ほど前までは祖父の兄が当主として暮らしていたのですが世を去り、現在はその娘さん夫婦と、10年ほど前からじわじわ殖えていったたくさんの猫が暮らしています。
お嬢さんが猫の山里を訪れるのは、春の連休と夏の墓参りと年始のおりです。お嬢さんは猫の山里がたいへん好きなので、訪問の時期が帰郷と重なるよう、父親が計画を立てて下さいます。
ことしは1月7日に山里を訪れました。家族の方にご挨拶をし、仏間に入ってお線香をあげたあとは、父親は山里の近況を当主(父親にとってはいとこの夫君)と談じあい、お嬢さんはひたすら猫とあそびます。
写真は、昨日掲載した写真の猫の父親にあたる猫です。この猫は、猫の山里の猫群を統率する地位に就いているため、「ボス」という名前で呼ばれています。
写真の通りたいへん大きな猫ですが、ボスはたいへん人なつこく、来客があるとまず膝にのり、ついでおなかを伝って肩に登ろうとします。この写真の構図は、膝の上にのってきたところを、身体を少し反らせて撮影したものです。
勢津さん(父のいとこ)の話によれば、ママレード色の猫は非常に智慧があり、また、智慧があるぶん老成するとたいへん油断のならない生き物になるのだそうです。
勢津さんはある冬の日、ボスに向かい、猫というものは戸を開けるばかりで閉めることをしないというが、お前もやはりそうなのか、と嘆いてみせたことがあったそうです。 勢津さんの話を聴いたのか、ボスは下の座敷から上の座敷に上がる引き戸を勢いよく開けて上の座敷に進むと、向きをかえて勢津さんを上の座敷から睨み、音を立てて戸を閉めたといいます。
この光景に立ち会ったのは、勢津さんと、その場に寝合わせていた何匹かの猫だけであったそうです。この話を、父親はあまり信じていないふうでありました。
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1月19日 (金) 継続会員のこと
お嬢さんがしばしば出かける街の音楽ホールには、「音楽ホール友の会」の制度があります。一年ぶんで1000円の会費を支払えばだれでも会員になることができ、音楽ホールにおける自主公演を一割引で聴くことができるほか、公演の案内が定期的に送付されます。
席料が高い公演にでかける機会はあまりありませんので、昨年は会費ぶんほどの「お得」さはありませんでした。ですが、公演の案内が送られてくることで、ホールにでかける機会は若干増えたように思われます。
出かけたい公演があると、受付日にチケットセンターに電話をかけて席をとり、近くの市政支所にでかけて代金を支払い、その場できっぷを印刷していただきます。
お嬢さんがきっぷを取りに出かけるのは、歩いて五分ほどの街の公会堂です。公会堂の事務室には、鎖のついためがねをおしゃれに掛けた係の方がおり、いろいろお話をしながら手続をして下さいます。
昨年、ヒリアードアンサンブルのきっぷを取りに出かけたおり、係の方は公演名をずっと「ビリヤードアンサンブル」だと勘違いしておられました。
楽器を持たずに写真におさまる男性4人の写真が載った公演案内では、この団体がどんな分野の音楽団体なのかわかりにくかったのでしょう。係の方はきっぷが出てくるまでのあいだ、
「ビリヤードなんて、しゃれた名前じゃないですか。ヨーデルかなんかの団体なんでしょうか。そう、ぼくがお嬢さんぐらい若かったころにはGSというものがたいへん流行しましてね、まあいろいろあったものですよ」
と、ふしぎな前提にもとづくお話をして下さいました。
この係の方にお会いするのが楽しいこともあって、お嬢さんはことしも会員を継続することにしました。手続をすませたのは昨日のことです。
写真は、猫の山里にいる猫の中でも毛色のかわった一匹です。父親はママレード、母親はシャムのようです。耳が茶色いことから、「チャミ」という名前で呼ばれておりました。なお、瞳の色が赤いのは光の反射のためで、実際にはふつうの色(うすい青色)をしています。
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1月18日 (木) あたたかのこと
きょうは、昼から銀座にある新聞社の支社にでかけ、夕方まで資料集の原稿の整理をしていました。
お嬢さんの家からオフィスにでかけるにはさまざまな手段がありますが、東京駅まで電車にのり、有楽町駅を通って銀座に入るのがもっとも簡単で、かつ飽きません。
写真は、東京駅の丸の内口を出て左にある、東京国際フォーラムの昼下がりの様子です。この広場には、お昼になるとさまざまな屋台料理のワゴンが出て、世界のさまざまな味をいただくことができます。
お嬢さんが通りながら観察したところによれば、現在において人気が高い(行列が比較的ながく延びている)のは、韓国式軽食と、「むかしの給食」を標榜する揚げパンのようです。いっぽう、眺めていて楽しいのは、何層にも折り畳まれた生地を放りながらのばして焼き、牛肉のカレーといっしょに供するマレー料理や、何十羽もの若鶏がぐるぐると炙り焼きされているロティサリーです。
今年の冬はたいへん暖かく、ふだんの年であればもっとあたたかなコートを着ているはずのところ、お嬢さんはまだ半コートのままで平気です。昨年はもう活躍していたツイードのコートや、沼鼬の裏のついた蒙古山羊のコートは、今年は着ずに終わってしまうかもしれません。
きょうは仕事を終えたのち、銀座をぶらぶら見て歩き、三愛のまえの花の屋台で、ちょうど満開ほどになっていた和水仙をひとたば買って帰りました。和水仙はたいへん香りが高いものです。
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1月16日 (火) 続・ピストゥーのこと
週末の2日間にわたって、アーキヴィストの見習いをしているところでワークショップがあったため、お嬢さんは9日に帰京してから14日までお休みがありませんでした。
そのようなわけで、また、他にでかけなければならない用事もあったため、月曜日はお休みをいただこうと思っていたのですが、この日は遠くからワークショップに来てくださった方々が、かえりの飛行機を遅くして史料の閲覧をしてゆかれることになっておりました。そのようなわけで、お嬢さんは月曜日もスーツを着込んで書庫に詰め、史料の出納や問い合わせについての応対をしておりました。
きょう(火曜日)はお休みの日にあたっておりましたので、昨夜は久しぶりに目覚ましをかけずにベッドに入りました。夜明け前の地震で一度眼をさましたあともゆるゆると二度寝を決め込みましたので、きょうはたいへん長く眠ることができました。
夕食には、前回の日記で書いたピストゥーを使ったパスタ料理をこしらえました。以下に作り方を書いておきます。
1、鍋に湯をわかし、少量の塩と適量のパスタを入れて茹でます。きょうはファルファッレというリボン型のパスタを用いました。
2、パスタが茹で上がる時間から逆算して、その5分ほど前になったら、花のついた茎立菜(チーメディラーパ)を加え、いっしょに茹でます。茎立菜はぶつ切りにし、茎の太い部分は2つ割にしておきます。
3、パスタを茹でているあいだに、使うぶんのピストゥーを小碗にあけ、適量の粉チーズを加えてよく練っておきます。
4、フライパンにオリーブ油を入れ、火がまわったらパスタと茎立菜を入れ、煮立ったらピストゥーと粉チーズをあわせたものを加えます。パスタに残った水分が適度に煮詰まったらできあがりです。
ピストゥーの淡緑色と茎立菜の花の黄色、パスタの小麦粉色があわさった、たいへん色合いのよいお皿になります。きょうはこのパスタと、あとはトマトを切っていただきました。
写真は、猫の山里の猫群です。2007年1月7日に撮影されました。部分しか写っていないものも含め、ぜんぶで8匹の猫が写りこんでおりますが、実際にはこの4倍ほどの猫群がおります。今回も、どれでもよいので持って行けと言われたのですが、父がていねいにお断りしておりました。
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1月12日 (金) ピストゥーのこと
お嬢さんがアーキヴィストの見習いをしている研究所では、あすとあさって、海外の大学からお客さまを招いて大きなワークショップ(発表と質疑応答の会)が開催されます。
このワークショップは一年近く前から企画が立てられ、どの方を海外からお招きするか、国内からどの方にお話をしていただくかなど、いろいろな準備がすすめられてきました。
きょうは、あすお話をしてくださるアメリカの大学の先生が、航空券などの精算もかねて研究所においでになりました。アメリカの小学校はだんだん始まるころですが、すこし休みをとってきました、と、小学生のお子さんを紹介してくださいました。先生にお会いするのは二年ぶりのことです。
あすのワークショップでは、研究所が所蔵する貴重史料の公開も行われます。そのようなわけで、展示台の敷き布として使うシーツのアイロンがけが、きょうの午後のお嬢さんの仕事でした。ダブル幅のシーツ10枚に、アイロンのりなしで(アイロンのりは史料に虫を呼ぶかもしれないため使いません)ぴしりとアイロンをかけるのは存外たいへんであることがわかりました。
帰京してから野菜をよく揃えていなかったため、帰途は農協の直営店に立ち寄り、葉野菜やねぎを求めて帰りました。
そのおり、バジルの大袋がお得になっていたのでいっしょに求め、夕食後にピストゥーをこしらえてみました。
ピストゥーは、バジルの葉と刻んだナッツ類(きょうは家にあったくるみを使いました)、にんにく、塩(塩がわりにアンチョビを用いてもかまいません)をオリーブ油でのばしながらペースト状にしたものです。上記の材料をミキサーに放り込み、適当な時間まわすだけで簡便にこしらえることができます。
ピストゥーは、パンに塗ったり、パスタや茹でた馬鈴薯にあえたり、野菜スープのアクセントに落としたり、と、さまざまな用途があります。いただく時には、それぞれの用途に応じて好みの分量の粉チーズと混ぜ、ぽたりとさせてから用います。
写真は郷里の猫です。もう12才近くになり、めったなことでは動じなくなっておりますが、頂き物の菓子についていたリボンを振ってみたところ、珍しく飛びついてきたものです。
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